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鳥には鳥の痛みがある

とある有名人が自分のセクハラやパワハラを週刊誌報道され、直後に病院搬送された。
自宅で両親とともに倒れているところをスタッフに発見されて本人は意識朦朧。両親は死亡。
遺書もあったことから無理心中ではないかと多くのメディアが報じている。

日本でも有数の有名な家でこんなことが起こるとは。
私がいちばん不思議なのは、記事の内容そのものよりも(読んでないけど)その後の出来事のほうがよっぽどハードルが高そうて絶望的であることだ。

目下への理不尽な扱いというのは封建的な社会では起こりやすいことで、それ自体の特異性はさほど高くなかったと思う。
テレビで報道されても「またあのへんでそんな問題が」と思うだけだっただろう。10年もたてば代替わりもするし、騒ぐ人間もいなくなる。

非を認めて賠償でも何でもして謹慎するほうが簡単そうに思えてしまうのは、私が何も持っていない貧乏な底辺クズだからだろうか。
だって、もし仕事がすべて飛んでしまっても一生生きていけるぐらいの財産あるでしょ。しばらく叩かれて肩身が狭いかもしれないけど、芸能界から離れれば普通に生活できるだろうし。
海外にでも行けばまるっきり自由じゃん。
日本文化はカネになるようだから、外国人に隈取の個人レッスンや歌舞伎の歴史の講義でもやって糊口をしのぐ道だってあっただろう。
動画配信したっていい。すぐにフォロワー数万ついてお金稼げる。
本人はイヤかもしれないけど、可能性はいくらでも持ってる。

今歩いている黄金の道以外に、いくらでも道はあるんですよ。
そしてどんな道にもそれなりの実りや感動や美しさが待っていると思うんですよ。

でもそんな可能性が見えなくなるぐらいの衝撃だったんだろうね。

皆も楽しいと思っていたのに違っていた
相手も自分を好きだと思っていたのに違っていた
きわめてプライベートなことを白日の下に晒されてしまった
芸能界と伝統芸能という二つの世界を謳歌することができなくなった
流派での面目を失ってしまった

たとえばそういうことかなあ。

ちなみに私はこの伝統芸能にあまり関心がなく、流派や家同士の知識もありません。
被害者の方々を軽視しているつもりはなく、もちろん加害者の擁護はしません。
ただ、この人は圧倒的な強者であった。
問題の責任を取ってやりすごしさえすれば今後もそれなりに楽に生きて行けそうな環境を持っていた。
お金に困ってコンビニや工場でバイトするような生活にはなりえない人だった。
なのに生産性のない行動をとって、破滅に駒を進めてしまった。
何がこの人を駆り立てたのかに関心があります。

あの事務所、この業界と、昔から人々がぼんやり聞かされていたよからぬ噂が「事実であった」と突きつけられる令和の5月。
その鋭さにたじろいでいる今日。
芸能界だけでなく、政治や経済界の巨悪も暴かれればいい。

つらい毎日の記録