熱くなれることへの憧れ - 省察📝Xデザイン学校ビギナーコース#02 新規事業開発のための手法を学ぶ

タイトルの内容のポエムを書こうと思っていたところ、2021年9月20日に第2回のXデザイン学校の講義を受けた。
その内容が偶然にも「熱くなれることへの憧れ」という気持ちを強くする内容だったため、講義の省察としてこれを書く。

熱くなれること

何かに熱くなっている人を見ると、どんなものであれ素敵だなあと思い、憧れを抱く。
趣味でも、事業でも、くだらないものでも。研究、仕事、事業、アイドル、ドラマ、アニメ、ゲーム、ギャンブル、ボルダリング、酒、コーヒー、登山なんでも。
時間やお金といった個人のリソースを割いて集中している様に憧れを感じる。
僕は、そうしたいと思える対象は今も今までも存在していなかったと思う。
色々と手を出してみることはあるが、強い思いを持って取り組めるよう何か、熱く語れるような何かというものが僕の人生においてあった覚えがない(自覚していないだけで客観的に見てあるのなら教えてほしい)。

憧れを抱く、と同時に少しの焦りを感じることもある。
僕は、心を動かすことへの関心が高い。自分の心が動かされること、他人の心が動かされているのを感じること。場が湧いているのを感じること。
そしてそれができるのはそういった熱い何かだと思っている。
個人の価値観に基づく熱い何かが、心を動かしたり、世界を良くするような何かにつながるのだろう。

そう思っていたから、熱くなれることへの憧れと、熱くなれないことへの焦りを感じていた。
自分のデザインに対する関心というのも、熱くなれるものがないことから来ているのかもしれない。

アート思考の時代

今回の講義によると、UXやデザイン思考などによって意思決定が行われるサービスドミナントロジックの思想は終わりを迎えており、これからはアート思考やスペキュラティブデザインによって意思決定が行われるパーパスドリブンの思想の時代となるとのことであった。
UXはもう古い。

パーパスドリブンの時代では、自分起点の衝動に基づくようなもの、いわゆるビジョン・パーパス・ミッションといったものがないビジネスはスケールしないとのことであった。

これを聞いて、自分の憧れも焦りもなんとか時代の流れに縋りついていたのかなという謎の肯定感を感じつつも、ここが苦手なことに対する危機感のような感覚は少し強く、具体的になった。

熱くなれないこと

とはいえ、僕みたいなタイプの人間はきっと全然少なくはないと思う。熱くなれるものやパーパスみたいなものは誰でも簡単に持てるわけじゃないだろう。
あるいは(そうであってほしいと思うのだけど)、僕含め多くの人は気付いていないだけだったり、初めから大きな何かを持たなければいけないような気がして身近にある小さな衝動に気づけていないだけかもしれない。

こういったものの見つけ方、気付き方、具体化の方法なんかに少し意識を向けて今後の講義や講義だけでなく日々を過ごしていこうと思った。

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