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息子から教わったこと20:子どもと過ごすって、自然に他人を受け入れる体験だってこと

本記事は未完成で期間限定無料記事となります。
加筆修正しながら最終稿になりましたら有料化する予定となっております。
※最終稿に達するまでかなり掛かるかもしれませんがw

みなさま、おはようございます!

私、子どもに関する記事を書いているわけですが、息子にイライラしてしまうこともある未熟な父親なわけです。

急いでいるときに遊びだしたり、言うこと聞かなくてイライラ……。

それで、フッと息子との関わりを最初から思い出してみて気づきました。


息子といえども、自分ではない"他人"であるわけです。
でも、そんな気は全然しない。
外見がパパそっくりだったりすると、赤ちゃんの時は自分の分身、自分の一部のようにも感じていましたし、幼児になり小さいながらも頑張っている姿を見ていると、慈しみ導き守るべき存在になっていたり、出会った瞬間から"他人"とは思えないんですよね。

人生の中では実家の家族が同じような存在です。

でも、自分の意思で作るか作らないかを決められるのは我が子のみです。

"他人"のはずなのに、
自然に、

ホンキに心配して、
ホンキに応援して、
ホンキに未来を想像して、
ホンキに抱きしめて、
ホンキに叱れて、
ホンキに愛して、

あぁ……母さん、ありがとう。


子どもが出来て思うことの1つに、「あいつだって誰かの子ども」だっていうこと。

職場の気に食わない先輩や、生意気な後輩も、空気の読めない営業も、成績の悪い部下も、誰かの大切な子どもで、"ホンキに愛されている人"なんだっていうこと。


子どもと一緒に過ごすことで受け入れられる人の幅が少しずつ増える。

外に出ないでゲームばかりしているゲーマーの私が、子どもを育てているつもりが、いつの間にか子どもに育てられている。


私のような未熟な人間も、子どもと過ごすことで、いっちょ前に近づけているのかな?と感じる今日このごろ。


ということで、最後まで読んでいただき、ありがとうございました(* ᴗ ᴗ)⁾⁾

そんじゃーね(^ω^) ノシ


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