「モラ」と言う言葉に潜む危険性について
先日ツイッターであげた4つの宿題の中とは別のお話になりますが、今回は以前から気になっていた事についてです。
書いていたら取り留めのない話になってしまいました。ちょっと長いかも知れません。
きっかけは、たまたまフォロワーさんからのリプの一文が元々少し気にしていたものと関連があるものがあったので、今回はそれについてのお話しさせて頂く事にしました。
「モラ」と言う言葉の意味は?
“所謂モラと言われる人だって、逆に誰かもモラだと断罪する人だって ”
これがその気になった一文なのですが、ツイッターで多くのモラハラ被害者の方々と繋がっていると、かなりの確率でその被害者の方々は「モラ」と言う言葉を当たり前の様に使われています。
僕も最初の頃はその「モラ」と言う言葉を「モラ夫」や「モラ嫁」の様に“モラハラをする夫”や“モラハラをする嫁”を短縮した言葉と同じで、「モラルハラスメント」と言う言葉を短縮した言葉が「モラ」なんだと理解して使ったりしていました。
でもツイッターで様々な被害者の方のツイートを見ていると「モラ」と言う言葉は、もっと別の意味でも使われてると感じてから、自然と使わなくなりました。
「モラルハラスメント」
“モラルハラスメントとは、モラル(道徳)による精神的な暴力、嫌がらせのこと。俗語としてモラハラと略すこともある。”
Wikipediaより引用
ここにも書いてある様に、元々「モラルハラスメント」とは行為を表す言葉で、個人を形容する言葉や断罪する為の言葉では無い様な気がするのですが、なんだか日本語としての「モラ」は違った意味を持ってしまったのかも知れません。
ただ、僕がここで伝えたい事は『「モラ」と言う言葉の使い方が間違っているから正しく使いましょう』的な事では全く無くて、もっと違うそんな事よりも大切だと思っている事です。
それを理解して頂くには上記のWikipediaの「モラルハラスメント」のページを読んだ事の無い人は、軽く流し読み程度でもして頂くと理解し易いかと思います。
「モラ」と言う言葉を多用する人々
僕がツイッターで感じる「モラ」と言う言葉を多用する人々の印象です。
(※被害経験が無い方で「モラ」と多用される方は別の方もいらっしゃいます)
一応モラハラの被害者の方々のツイートで、加害者に対しての愚痴的なツイートだったりするのでしょうがないとは思うのですが、
・攻撃性が有る
・馬鹿にしたがる
・マウントを取りたがる
・恨みや憎しみ感が強い
等々で、これ現在進行形で被害に遭われている人なら特に分からなくもないんです。
普段から加害者の攻撃対象にされて心身ともにボロボロになっている時に、その怒りの捌け口としてのツイートなら当たり前の様に怒りの感情も出るでしょうし、馬鹿にもしたいでしょうし、マウント取りたかったり、恨みや憎しみがあっても当然だと思います。
しかし気になるのは、現在進行形の被害者では無い人、既に離婚もされていて、楽しく幸せにやっていると言う人の中でもこれらを強くツイートから感じる人がいます。
そう言う方のツイートは、特に上にあげた中では「マウント」と「馬鹿にする」ような印象を強く感じる様な気がします。
(※多分本人には自覚は無いと思いますが)
普通に考えて、「モラハラの被害を受けていた結婚生活」と言う問題が解決したとしたら、その“元”加害者に対してマウントを取ったり、馬鹿にしたり、恨みや憎しみを何年もツイートし続けているとしたら、それは果たしてその方の心の中で、本当にその問題が“解決した”と言えるのでしょうか?
ただ、こう言うモラハラサバイバーのツイートを見て共感し、「こんなにカッコよくマウント取れるなんて」と普段から散々マウント取られまくっているモラハラ被害者の方々がそう言う方のファンになって行くのは当然なのかもしれません。
実際そう言うカリスマ性をお持ちの方々が、かなりな数のファンを獲得していて、かなりの影響力が有るであろう方も沢山いらっしゃるので、そう言う方が「モラ」と言う言葉を多用していればそれがスタンダードになってしまうのも仕方がないのかも知れません。
ただ、被害者の方々の中にはそうで無い人々もいます。僕もどちらかと言えばこちら側だったのかと思いますが、余りにも理不尽な攻撃性と長く生活する事の弊害だと思うのですが、「攻撃性」に対し“恐怖”と共に“嫌悪感”もかなり強く感じる様になってしまいます。なので自分自身が「攻撃性」を持ったり感じたりする事に対し、強い“嫌悪感”を感じてしまいます。
なのできっと自分の中の「攻撃性」を“抑圧”してしまっているのだと思います。
“抑圧”とは無意識のうちに気持ちや感情を抑え込んでしまうと言う事で、どちらかと言えばあまり良くない傾向だと思うのですが、これが生粋の「被害者体質」と言うものなのでしょうか。
「モラ=ゴール」???
その「モラ」を多用する方々のツイートやリプのやり取りを見ていると、
「モラだからしょうがない」
「所詮モラ…」
「モラだったなんて…」
「モラってそう言うものですよね」
「それは完全にモラですね」
みたいに最初にお伝えしていた
「モラハラ=行為」
では無く、
「モラハラ=(何か?)」
になってしまっている様に思えます。
その(何か?)はニュアンスから感じ取ろうとすると何か固有の「病名」かの様に感じます。
例えば診断の結果“病名”が付く様な、何かしら重大な病名を宣告されて、その病気が全ての“原因”だと知った時の
「ああ、○○ならしょうがないか」
の様なそんな感じです。
被害者の方々が
「何故こんなに理不尽な思いをしなきゃいけないの?」
と悩んだ結果自分の置かれていた状況が「モラハラ」だったと気づいた時の「モラハラ」だったと言う“結果”ならば違和感は無いのですが、何故か「何故加害者はモラハラをするのか?」の原因が「モラだから」になってしまっている様に受け取れてしまいます。
良くよく考えると「モラハラの原因はモラ」ってちょっとおかしな印象を受けるのですが、中にはそれを誇張する様な独自の表現をされている、これまた影響力のある方もいらっしゃいます。
特にそう言う方々をどうこう言うつもりは全く無いのですが、先程の
「モラハラの原因がモラ」
と言う言葉の違和感を何も感じずに影響力のある方々が、ど素人の僕が聞いても違和感を感じる様な情報を迷う事無く発信し続けている事に対しては少し不思議な気がします。(※一応不思議に感じる主張をされていたので、それについて質問をした所、該当ツイートは削除された後にブロックされた方もいらっしゃいます。ご迷惑なリプをを送ってしまい申し訳ございませんでした。)
ただ、先に言ってましたWikipediaのリンクをお読みになってる方はお気付きでしょうが「モラルハラスメント」の提唱者はモラルハラスメントの加害者の人格・心理構造についてはこう言っています。
マリー=フランス・イルゴイエンヌによると、
「自己愛的な変質者」は、誰かから奪うことを欲している、内心の葛藤を自身で引き受けることが出来ず外部に向ける、自身を守るために他人を破壊する必要を持つという「変質性」を持つ。子供の頃に受けた何かのトラウマによってなる性格だと考えられるが、普通の人なら罪悪感を持ってしまうような言動を平気で出来る、そのような特徴から「症状のない精神病者」と理解される。加害者の攻撃性はナルシシズムが病的に拡大されたものである。
Wikipedia【モラルハラスメント】より一部抜粋
と説いています。
「モラ」と言う言葉はモラハラ被害者にとって共感を求め、また共感を得る為の言葉としては大切な言葉なのかもしれません。
それについては全く異論も反論も無いし僕自身、違和感も感じる事は有りません。
考え方や言葉の使い方は人それぞれなのでとやかく言うつもりも無いし、どう思ったり考えたりするのも個人の自由ですが、ただ、はっきりと言える事は「モラ」と言う言葉はモラハラの原因では無いし、モラハラ被害者が辿り着いた方が良いと思われる情報(ゴール)では無いと言う事です。
もし、そこそこの知識がある前提で「モラ」がモラハラの原因だと考える人がいたとしたら、モラハラの提唱者マリー=フランス・イルゴイエンヌさんが、どんな気持ちで多くの被害者に寄り添い、その声を聞き、どれだけの加害者から罵声を浴びせられ罵られながらも時間をかけて研究してきたのかと言うイメージが出来ない人なんだと思います。
そう言う長年の研究とモラハラの被害者を何とか助けようとして努力を重ねて来た“提唱者”の研究内容や、その他の医学的、心理学的な内容には触れず、それなりの影響力のある方が独自の「モラ」と言う理論を布教する様に情報を発信している事には多少の違和感を感じます。
ただ、そう言う方の“独自の理論”【モラ】を信じてしまう方々も大勢いて、そう言う方々は“独自の理論の提唱者”から
「あー、それは完全にモラですね」
と認定されると
「やっぱりうちのモラ夫はモラだったんだ…」
と“モラハラの原因はモラ”と言うゴール(?)に辿り着いてしまうのだと思います。
“モラハラの原因はモラ”と言うゴールの危険性
【モラハラの原因は“モラ”】と捉えてしまうと、その考え方は独自なもので、それこそモラハラの提唱者や心理学や医学とは、かけ離れた理論なので場合によっては様々な弊害が出て来ます。
実際の所、何処をどう考えても「モラハラ」の原因は「モラ」では無いので、「モラ」と言うものの本質や、その加害者の心理や人格についての正しい情報に辿り着き難くなってしまいます。
実際、ツイッターでそう言う「モラ」と多用する方々からも質問や相談のリプやDMを頂く事が多いのですが、そう言う方々の多くが、普通に調べて行けば辿り着くはずの「モラハラ」に関わる、特に加害者の人格や心理構造等に関連する情報を全くご存知無かったりする方だったりします。
そう言う情報をお伝えして感謝される事に対しては嬉しく無い訳では無いのですが、僕は勿論専門家では無いし、ましてやカウンセラーでも無いので申し訳ない気持ちです。
ただ、普通に調べれば辿り着けるはずの情報に辿り着けていない事に対して、疑問を感じる訳です。
ここで僕が「モラ」と言う言葉がゴールになってしまう事に感じている危険性ですが、僕も現役の被害者だった時に散々悩み、迷い、考えました。
被害者は常に「何故?」と悩んでいるのだと思います。それは「モラハラ加害者」の理解出来ない思考や言動、行動、や理不尽さ、そして得体の知れない“怖さ”の理由(原因)が分からないからだと思います。
「こんなに努力して来たのに何故?」
と悩み、迷い、考えます。時には怒りと言う感情を感じながら「何故なの?」と。
そこで自分の置かれている状況が「モラハラ」だと気付き、SNSとかで情報を集めます。そこで自分と同じ様な被害者が多くいる事実を目の当たりにするのですが、そこで沢山の「モラ」と言う言葉を使う人達に出会います。
多くのモラハラの渦中にいる被害者の方々は「モラ」と言う言葉に対し、怒りや憎しみを感じているのだと思いますが、それもその「得体の知れない“怖さ”」をどこかで感じているからだと思います。
そしてその結果
【得体の知れない何か】=【モラ】
の様な構図になってしまったのでは無いかと考えました。
【得体の知れない何か】=【モラ】
と言う感覚を共有する事自体は、きっとそんなに難しい事では無く、常に【得体の知れない何か】に脅かされている人達にとってはとても共感出来るワードだったのだと思います。
そして、
「【モラ】=【得体の知れない何か】=だからしょうがない。」と言う逆説的な結果を導き出してしまったのでは無いかと思います。
その結果被害者は「得体の知れない何かだからしょうがない」と言うきちんとした理由も分からないままに諦めなければならないと言う中途半端な状態になってしまっているので、いつまでも加害者に対して「負の感情」を持ち続けてしまうのではと思います。
※「あんな酷い目にあわされたのに負の感情を持って何がわるいんだ」と感じる方もいらっしゃるでしょうが、それが一時的なものならば構わないのかもしれませんが、何年も続くそれはもはや「呪い」です。
もしあなたが子供ならば、何十年も人を呪い続ける親に育てられたいと思いますか?
ただ、はっきりと言える事ですが「モラ」と言う言葉が「モラハラ加害者」だとするならば「モラハラ加害者」は決して【得体の知れない何か】では無く「何故?モラハラをするのか」と言う理由も原因も、モラルハラスメントの提唱者を始め、多くの研究者や専門家がある程度解明しています。
誰が何を信じたとしてもそれは自由な事ですが、僕は、良く分からない持論を振りかざす“自称”専門家や“自称”セラピスト、“自称”治療家と名のる方々よりも、きちんとした専門家の方々が積み上げて来たものを大切にした方が、モラハラについて真剣に悩んだり、考えたり、困ってたりする人達にとっては遠回りする事無く、問題解決の為の糸口を見つける事が出来ると思います。
「モラ」と言う言葉を使わない人々
ここでちょっと逆のパターンで「モラ」と言う言葉を使わない人々が、モラハラ被害者や元被害者の方々の中で一定数いらっしゃいます。
不思議な事にこの「“モラ”と言う言葉を使わない人々」のツイートにはある傾向があります。
・攻撃性が無い
・馬鹿にしてる感が無い
・マウントを取る意思が無い
・恨みや憎しみ感が薄い
等々です。どちらかと言えば“元”被害者の方が多いので、どうしてもこう言う傾向になるのだと思いますが、先程言っていた“元”被害者とは真逆の方々です。
そして、この方々にはある共通する事があります。
それは、モラハラ加害者の特性をある程度理解していて、そしてその原因も充分に理解されている方が多い様な気がします。
その理由は、モラハラの加害者の大きな特性の一つに「依存体質」と言うものがあるのですが、その「依存体質」の人と生活を共にしていると“依存”される事に慣れてしまい、気がつくと自分自身がその“依存される事”に対して「依存」してしまう様になってしまうのです。しかも自覚出来ない状態で。
「モラ」と言わない方々からはそう言う「依存」は感じる事が無く、きちんと“自分自身の足でそこに立っている”と言う印象を受けます。
時にはフラッシュバックに悩ませられながらも、強く自分自身であろうとするその姿は尊敬に値するものだと思っています。
モラハラの被害者が目標とした方が良い人とはこう言う人で、あらゆるものに対しマウントを取ってバッサバサと切り捨てて行くような人では無いのだと思います。
僕もそう言う方々を目標にしてやって来ました。
もし、
「私はあんな人に“依存”なんてして無い」
と言う方は自分自身を振り返ってみて頂きたいのですが、「何かのせいにする」という事も「依存」の一つです。
加害者に対する「怒り」や「憎しみ」もその期間が長くなれば、それは「依存」になるのだと思います。
気がつくと自分の判断で、自分の意思で、決断出来るはずの事柄が、
「本当は○○したいのに“あいつ”が△△だから出来ない」
と“誰かのせい”にしてしまって決断出来なくなってしまいます。
Twitterでもたまに見かけますが、例えば、かなり酷いモラハラ環境に親子でいるにも関わらず、「○○だから自分では何も出来ない」と言いながら「宝くじが当たれば直ぐにでも離婚してやるのに」の様なツイートしてたりする方を見かけますが、(これは特に離婚を強要したり、離婚する事が正義だと言う訳では無いのですが) 逆に考えると「どんなに酷い状況でも宝くじが当たらなければ離婚しない」と言う事になります。
「もっと酷くなれば私だって」と思い立って行動出来ればよいのですが、果たして、「絶対に離婚してやる」と言いながら、まず当たる可能性の限り無く低い“宝くじ”に依存してる方が行動に移せるのでしょうか?
大切なのは“誰か”や“何か”のせいにする事無く、自分自身の意思で判断し行動する事だと思います。それが「自分の足」で立つと言う事で、モラハラやDVの被害から抜け出す為には自分自身で自分を助けるしか無いのだと思います。
まとめ
想像を絶する状況の中で、ほとんど何も持たずにお子様と共に逃げ、必死に生きている方もいらっしゃいます。きっとその方の今の生活は大変で、辛い事も多いのだと思います。
ただ、モラハラ環境下の様に先も見えず全く実りの無いものに対して辛い思いをし続ける事とは違い、大変で辛い日常の先には明るい未来が広がっているはずです。
そして何よりも「心が自由」である事、「人としての尊厳」が当たり前にある事に対し幸せを感じ、それを本当に日々噛み締めて生きてらっしゃるのだと思います。
その方が、何ものにも依存せず、自らの足で立ち上がる覚悟をされた結果が、今現在の「自由」を勝ち取られたのだと思います。
今回は「モラモラモラモラ」とお伝えして来ましたが、別に「モラ」でも何でも構わないと思います。
ただ、自分が置かれている「心が不自由」で、「人としての尊厳」を踏みにじられる日々から抜け出す為には、何でも決めつけてしまう事無く、柔軟な発想で、様々な可能性を検討してみると言う事が大切なんだと思います。
その為には自分にとっては耳の痛くなる様な話だとしても、場合によっては聞いていた方が良いケースもあるのかも知れません。
もし、「今を変えたい」と思っているにも関わらず、「何年も状況が変えられていない」と感じてる方は、自分が柔軟であるか、強く思い込んだり何かを一方的に決めつけていないかを考えてみて下さい。
きっと自分自身の納得出来るゴール(情報)に辿り着けた時には、様々な事が見える様になり、歯車もしっかりと噛み合い、止まっていた時も動き出すはずです。
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