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フォーカスとクローズアップ

職場に最近、新しい人がやって来たのですが、

その人は「発達障害」の診断を受けた人だと、昨日知りました。


それで、以前少し書いた「発達障害」のことを、思い出しました。

私がWEB管理の仕事を手伝っている某グループで見聞きする発達障害者さんは、

ほとんどが小学生くらいのお子さんで、

お話は主にお子さんの幸せを願っていろいろ心配する、ご両親からです。


今回職場に入って来た人は、人生の盛りを過ぎた大人の男性で、

特に変わったところもなく、

口数少なく、世間話をしかけても、あたりさわりのない返答を返してくれる感じでした。


自分のことを振り返ってみると、

私が今、発達障害の診断をしてもらったら、

おそらく「該当」になるのだろうと思います。

以前の記事にも書きましたが、

私が「あきらかにおかしい自分」に気が付いたのは、

学校を卒業して就職したときです。


人それぞれで一概に言えませんが、

発達障害を自覚する人はかなりの割合で、

「できることとできないことの差が激しい」

あるいは

「ある能力だけ卓越している」

ものだと思います。


私は、最初に就職した会社で、数か月の新人研修後、

配属された部署で担当したのが、

私が持っている「卓越した能力」をフルに使うものでした。


それが、私にとって大変に幸運なことだったわけです。

おかげで、社会人生活をおおいに楽しむことができ、

自分の持っている特性が、好きになりました。

今でも仕事が(その特性が)好きです。


誰でも、弱いところと強いところを持っている。

自分自身の、どこに焦点を当てて人生を展開していくか、

弱い点にフォーカスするか、

それとも強い部分に着目してクローズアップしていくか。

それは、その人の意識の用い方によって決まって来ると思います。


小さいころから親が自分のことを理解して、強力な応援を送ってくれれば、

自然に強い部分へのクローズアップが展開されて、大人になっていくと思います。


私は、親の理解と援護がほとんどなかったので、

就職した時に起こった「強い部分へのクローズアップ」は、偶然によるものなのですが、

よくよく考えると、そこへの就職を進めたのは、母なのでした。

母は社会経験が乏しく、仕事のことなど何にもわかっていなかったはずですが、

それでも無意識のうちに、いろんなことを感じ取っていたのでしょう。

親ってそういうものだと思います。虐待をするような親であっても、暴言を吐きながらでも、

その言動には子どもへの導きが、確かに存在している。


もしも、親の理解がなく、偶然も起こらず、

弱い部分へのフォーカスで人生を進めていたとしたら、

そういう場合は、「人生の苦労を理解できる。苦労を背負っている人に寄り添える自分になれる」

という素晴らしい宝物が、育っていくのではないかと思います。



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