No.7 くだらない自分を受け入れること。
いかに自分がくだらないかを認めること受け入れること。あなたはできているだろうか?
自分の勝手な考えだが、それができていない時はどこか下心がある。その大半は、やはり「立派に見られたい」とか「嫌われたくない」いという見栄なんだなと思う。
最近で、仕事もしてなくて暇になって1日だらだらしていると社会的に恥と言えるような生活をおくっている。
寝て昼くらいに起きて食ってちょっとエッチなこと考えて、また暇になってお菓子食ってちょっと歩いてホントにろくでもない人間だと思う。
あまりの怠惰になんで生きているんかなって思っちゃたりもする。
だから、なんかしなきゃって焦って空回りしてあれこれ考えて結局、特に変わらず夜を迎える。
そんな生活が続いて、つい自分が嫌になってしまうんだけども
やっぱりそんな時は自分を認められてないのだ。受け入れられていない。どこかでそんな自分を否定してしまう。
自分を受け入れないない主な理由は「執着」ではないか?
ちょっと調べてみると、執着とはひとことで言うと「こだわり」のこと。ブッダのことばをまとめた「スッタニパータ」という経典の中にも苦しみの原因は執着であると言われている。
執着の中でも「我執」と「法執」と2種類に分類されるらしく
「我執」は自分、自分となんでも自分のことに囚われてしまうこと
「法執」は、なんでも本質や真理といった理論がなんでも実在すると思ってしまうこと
この執着心を手放すためにはどうすれば良いか?それは調べたが、なかなか解決策はなさそうである。(もし解決策があったら、みんな苦しんでないと思うので)
だがそんな自分に一つアドバイスをしたい。
あなたも あなたで それでいいのだ
それでいいのだ
それでいいのだ
byバカボンのパパ
やはり「こだわり」があることを受け入れて「それでいいのだ」と。認めてしまうこと。そしてまるで「川の流れのように」生きていければちょっとは前に進めんじゃないでしょうか?
流れに身を任せる。与えられたことを一生懸命やる。ただ、それだけ。
参考文献
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