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ドアの向こうへ vol.19

~羽化を果たした美樹~

 俺は【引きこもり】への理解度が増すにつれて、美樹への対応が最悪だったと自覚した。部屋へ怒鳴り込むなんて、何と酷いことをしてしまったのだろう。何とかして、離れてしまった美樹との距離を縮めることが出来ないかと模索していた。
「済まなかった」の一言でいいのかもしれないが、そのきっかけが欲しかった。
だからという訳ではないが、帰宅後は書斎にこもって、美樹の子供の頃からのアルバムを何度も見直していた。
あの公園で二人でセルフタイマーで撮った写真がとても気に入っていた。
三脚を持ってなかったから、向かい側の席に置いて撮った一枚だった・・・

 「鳥谷部課長、2番にお電話です」とスタッフの声で現実に戻された。
電話の相手は研修の担当講師、山科 徹からだった。研修日程と今日の相談内容などの確認だった。
ここで受けた相談内容は、すべて日報ファイルにまとめてある。その担当でなくても、相談内容、その後の進捗状況など、スタッフの誰が見てもすぐに対応できるようになっている。
山科はここS市出身で都内の福祉大を出て、社会福祉士として公的機関や私設の支援センターを受け持っている。若手ではあるが的確な対応をしてくれて頼もしい存在だ。

 ファイルに目を通しながら、ざっと内容を報告した。
「鳥谷部さん、お疲れ様でした。今日の分のファイルをいつものようにPDFファイルで後程、送って置いて下さいますか」
「承知しました、それから、山科さん、あ、あの・・・」
「どうされました、鳥谷部さん」
「いえ、あの、以前娘のことで少しだけお話ししましたが、今日、娘と同世代の相談者と話をしていて、私、決めました、今日帰ったら、娘と話をしてみます」と伝えると、
「そうですか、それはいいですね、鳥谷部さん、一歩前進ですね」と、自分の事のように喜んでくれているのが、電話越しでも伝わって来た。
「ありがとうございます、うまく言えるか、出来るか心細いですが、何とかやってみます、これからも引き続きよろしくお願いいたします」と言って電話を置いた。

 帰り道、あの公園へ寄って行くことにした。何年ぶりだろう、いつかいつかと思っているうちに時間だけが過ぎて今日やっと来ることが出来た。
「お?あのブランコ、まだあったのか」
公園の砂場の隣にそれはあった。古びてはいたが、手入れが行き届いている為か、錆や破損しているところはなかった。
そうそう、ここに二人で座って・・・・と再現して一人で、にやついてしまった。傍から見たら、アブナイおじさんに思われそうだ。
しばらくそのまま座って、帰宅してから何と切り出すかを考えていた。
・・・・・ここ、そうだ、ここへ一緒に来ようってのは、どうだろう。また、ブランコ乗ろうってのは・・・・ちょっと子供扱い過ぎるかな・・・乗る乗らないは、まぁ良いとして、ここへ誘ってみるのは良いかもしれないな。決心がついた。ブランコを降り、俺は足早に自宅へ向かった。

 「ただいま」と声をかける。美樹は帰っているようだが、返事はない。
焦るな、昇、先ずは相手の今を考えてから行動することだ・・・・と自分に言い聞かせ、書斎へ入る。
「ん、何だろう」と思わず声がでた。
それは、美樹の文字だった。
「お父さんへ、勝手に書斎へ入ってごめんなさい、アルバム見ていたんだね・・・今度、お父さんがお休みの時、一緒にあの公園へ行きたいんだ、ダメかな」
目頭が熱くなった。
ダメな事あるものか、俺もそう思っていたから・・・ありがとう美樹・・・

 2階へあがり美樹の部屋のドア越しに声をかけた
「美樹、ただいま・・・・メモ読んだよ」
「え?お父さん・・・・」美樹は驚いた顔でドアを開けた。
「いやぁ・・・今までなかなか言い出せなくて済まなかった、随分ひどいことを言ってしまって済まなかった」と頭を下げた。
「そんな・・・・お父さん・・・・」
返事に迷っているようだ。

「俺も、今日帰ったら美樹をあの公園に行こうと誘うつもりだったんだ・・・・」と笑って言うつもりだったが、涙がこぼれていた。
「ありがとう、お父さん、私も意地を張ってばかりいてごめんなさい・・・その事だけに固執して何も解決しようとしてこなかったから・・・・」と美樹も泣き顔だ。

「お父さん、アルバム見ていたんだね。私の」
「そうそう、あの頃は可愛かったなって・・・」と言うと
「あの頃はって」と笑って怒っている。
「あはは、すまんすまん、あの頃も可愛いだったな」と笑った。
二人の間にずっと止まったままの、大きな氷の塊が今ようやく溶け出した。

「お父さん、今週の土曜日はどうかな、公園行くの」
「おぉ、いいよ、行こう行こう」
「お母さんも誘ってもいい?」
「もちろん、かおるも休みなはずだから」
「良かった、私、お弁当作るから、公園でみんなで食べようよ」と、とても嬉しそうに笑った。
あぁ・・・この笑顔、この笑顔が見たかったのに、随分と遠回りをさせてしまった。本当に済まないことをしたと俺は心底思った。

 と、そこへ、
「あらあら、随分と楽しそうね」と、帰宅したかおるが笑って入って来た。
「ね、お母さん今度の土曜日、あの公園へ3人で行こう、私お弁当作るから」
「そうね、いいわねピクニックなんて何年ぶりかしら、美樹が小さくて可愛かったころだから・・・・あの頃の美樹可愛かったわよね」と俺の方を見る。
美樹と俺は
「あの頃は?」と笑って同時に言って、今度は3人一緒に笑った。

 さなぎの美樹は、とうとう羽化することが出来た。羽化するために、綿密な温度管理や日の当て方など細かな事は必要不可欠だろうけれど、そのさなぎの躰を支える糸、その糸の繋がっている枝本体が、しっかりと支え、羽化を信じてくれたなら安心して羽化できるのだ。
一番身近な家族との信頼の絆がなければ、傷ついた心と躰から、立ち直ることは実現しないのだ。

《続く》

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