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朝のニュースで。

人は誰も自分勝手で、自分のリラックスと周囲の許容とのバランスを取るのはけっこう難しい。
取れていない人も多い。
バランスが危うかったからといって、すべてが他人に責められなくてはならないのか。
ほっといていいことだってたくさんあると思う。

あなたは私じゃないし、私はあなたじゃない。
誰かはあなたじゃないし、あなたは誰かじゃない。

明らかな迷惑になってないならいちいち目くじら立てなくてもいいんじゃない?
自分のリラックスが侵害されていると思うならばそうでないところにいったん行けばいいのでは?
なぜ誰かを変えようとするのか全く理解できない。
ヒマな人がああだこうだとどうでもいいことを声高に責め立てるのにはもううんざりだ。

「誰か」と「あなた」は他人です。
あなたは自分の望むように生きればいい。
あなたが誰かに行動を強制できないように、誰かもあなたに強制できない。

今日、ある有名人の自死が報じられてとても驚いた。
残念に思った。
同時にその人がネットでたくさん叩かれていたことを思い出した。
その人にはこの数年、プライベートで大きな変化がたくさんあった。
まだ若いし、揺れ動くこともあるだろう。
決断が間違っていることだってあるに決まっている。
誰だって間違うし、何かを後悔していない人なんていない。
人間は未完成なのだから、そんなのあたりまえだ。
本人がもがいて、苦しんで、よりよい道を探して行けばそれでよかった。

私の十代、二十代なんか出来心とでまかせでできてるような毎日だった。
思い出したくもないし、誰にも知られたくない。
そんな時期を大勢の人に見られていることは不運だったと思う。
有名税なんて言葉もあるけど、
私は心の底から、
「一部の人々はなぜそんなに他人に興味があるのか」
が不思議でならない。
私も保険屋や身内の悪口は書いているけど、それは当事者だからだ。
会ったこともない有名人にそこまでの感情は持てない。
好き、ならともかく、キライ!を表明する必要ないし、時間の無駄。

他人にとても厳しい「彼ら」はなぜそれと同じ熱量で政治の腐敗や政治家の矛盾に興味を持たないのだろう。
明らかになってるだけでも怪しいのがいっぱいいるじゃん。
言い続ければ引きずり下ろすことができるのに、そうならないのがもどかしい。
糾弾する相手を間違っている。

誰もが幸せに生きていければいいと心から思う。
そして懸命に生きた足跡には意味があるってことを。

つらい毎日の記録