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仕事へ。緊急事態宣言でどうなるのかは昨日休みのせいでよくわかっていない。
外に出ると、ふつうに仕事へ行く人がいる。僕も同じ。たくさんの人ととすれ違う。すると、一人が僕の顔を見て、何かを思い出したような表情で歩いていた道を小走りで戻り始めた。なにを忘れたのだろう。僕の顔で思い出すものはなんだろう。
電車の中には普段通りの人がいて普段通り駅に着く。
この曖昧でそれでいて重たい不安を共有できないのかという気持ちがあって、奥山貴宏「31歳ガン漂流」を読み始める。読んでいた柴崎友香「わたしのいなかった街で」は読み終わったので家を出る前に歯を磨きながら読む本を考えた。
不安という気持ちをどうしたらよいのかと。全然違う不安かもしれない。誰かの言葉に救いを求めるわけではなく、誰かの生きていたという記録に救いを求めているのかもしれない。
奥山貴宏「31歳ガン漂流」はタイトル通り31歳のフリーライターのガンの闘病記だ。全3巻。全3巻ということは、そういうことだ。
カルチャーに寄り添った放り投げるような文体で綴られていく日記を読んでいくが、根底には病気の不安がある。ずっと文化に触れつつも、生活は病院が中心で読んでいくと、自分の持っている不安と本の中の不安が混ざっていく。
会社について仕事をする。明日から臨時休業なので今日で全てを一旦終わらせなければいけない。どことなく年末のような気分になる。
少し残業してキリが良くなり早歩きで帰る。途中まいばすけっとに寄ると棚になにもなかった。買い占めは終わらない。
電車に乗ると普段よりは少ない乗客だけど、座れないほどの人がいる。また本を読み始める。ガンと告知されてそれを日記に書くか悩んでいる日だった。
『めったに経験できないようなこの機会をフリーライターとして見逃してどうする』と書かれていた。
僕もこの日々を書いていく。経験はしたくないのに経験している毎日をどう過ごすのか。
日記の日々は続き、僕の生活も続く。


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