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元吉原奇譚

「吉原」といえば世に名だたる江戸の不夜城、340年という年月を駆け抜けた伝説の遊郭だ。華やかな郭の情景や妖艶な花魁の姿は映画や小説、ドラマや漫画などで誰もが一度は目にしたことがあるポピュラーな歴史の一幕だろう。一方で一世を風靡したはずの最強風情が現在はその跡形がほとんど消失していることが大変心寂しい。もちろん「吉原ゆかりの・・・」といった辛うじて想像するにとどまる公園や寺社は残るが吉原という地名すらきれいさっぱり消えているのだ。吉原遊郭マニアの身としてその幻影が残る「千束」という地の付近に住まう機会を引き寄せ夜な夜な千束のソープ街を自転車で散策する奇行に走った時期もあったのだがやはり当時の面影が重なるような場景を窺うことは叶わなかった。そこへいくと西の女王、大阪の飛田新地などは今も明治時代から続く遊里の街並みをしっかり継承されているという素晴らしきかな。いつか訪れることを切望している。ただこちら、見て回るだけで写真を撮って歩くなんてのはNGだとか、色々なウワサも耳にする。飛田新地のことなら俺に任せろ、という殿方、単に観光経験がある、という御婦人がいらしたら是非とも詳細情報求ム。ってなわけでこのほど歩くは黄金期の江戸吉原遊郭ではなく、その黎明期でほんの30年前後という短い期間を賑わせた「元吉原」と括られる遊郭があった町、人形町だ。

人形町といえば個人的には幾度となくお世話になった「水天宮」の側の町、という印象ではあるが、グルメ散歩の人気スポットとして、はたまた新参者の加賀恭一郎でお馴染みといったところだろうか。

名店は立ち並ぶが不思議と敷居の高さのような威圧感は感じられない。

今半名物すき焼きコロッケを頬張る若いカップルも見かける。甘酒横丁で食べ歩きとはオツなデートしてらぁ。

実に喫煙率が90%だったという江戸の街。そして江戸っ子にとって仕事をサボるための大切な場所でもあったという呑み屋や蕎麦屋。息抜きできる空間を提供し続けるぜぃ、という店の意地と心意気だろうか。嫌煙家の御仁には石を投げつけたくなるような不愉快極まりないヒトコマに写りましょうがほんのつまらぬ戯図ってことでここはご愛嬌、どうか容赦願いたい。たばこついでに「煙草入れ」という小物がこの時代の男性のオシャレを楽しむ一番のファッションアイテムだったという話がある。博物館で実物を目にしたことがあるが渋めダンディ、ちょいキラキラ、インポートちっくなもの、と見目麗しいものばかり。遊郭の女郎たちも煙草入れを見て客の値踏みをしたそうで、野暮ったいものを身に着けてると「こいつイキってるけど金ねーな」とか逆にチラっと見えた煙草入れが上質で洒落たものだったりすると「おや、旦那♡」ってな具合になったんだろう。

もちろん彼女たちはプロだからお金を落としてくれる客がなにより重要なんだろうけれど、いわゆる「いい仲」「馴染客」として信頼を寄せたり好感を持つのは「おもしろい人」だったという。ましてや庶民の町ではダジャレばっかり言う男が人気だったなんて説もあり、それもウィットに富んだクオリティの高いギャグセンスとかではなく「何いってんだいお前さんはまったくバカだねぇ」なんて呆れられるくらいバカバカしいやつだ。バカバカしいダジャレを伝授するセミナーのようなものあったようで、いつの時代もみんなセミナー好きねぇ、と愉快な心持ちになるものの、今のご時世でよく見かけるもんとは月とスッポンほどの違いを感じる。愛しい花魁のハートを摑むため、隣に住んでるお絹ちゃんを笑わすため、まぁなんと人間のピュアでシンプルで高尚な様なのか。

大火事が多発した江戸。市中でも火事、水害、流行り病は日常茶飯事。吉原遊郭にいたっては優に18回の全焼沙汰が起きている。「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉があるが単純に江戸名物を表すものだと長年思い込んでいたのだが別の解釈もあるってんで聞くところによると災害が起きれば復興事業で仕事が増える、新しい商売が生まれる、喧嘩の後は仲直りでお酒を酌み交わすから飲食店も儲かる、という失うことに慣れてる江戸経済の本質をちょいと隠し味を仕込んで言い表した言葉だったと聞き大変恐れ入った。失っては新しいことを生み出して仕事が増えればサボって呑み屋で一服だ。言いたいことを言い合って派手に喧嘩した友達と女を口説くためのダジャレを考案してバカ笑い。熊さん、八っつぁんたちと呑んだら浮世の憂さも晴れるってもんだろう。一緒に呑みたいなぁ。なんて思っていたら「そんなバカバカしいことばかり考えてんじゃないよ、まったくお前さんは」とマスク姿の花魁に笑われた。



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