Dr.STONEは女性搾取か?
※Dr.STONEの内容に関する、かなりのネタバレがあります
※スクショや漫画の紙面をそのまま写メなど、かなりアナログな感じになっています
週刊少年ジャンプで連載中の漫画、「Dr.STONE」を知っているでしょうか?
来年にアニメ2期も決まり、今まさに盛り上がっているこの漫画ですが、先日Twitterでこんな意見を見かけました。
このツイートをきっかけに、Dr.STONEに対する「女性搾取だ」「エロ漫画みたい」「女性蔑視」「いかにも少年漫画らしい」などの意見が集まっています。
結論としていうと、私は「Dr.STONEはかなり色々考えた上で描かれている」と思います。どうしてそう思うのか、以下理由を述べていきます。
1. 女だけがエロい?
まず、問題の絵柄について説明しなければなりません。これに関しては以下の画像で全てが説明できるかと思います。
戦闘キャラ(作中1、2を争う強さ)である氷月というキャラですが、この服装です。この不必要な太ももの露出はなんなのでしょう。そして上半身は裸の上にマント一枚。首はあんなにモッフモフなのに、下はまるでミニスカートです。明らかにキャラデザとして不必要な露出が組み込まれています。モズのこの肩・腕だけ鎧という謎コスチュームも、いっちゃなんですが無駄な露出です。
(単行本14巻より)
他にも司のマントの下は裸であったり、戦闘キャラほど露出が高い傾向にあるように感じます。
Dr.STONEは原作者と作画担当が分かれており、作画担当はBoichi先生という方です。この人は、少女漫画、成年漫画、青年漫画など数多くのジャンルを経て現在少年漫画であるDr.STONEの作画を担当しているそうです。(Wikipediaの知識です、すみません)
たしかに、Dr.STONEの作画は一部かなりエロティックです。でもそれは女性キャラに限った話ではなく、上に挙げたような露出度が高い男性キャラも女性の私から見て、かなり肉感的にエロティックに描かれていると感じます。
(単行本16巻より)
いわば古代ギリシアの彫刻のようなフェティシズムを込められており、一言で言うなら「そういう絵柄」なのです。
なので、女性がセクシーに描かれているコマだけを切り取って、女性搾取だ!というのは少しアンフェアなような気がします。
さて、そういったフェティシズムの強い絵柄が少年漫画に起用されることの是非については、私もちょっと懐疑的です。"少年"漫画にしては刺激が強いかも…?と思ったり。
しかし、Dr.STONEが男女差別的、女性搾取であると批判している意見のほとんどが、絵柄+作品内容と合わせての意見でした。(当然、絵柄の時点で完全に無理な人もいると思います。私も苦手な絵柄というのはあるのでわかります)
批判している人たちいわく、絵柄もこんなに過剰にエロティックだし、内容もこんなに男尊女卑的であると。
では、作品の内容は果たして本当に女性蔑視的、男尊女卑的なのでしょうか?
2. 古い価値観へのカウンター
Dr.STONEを読み進めていく上で思ったのは、「誰かが古い価値観を示す→それが話の展開や別の人の反論によって否定される」という流れがよく出てくるということです。
私は常々、重要なのは作品内に差別的な表現があるかどうかではなく、作者自身が作品内で差別的な表現を行なったことに自覚的であるか否かだと思っています。差別を差別と意識しないで描く、無意識の刃が一番怖いです。
作品には必ず作り手がいますから、その作り手の意図を無視してとある登場人物の差別的な発言だけを切り抜いて批判するのは悪質な行為です。
(単行本11巻より)
クロムというキャラの「顔!美容!!すぐそれかよ」という発言を批判している人を見ましたが、そのすぐ後のコマを見ていないのでしょうか?
「私が欲しいのは商売道具です!!」
記者である南が、主人公・千空たちに協力する交換条件として鏡を作ることを要求したシーンです。クロムや龍水といった男性キャラクターたちが鏡を要求したことについてあれこれ言った後、鏡は実はカメラを作るために必要だったことが判明、という話の流れになっています。
石化後の世界で初めてカメラを手にした彼女のシーンは、涙なしには見られません。
つまりこのエピソードでは、あえて男性キャラに「女はすぐ美容!」と言わせた後に「本当は仕事のためだった」というカウンターが描かれているわけです。クロムの発言はいわば前振りであり、作品および作者の価値観が反映されているのはどう考えても「仕事道具を手に入れて号泣する南」の方です。
さて、このような古い価値観→カウンターという話の展開は、物語の重要局面でも出てきます。
宝島編の終盤。千空たちは村の人々やその他石化から復活した様々な人々となんやかんやで協力して、石化装置の謎を解くため「宝島」へ向かいます。
その宝島には、島の若くて美しい娘たちが王のために集められ側室にされているという、まさに前近代的な伝統があります。その島で育ったモズという敵キャラが、氷月を自分の味方につけるためにこのような会話を繰り広げます。
(氷月には優生思想的な考えがあって千空たちと対立していましたが、強すぎるモズに対抗する最後の手として、千空たちは氷月に協力を仰ぎます。)
単行本15巻より会話抜粋
氷月「選別がしたいだけです。愚かな人々にはこのまま眠ってもらい優れた遺伝子のみを残す。そうして進化してこそ万物の霊長!!」
モズ「んーそう思うよ 氷月って言ったっけ 君の言うとおりだ 選別すべきだ
というかこの島じゃもうやってるよ選別 ちゃんと顔カワイイ子だけ選んでる なんなら氷月くんもハーレムをいただいたらいい」
龍水「はっはー!お子様だなモズ貴様は すべての女は皆美女だその愉しみがわからんとは 俺はこの世の女性は全て欲しい!」
モズ「皆美女……?(ここで主人公側にいる、たくましい女性を見てため息をつく)」
氷月「モズ君 君にとって選別すべき優れた人間とは美男美女のことなのですか?」
モズ「? そりゃ女はそうじゃん男からしたら」
このモズの発言をきっかけに、氷月はモズには寝返らずに千空たちの味方をすることに決めるのです。(龍水という奴がなかなかひどいことを言っていますが、それについては後述します)
あえて、ハーレムを作っている島民を敵として登場させ、「美しくない女=不要」という前近代的な考え方を述べさせた上で、それを完全否定しているわけです。
物語の展開が決まるような重要なシーンでこの考え方が示されるということは、作品にとってこの価値観が大切なものであるという証拠なのではないでしょうか。
他にもこの古い価値観→カウンターで物語が展開するシーンはいくつかあるのですが、全て書くととても長くなってしまうので省きます。
3. 男の仕事、女の仕事
さて、この作品について語るには主人公・石神千空の特殊性については外せません。
まず、彼は同年代の女子よりも体力がないような、非力な男子高校生です。そんな彼が文明崩壊後という過酷な世界で戦ったり冒険したりしないといけない。肉体的な強さがない千空にとっては、かなりハンデのある状況です。そのハンデをどうひっくり返すか? そこで出てくるのが「科学」です。
科学を使って肉体的な弱さなんてぶっ飛ばしていこうぜ(?)という方向性で描かれているこの作品。そもそも千空やクロムという一部の男性キャラが体力皆無に描かれている時点で、「男=力仕事」という固定観念はこの世界には生まれないのです。男ではなく、力のあるものが力仕事をする。「美しくない女=不要」ではないように、「力のない男=不要」でもまたないのがこの作品の特徴です。
さらに、千空は恋愛をしません。なので、主人公がラッキースケベで美味しい目にあって鼻血ブー!みたいな展開が一切ありません。
彼は恋愛をしないので、老若男女、誰に対しても本当にフラットに付き合うことができる。そしてカテゴリではなく個人を見て、その人の能力を認め、自分の作業に協力してもらう。決して性格がいいキャラクターというわけではありません。科学のことをよくわかっていない人たちをバカにしたりするシーンもあります。しかし安心してください、作中随一のおバカキャラは「男性」ですから。この作品では千空のうんちくのうなずき役は男女両方ともに課されます。
4. ステレオタイプが全てではない
漫画ですから、現在の日本の価値観に合わせたある種ステレオタイプ的なキャラクター作りがなされている面はもちろんあります。
主人公=男=理系というのもその典型ですね。しかし、当然ながら出てくる男性キャラクターたちが全員科学に詳しいわけではありません。千空とクロムは、作中で唯一の科学オタクとして描かれます。千空は父親という存在が彼の科学好きというアイデンティティーに強く関係していますし、クロムは小さい頃から石をコレクションするのが好きで、それが高じて科学に発展しています。「男だから」理系なのではなく、ちゃんと背景があった上での「科学好き」なわけです。
また、杠という女性キャラクターが異常なほど裁縫が得意な人間として活躍しますが(これもまたステレオタイプ)、彼女も「女だから」という安易な理由で裁縫を任されているわけではありません。杠には手先が超絶器用で元手芸部という設定が”わざわざ”あります。これは何の言及もなく「女だから」なんとなくお裁縫キャラにされている、ということとは大違いだと思います。他の女性キャラクターが、「女だから」裁縫が好きで得意だろうと決めつける考え方も作中には当然ありません。
作品の性質上、登場するキャラクター個人個人に特技がありますが、その特技がある種ステレオタイプ的であっても、それが「男だから」「女だから」ではなく「その人だから」という納得できる設定が付け加えられているところに注目するべきなのです。
普通なら男だから〜女だから〜で流されてしまうような設定に、わざわざ理由が付け加えられている。そして、男だが科学はわからない、女だが裁縫は無理、という「ステレオタイプの外」も当然のように描かれている。この漫画がステレオタイプの押し付けだ、と感じた人は一度すべての色眼鏡を取っ払ってもう一度読んでみてください。「例外」が必ず描かれています。
最後に、南が鏡を手にするシーンや、氷月とモズのシーンで好き放題「女はみんな俺のもの!」的なことを言いまくっていた龍水という俺様(?)で強欲(?)なキャラクターのセリフを一つ。
「俺はすべての女が大好きだ当然貴様もだ 男もな!!全員欲しい!!当然司もだ!!」
(単行本16巻より)
すべての女は美しい!俺のもの!みたいなことを言う俺様女たらしキャラって、今までもきっといたと思います。一見リベラルなように見える「すべての女は美女」論ですが、それだけじゃ結局ただの女体大好き人間で、「女=男が評価して所有するもの」という価値観からは抜け出せません。
しかしこの龍水のセリフ。
このセリフは別に彼がバイセクシュアルであることを示したわけではないと個人的には思います(もちろん、そうである可能性もあります)。そもそも彼のよく言う「欲しい」という言葉が、性的対象としての「欲しい」なのかどうかは甚だ疑問ですし。
ともあれ、俺様キャラの言う「すべての女は俺のもの!」的な発言に、「男もな!!」をわざわざ付け加えていること。これこそがこの作品の誠実さ・丁寧さを表していると思います。
もちろん、読みながら首を捻るようなシーンもあります(コハクのゴリラ呼びとか)。けれど、これはフェミニズム方面じゃなくてもですが、どこにも傷のない、何の差別意識も持たない作品を書くことなんて不可能だと思います。
大切なのは「考えている」という姿勢です。この作品は、何度でも言いますが、少年漫画として先進的で新しい価値観を持っている作品だと思います。
何も考えていなければ、モズと氷月の会話も、南のカメラも、龍水の「男もな!!」も絶対に存在しないはずです。そこがあえて描かれていることの意味を、絵柄や一部のセリフだけを切り取って批判している人たちには、ぜひ考えてほしいと思います。
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