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起きると、大学生が走っていた。未だにどこからどこに走っているのかがわからないまま画面を見つめて準備をする。会社に行くよりは遅い時間だからと自分を奮い立たせ、着替える。
昨日の晩から妙にイライラしていて自分でもその怒りの源流がわからないのでモヤモヤもしてイヤイヤなのかモラモラしてしまっている。答えのない言葉にできていない感情未満の、そのものを早くどうにかしたいと思っていたのに電車は大幅に遅延した。駅伝を見にきていた人だ、と知らない誰かに怒りを感じる。
もしかしたら新年から自分の時間が保てなくて怒っているのかもしれない。
妻のゆかりさんにそのことをLINEすると、すーはーとため息なのか深呼吸なのかわからない返事がきた。
電車の中で立ったまま「プルーストを読む生活」を読む。目の前が空いたので座ろうとしたらものすごく割り込まれて座られてしまった。すごく膨らんだリュックで攻撃された。リュックを前に背負わない乗客は人間ではない。みんな遅延しているからかイライラが電車の中に溜まっている気がする。
「プルーストを読む生活」を読んでいると少しずつ怒りが鎮まっていく。
人への怒りという感情は、自分が思っている人としての行動を逸脱したことによって起こるのだと思う。自分だったらこんなことしないのに!と思って怒ることが多い。だからリュックを背負ったまま割り込むように攻撃をしつつ席に座る人には怒る。僕はそんなことをしない!と怒る。
しかしその人ではないものも人間なのだと「プルーストを読む生活」を読みながら思う。知らない人の生活の日記だ。知ることない感情が言葉になっている。
そうか。みんな生きていると思うと、目の前に座っている奴も生きているから、なんらかの座りたい理由があって割り込んだのだと思えるようになる。許す。
まだ千葉県まで電車は走り続ける。
千葉県に着いて、初めて降りたなと思いつつ初めての場所へ行く。初めて行くスタジアムはカタカナなんだから、もっと近くても良いと思う。
もう中には高校サッカーを見るサポーターがたくさんいて、いや、高校サッカーを見る人たちのことはサポーターと呼ぶのだろうか。OB?OG?観戦者?わからない。しかも座った席が応援席で、お疲れ様です、とメガホンを渡してくれた高校生には先輩が来たと思われてしまった。
試合は勝った。優勝候補の高校に勝つことができたので、少し嬉しい気分で電車に乗る。
家路に戻る電車は長い時間なので、嬉しい気分が穴が空いていたのか千葉から離れていくたびに落ちていく。
そして鞄の中から穂村弘「きっとあの人は眠っているんだよ」を読む。読書日記をどう書いたらよいのかわからないので、人の読書日記を読む。読書日記の読書日記になっている。そのうち読書日記の読書日記の読書日記になるかもしれない。
日記と、読んだ本がスムーズに文章の中に収まっていてずるいな、と思った。会話の端に知識を出すように、文章の中で本のことも語りたい。語れない。
そもそもそんなに読書をしていない。家では眠ることが好きなせいだ。だけど、本を買うのは好きで、帰り道に寄った古本屋で知らない女優さんの読書日記をまた買う。知らない人が知らない本を読んでいる日記を僕が読む。
帰宅してご飯の準備をするにはまだ早い時間だったので、よゐこの年越しYouTubeのアーカイブを見ながら「きっとあの人は眠っているんだよ」の続きを読む。
読んでいる間、YouTubeの中では突風でテントが飛ばされそうになっているよゐこの二人が慌てていた。
慌てている二人の声を聞きながら本を読み続けている。僕に届くその声の返事は聞こえないまま。

「ただ、生身の我々は自分の視点の中に閉じ込められていて、小説のようにそれを切り替えることができない。だかや、他人の世界像を知る機会がないのだ。」
なんとなく読んでいて今日の気分に似ていた。

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