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産まれてきてくれてありがとう

失敗はいつもあたらしい世界に連れていってくれる。

私が経験した大学受験や、仕事、酒の席の失敗などは、コンテストに参加する他の方がたくさん書いてくれるだろう↓

私が書くべきは、"失敗"というには不謹慎で、より正確には"サプライズ"であって、でも"失敗といえば失敗"である、そう息子の誕生である。


妊娠発表

妻が妊娠したのは私が起業してから3期目の半ばあたり。妻の会社は2期目の後半くらいの時期。
2人とも起業してから日が浅く、Life is Job!生活を爆進していたある日。

まだ妻とは入籍しておらず、当然子供は、もうちょっと仕事してからのつもりでした。

妻(といいつつ、当時は彼女……)から大切な話があると連絡をもらい、事前に連絡をもらえる大切な話なんて「フラれるか」「妊娠を告げられるか」のどちらかしかないなと思いつつ、妻の来訪を待っていた時。

ドキドキしていた心臓の音は、妻から「妊娠」を告げられ、自分でも聞こえるくらい高鳴るようになった。



…………オレの子供ってどんな顔してるんだろ?…………



…………男の子かな?女の子かな?…………



…………そういえば、まだ結婚もしていない(汗)…………



…………すげー、まったく想像を超えておる!?
   俺の人生これから、どうなっちゃうの?…………



これから、どんな毎日になってしまうのだろうか?

その疑問の答えを、いままさに身をもって知ることになるわけだが、その夜、ベットの中で寝る私の頭のなかでは「想像した以上に~騒がしい未来がボクを待ってる~~~♪」とスピッツの"チェリー"の一節がリピート再生されていた。


ライフイベント盛りだくさん

そこから、プロポーズ、両親へのご挨拶と報告、結婚指輪選び、自宅の売却と新居探し、結婚式の準備と結婚式、新婚旅行と、出産準備と出産と、ほぼ1年間に怒涛のライフイベント盛りだくさんを経験することとなる。

文字で書けば、1行半くらいですが、計画性がある方々であれば5年くらい掛けてやりきるものを約1年でやっちゃったわけですよ。

しかも結婚式も、新居も子育ても妥協なし。全部全力でやりました。

プロポーズや両親への挨拶をしていたころは、まだ初々しい感じでしたが、新婚旅行に沖縄の離島に行くころには、お腹が目立つようになってきて、結婚式は出産後に赤ちゃんの首が座ってから開催することにしました。

ホントあっという間。

仕事しながら、家事育児をやりつつ、新居探しや自宅売却や購入手続き、結婚式の準備。
仕事の売上も年間300万円分ほど減らしながら、時間を作り、ライフイベントに邁進していきます。


結婚式とその準備

結婚式に関して、特に男性は乗り気ではない人もいるのではないかと思います。
実際にやってみて、目的を明確にして、やると決めたら、最後までやりきり、楽しみきることが大切だと思いました。

私は結婚式の準備の後半の1~2ヶ月間、「もっとお金をかけないで貯めておいた方が良いのではないか?」と悩んで、楽しみきれない時期がありました。
しかし終わってみて思うことは「もう決めたことにウジウジ考えないで、悩んでないで楽しみきった方が良い」ということでした。

六本木ヒルズで開催した"バザール"をコンセプトにした結婚式は、私の人生の記憶に残る一大イベントとなりました。

出席者の皆さまの記憶にも残ってたら良いなぁ~

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自宅の売却と新居探し

28歳ながら都内1DKのオンボロ中古マンションをローンで購入して住んでいました。
1DKでは家族3人は住むには狭いので、引っ越すことになります。

※28歳で都内1DKの中古マンションを買った話はコチラから↓

しかも買った新居は自分たちが住みやすいようにすぐにリノベーション工事をします。

基本的に住宅ローンの二重ローンはできないので、売却して既存のローンを全額返済してから、すぐに新しい住宅ローンに入って……という流れになります。

つまり、とてもタイミングを合わせるのが難しい……

さらに新居として購入した中古マンションにアスベストが使われていることが判明し、その除去工事で工期も工費も増えました。
そのため妻は出産後4ヶ月間実家で生活することになり、その後もURの賃貸物件で約3ヶ月間、賃貸生活を送ることになります。

最初からこれだけ工期が伸びることが分かっていたら、もっと早めに賃貸物件を借り、家族3人で生活を開始したのですが、賃貸生活を無くせるかも(引越しが1回減り、手間も費用も節約できる)と、実家での生活が1ヶ月、1ヶ月と伸びてしまいました。

その間、私は毎週末に妻の実家にお邪魔して、週に2日のみ子供と会える日々
妻や妻のご実家に負担を掛けている申し訳無さや、子供と離れて暮らす寂しさを感じつつ、妻が送ってくれる子供の写真や動画に癒やされつつ、家族が一緒に過ごせる日に向けて頑張っていました。

※新居の工事が終わり、引っ越しのために蒲田のURの賃貸物件の掃除をし終えてお昼ご飯を食べる私。短い期間でも初めての家族3人の生活で考え深い↓

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仕事人間、出産に立ち会えて価値観が変わる。

ここまで"いかに大きく生活が変わり大変だったか?"を書いてきました。
ま、愚痴のようなものです。

でも、私は当時から今までずっと幸せです。

それは仕事第一(というか仕事だけ)だった私が、子供という存在に出会ってしまったから。


産気づいた妻と、病院に同行し、いよいよ分娩室に入ると私は、テンパってアッという間に時間は過ぎていきました。

そして、"その時"を迎えると、あらよあらよと看護師さんが赤ちゃんの体を確認して、体重を測り、私は生まれた赤ちゃんの顔を見たあとに、廊下にて待つことに。

「うううううう~~~~」「ううううう~~」と胎盤を出している妻のうめき声が廊下に響き、私は心配で心細い気持ちになっていました。

しばらくすると、血などを拭いた赤ちゃんを抱えた看護師さんが、私に赤ちゃんを託し、私は妻のうめき声を赤ちゃんを抱っこしながら聞く状況になりました。

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赤ちゃんの眉毛はまさに私の太眉毛で、外見は私に似ていました。
妻を心配に思いつつも、腕の中で、スヤスヤ眠る自分にそっくりの赤ちゃんに、なんともいえない感動を覚えました。

私のようだけど私ではなくて、この世界でたった一人の存在。
生まれたばかりの0歳児。過去はなく、未来しかない存在。
私の子供として生まれてきてくれた、大切な赤ちゃん。

私はなぜか、この瞬間を経験するために今まで生きてきたのだと確信しました。
そう思うと、涙が溢れて、まだ何も握ったこともないであろう小さな手を優しく握っていました。





時は経ち……

それからも、アッという間に時間は過ぎて、赤ちゃんは、幼稚園の年中さんになりました。
仕事はセーブして、子供との時間を大切に、家事育児に時間をとり、料理や家事はかなり上手になりました。


売上や収入は影響を受けましたが、この子がいない人生は考えられません。


あの"失敗"がなかったら、この子がいないと思うと、まさにあの失敗こそが、私に"仕事だけじゃない新しい人生"を与えてくれました。


子供を育てるのはお金がかかるし、自分のために時間を使えないし、大変なことばかりだけど、それを上回る、成長や優しさや愛しさや喜びや未来があることを伝えたい。

そう思ってNoteをはじめた私ですが、うまくできているでしょうか?


息子の成長に負けないくらい成長して、子供が幸せな世界を創れるように、私自身もっと頑張らねばと思った6月の暑い夜の話でした。



そんじゃーね(^ω^) ノシ

いただいたサポートは息子の学費の拡充に充てさせていただきます!