[シナリオ]妻の手のひら
登場人物
菅原秀和(34)古着屋店長
田代樹(22)古着屋店員
菅原薫子(29)菅原の妻
男性客
助産師
お題:鏡
場面1:古着屋・店内(昼)
田代樹(22)が鏡の前で男性客の応対をしている。菅原秀和(34)は奥のレジでパソコンを操作している。
樹「暖色のリバースウイーブで合わせたらアウターがシュッとしますよ。ほら」男性客「確かに。いいね。これもらおうかな」
樹「ありがとうございます!」
樹、男性客をレジまで案内し、菅原が対応する。樹は隣で商品を畳む。
男性客「店長、樹君アメカジ凄い詳しいんだね。ヴィンテージまで。良い子見つけたね」
樹「有難うございます。好きなんすよ。まぁ、店長には怒られてばっかですけど・・・」
菅原「すいません、騒々しい奴で・・・。こちら二千円お返しです」
男性客「ありがとう。それじゃまた」
男性客を見届け、菅原が服の整理を始める。樹、それをみて慌ててモップが
けを始める。
菅原「そうだ樹、来月の発注確認してたんだがな。鏡のクリーナー漏れてたぞ」樹「あ・・・すみません」
それだけ言って作業を続ける菅原。菅原が棚を一つ直し終わった所で、樹、
樹「あ、あの店長。鏡と言えばなんすけど」
菅原が樹の方を向く。
樹「うちの店って痩せ鏡ですよね。あれ、なんでかなーって。俺、痩せ鏡ってお客さん騙してる感じがして気が引けるんすよね」
菅原、服を畳む手を止めず答える。
菅原「うちは服を売っているんじゃない。良い服を着るという体験を売っているんだ」
樹「え?えーと・・・」
菅原「いい服を着ると気持ちが上がるだろう。その気持ちをなるべく沢山楽しんでもらいたい。だからうちはオンライン販売もしてないだろう。店の空気を味わってほしいからな。痩せ鏡もその演出の一つだ」
樹「でも、お客さんが家に帰ってがっかりしちゃったら、それって結局いい体験じゃなくないですか?」
菅原の手が一瞬止まる。しかしすぐに、
菅原「ここは俺の店だ。馬鹿な事言ってないで手を動かせ」
場面2:菅原家・リビング(夜)
菅原が帰宅する。ソファで寝ていた菅原薫子(35)が、身重なお腹を抱えて立ち上がろうとする。
薫子「あなた、お帰りなさい」
菅原「いい、いいから。寝てろ」
菅原は薫子の肩を掴み、ゆっくりとソファに寝かしつける。
菅原「食べられるか。つわりは?」
薫子「平気」
菅原「風呂、風呂はどうする。入るか?今洗ってくる。あぁでも、母さんから色々届いてたな。あれ整理しないと。ええと」
薫子「仕事上がりでしょ?少し休んだら」
菅原「大丈夫だ。飯だな。先に。よし、今作る。うどん買ってきた。待ってろ」
菅原、そそくさと台所に移動する。その後ろ姿を見ていた薫子、少し笑う。
× × ×
リビングの食卓に並んだ鍋焼きうどんを、菅原と薫子が食べている。
薫子「お店は順調?樹君の事いじめてない?」
菅原「何だいじめるって。そんな訳ないだろ」
薫子「本当かなあ。言ってたじゃない。樹君にレーン一つ任せてみたら、良かったって。ちゃんと褒めてあげた?」
菅原「なんでそんな事わざわざ・・・それに褒めてないのといじめるのは違う」
薫子「違くないのよ、あなたの場合。いつも顔怖いんだから。褒めてやっといじめてないぐらいなの。わかった?」
菅原、黙ってうどんをすする。
場面3:古着屋・店内(朝)
菅原と樹が開店準備をしている。樹が裏からスタンドミラーを持ってくる。
菅原「おい樹、それ何だ」
菅原が声をかけ、樹の体がピクリと跳ねる。樹、ゆっくり振り返りながら、
樹「これは・・・普通の鏡です。俺の家から持ってきました」
菅原「見ればわかる。なんでそんなもの持ってきたんだ」
樹「俺、やっぱりお客さんには嘘つきたくなくて・・・。お願いします。任せてもらってる一レーンの前だけでいいです。この鏡で接客させてください!」
樹が頭を下げる。
菅原「ダメだ。痩せ鏡と並べて使える訳ないだろう。大体、」
菅原のポケットから携帯の着信音。
菅原「すまん。もしもし・・・え、陣痛!うん、うん。わかった。すぐに行く」
樹「俺、タクシー呼んできます!」
樹、店の外に飛び出していく。
場面4:病院・分娩室(朝)
薫子が助産師に囲まれ分娩台に寝ている。部屋に薫子のいきむ声が響く。分娩室のドアが開き、菅原が入ってくる。
菅原「薫子!大丈夫か!」
菅原の眼に血塗れの薫子が映る。途端、菅原は失神しその場に倒れてしまう。
助産師「誰か!ご主人外に出しといて!」
場面5:病院・病室(昼)
薫子が寝台を起こし菅原と話している。
薫子「本当にびっくりしたんだから。意識朦朧としてたけど、あのビターンって音だけは鮮明に聞こえた。しかも起きたら起きたで、出産の瞬間みれなかったって大泣きして・・・!」
くすくすと笑う薫子。菅原、バツが悪そうに、
菅原「悪かった。何の役にも立てなくて。色々準備していたつもりではいたんだ」
薫子「いいのよ。大丈夫。全部を完璧にこなさなくたっていいの。少しは周りで助けてくれる人たちに目を向けて。ね?」
薫子が菅原の手を握る。菅原が握り返す。
薫子「そういえば、お店はいいの?あれからずっと閉めてるんでしょ」
菅原「いいよ。こんな時に店なんて」
薫子「そう?その割にずっとそわそわしてる」
薫子が菅原の顔を覗き込む。菅原は目を逸らす。
薫子「早く店開けないと、樹君にもお給料出せなくて逃げられちゃうよ。私は大丈夫。明日様子見るだけでも行ってきなよ」
菅原「・・・そうするよ。ありがとう」
菅原、薫子を握る手にもう片方の手を重ねる。
場面6:古着屋・店内(昼)
床に無造作に箱が並んでおり、樹がその真ん中で服を詰めている。菅原がバックヤードから現れ、樹に声をかける。
菅原「樹、何してる」
樹「うわあっ!?なんだ、店長!ええと、これはその、取り置きを・・・」
菅原「取り置き?誰が?いつそんなこと?」
樹「その、インスタやってて、そこで」
菅原「・・・見せてみろ」
樹がおずおずとスマホを取り出し、菅原が訝しげにそれを確認する。
菅原「店の名前使ってるのか。勝手に。うちはオンラインやらないって言ったろ」
樹「すみません。でも俺、店長のセレクト渋くて超格好いいのに知られてないのが悔しくて。ただ店長が言ってた体験を売りたいってのもわかるんです。これなら来てもらうきっかけになるし、いいかなって」
菅原、黙ってスマホを見ている。スクロールして投稿を確認している。
菅原「このコーデ、お前が?」
樹「勝手でしたよね。すみません・・・でもその、お子さんのこと投稿したら、沢山コメントついて。店を応援したいから、出産祝いだ、取り置きしてくれって、みんな」
黙ったまま動かない菅原。それを見て、樹が諦めたように下を向く。
菅原「お前に任せてるレーン、あれ、もう終わりにしろ」
ショックを受ける樹の表情。泣きそうな声で、
樹「没収、っすか・・・」
菅原「何が没収だ。元々店のだろう。お前の遊びに付き合ってるんじゃない」
樹「そう・・・ですよね」
菅原「あのレーンと、その隣、このアカウントみたいにトレンドを意識したコーナーにしろ。俺の真似しようとするな」
樹「え?」
樹、驚いて顔をあげる。
樹「え、その、隣も?レーン二つですか?」
菅原「そう言ってるだろ。できないのか」
樹「は、はい!やらせて下さい!」
菅原「取り置き、これか。詰めるぞ」
菅原が机の上の服に手をかける。それを見た樹、隣に立ち作業を始める。樹が菅原の表情を伺おうとさりげなく顔を覗き込むが、それをなんとなく感じ取り、菅原がそっぽを向く。そっぽを向かれた樹が少し微笑む。
樹「あの、店長、あれどうします?」
樹、以前持ってきたスタンドミラーを指さす。
菅原「あれはダメだ。埋め込み鏡も併せて変える必要があるだろ。そしたら内装ごとだ」
樹「ですよね・・・はい」
菅原「その、あれは個人的に買い取れるか?」
樹「え?なんでです?」
菅原「ええと、薫子が腹を気にすると思って、家に痩せ鏡しかないんだ。もう必要ないから、普通のが欲しくて」
樹「なんすか、それ」
笑いだす樹。つられて笑顔になる菅原。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?