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「もしかして自分が?」自己愛性パーソナリティ障害を知ったモラハラ被害者(毒親育ち)が迷い込む迷路

久しぶりのnote更新です。

最近はTwitterの仕様が変わり、様々な機能がプラスされているのですがフォロワーさんの希望で【Twitterライブ】やってみたりしてます。

いつまでアーカイブが保存されるのかは確認していませんが一番最近のライブのリンク貼って起きますね。

この回は特別ゲストとしていつも専門的知識のアドバイスをして頂いている「こぎぃさん」に来て頂き「NPDの人間は人を愛する事が出来るのか」をテーマに貴重なお話しを聞かせて頂いてます。

なかなか普段専門的な知識をお持ちの方に直接お話しを伺う機会は無いので聞きたい事が多過ぎてついつい時間が長くなってしまいました(^0^;)

それではそろそろ今回の本題を。

今回のテーマは「もしかして自分が?」自己愛性パーソナリティ障害を知った被害者が迷い込む迷路 と言う事で、元々気にはなっていたし、実際自分もそう言う時を経験して来たので、それについてお話ししてみたいと思います。

下げられまくった自己肯定感の先にあるもの

モラハラの被害者は、常日頃から暴言を浴びせられ、人格否定され続け、さらにダブルバインドやガスライティングで精神をぼろぼろにされています。

その影響で自己肯定感は下げられ、自分に自信が無くなり、自分の判断にも自信が持てなくなり、何か問題があると
「私が悪いのかも…。」
と元々責任感が強い事もあり、こう言う思考に陥ってしまいがちになってしまいます。

本来ならばパートナーに強く言い返せる様な人だとしても、ある程度モラハラ環境が長期に渡ると次第にそれも言えなくなってしまいます。

そうなると被害者は様々な感情を【抑圧】していまいます。

“抑圧とは、自我を脅かす願望や衝動を意識から締め出して意識下に押し留めることであり、意識されないままそれらを保持している状態である。精神分析において想定される自我の防衛機制のうち、最も基本的なものと考えられている。”

【抑圧】についてはこの動画がとても参考になります。

この動画の中で加藤諦三さんは

「抑圧されたものは反動形成により攻撃性に置き換わる」

と仰っていますがモラハラの被害者も心の何処かに攻撃性を抱えています。


この動画では無いのですが加藤諦三さんは

「攻撃性は安全な所に向けられる」

とも言われていて、必ずどこかにその攻撃性が向けられると仰っています。

モラハラ被害者の方ならば自分の何かの感情が【抑圧】されてると思い当たる節がありませんか?

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「自己愛性パーソナリティ障害」を知る事の弊害

モラハラ被害者にとって自分を苦しめるものの原因を知る事はとても大切な事だとは思いますが、実は弊害もあります。

その弊害の一つ目が
「自分のパートナーがNPDだと受け止められない」

これはある程度おおよそのNPDについての情報が自分の中に入っては来てみたものの、その事実を認める事が出来無いと言う状態です。

僕もNPDの情報に初めて触れた時は、自分の知りたかった事が全てそこに書いてあると衝撃を覚えたのですが、次に考えた事は
「NPDって治療出来るの?」
と言う事でした。

時間があればスマホで「自己愛性パーソナリティ障害 治療」と検索し、妻を元に戻す手段を必死で探しました。

ある程度経った頃に「NPDの治療」に関して自分なりの答えが出ます。

「治療は困難」

不可能では無いし、治療されたと言う「元NPD」の方もいらっしゃるので出来無い訳では無いが様々な状況や条件を考えると自分の置かれてる環境で元妻を「治療」すると言う選択肢が無くなった。
※初めにリンクを貼ったTwitterライブに自己愛性パーソナリティ障害の治療がいかに困難なのかのお話しが出てきます。

その時に考えたのが「本当はNPDでは無いのかも?」と言う可能性でした。

しばらくその考えがぐるぐる回り、結局僕の場合はNPDだと言う事実を受け止めました。

ここで一言言わせて頂きたいのですが、NPDについての診断はそこまで重要だとは個人的には考えていません。

何故かと言うと、モラハラの提唱者はモラハラ加害者をほぼNPDと特定してると言っても間違いでは無いと個人的には思っています。

モラハラの提唱者はモラハラを「精神的な殺人」と主張しています。

その「精神的な殺人」をする特性を持った人なのかもしれない…

その可能性を被害者が感じ取るだけで充分で、そこまで被害者を追い詰めている事実があれば、被害者が幸せになる為にはそれ以上何も必要無いと思います。

ただ、自分の選んだ人が「精神的な殺人をする特性を持った人」だと言う現実を被害者が受け止められるのか、と言う事が問題です。

これは僕の中でもかなり葛藤がありました。実際これを受け止めて認めると言う事は、今までの2人の思い出や歴史が全て幻想だったと認める事で、大袈裟に言えば自分自身の過去やそれに伴う選択や判断を全て否定してしまう事になるからです。

とんでもない取り返しのつかないミスや間違いを長期間に渡り犯していたと自覚するってとても難しい事だと思います。

たまにTwitterで初めてNPDの情報に触れ、思い当たる節がありながらも何故かそれを認めたがら無い方を見かけると、この時の迷いの中にいた自分を思い出します。

共依存について

もう一つの弊害が今回のテーマになるのですが

「もしかして自分がNPDなの?」

です。

これは僕も陥った問題で、自分でもかなり迷いました。

今、客観的に当時を振り返る事が出来る様になった視点での意見になるのですが、「モラハラ環境にいる事を気付けない」or「気付いても現状維持を選ぶ」人は「共依存」と言う状態だと思います。

モラハラの被害者の方々のツイートを見ていて思うのは、「モラハラ被害者の共依存」は多分2タイプある様に感じます。

その一つが「ポジティブな共依存」です。
この場合の“ポジティブ”は陽気とか明るいの意味では無く+(プラス)の意味で加害者への怒りが外に出せている場合です。

これは僕がこちらでは無かったのでTL見てての私感になるのですが、とにかく加害者への怒りが満ち溢れています。
抱えるよりは良いと思うのでしっかりとTwitterで吐き出して「スッキリした」ツイートしてる方を見かけるとなんだか画面のこちら側から応援しつつも何か安心する所があります。

ただ、お子様のいらっしゃる方は気をつけた方が良いと思います。
子供の前ではそう言う面を見せない様にしていたとしても子供は親の無意識を感じ取ります。
加害者は基本的に無意識の中に攻撃性を秘めています。被害者も同じ様に加害者からのモラハラにより様々なものを抑圧され、それが反動形成により攻撃性に置き換わっています。両親が共に無意識に攻撃性を抱えている育成環境は必ず子供に負の影響を与えます。
この事を被害者はしっかりと認識していないと後々大変な事になります。

話を元に戻しますが、怒りが外に向いている限り「自分がNPDなのかも?」とそこまで悩む事は無いと思うのですが、もし怒りを発散しながらも「自分がNPDなのかも?」と悩んでしまう方はこの先をお読みください。


*   *   *

番外編ですが、「ポジティブな共依存」の方の中に「モラ夫に言ってやった!」と怒りを加害者に思いっきりぶつけているツイートを日常的にされてる方をたまに見かけますが、こう言う方はある意味勇者だと思います。
多分そう言う方はこのnoteをご覧になる事は無いとは思いますが特に何かを学ぶ必要も無いし、きっとその方は大丈夫だと思います。


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もう一つの共依存のパターンがポジティブの逆の「ネガティブな共依存」です。
この場合の「ネガティブ」も同じように-(マイナス)の意味でポジティブとは逆で加害者への怒りが外に出せずに、その怒りが中に向いてしまうケースです。

基本的にモラハラの被害者(特にネガティブな共依存の人)は「暴言」「人格否定」「ダブルバインド」「ガスライティング」や「認知の歪み」などの影響でドン底まで自己肯定感を落とされて、人間としての尊厳も奪われ「自分はダメな人間」「自分は何も出来無い人間」と思い込まされています。

ここまで追い込まれているので、例え「自分の配偶者が普通の人間では無く、この人と一緒にいても一生幸せになる事は無い、おまけに子供にも良く無い影響を与える可能性もある」と認識したとしても「どうせ自分は…」と逃げ出す事を諦めてしまう状態も「共依存」だと思います。

ちなみに僕はこちらのネガティブな方でした。

このネガティブな人間がNPDの情報を理解していく事はとても大切な事だとは思いますが、タイトルにもある様に弊害があります。

そもそもモラハラ被害者の1番のストレスは
「モラハラする意味(原因、理由、思考)が分からない」
と言う事だと思います。

人は誰でも正体不明の理解不能なものを恐れます。僕もかなり長くその正体不明なものに苦しめられました。
常に頭の中に
「なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?…???…」って。


それが「自己愛性パーソナリティ障害」と言うものを知ると、今まで「謎」だった事のほとんどが「謎」では無くなります。

今までに散々自分を苦しめて来た「謎」が理解すればするほどに「謎」では無くなる感覚は、言葉で言えばまさに「目から鱗が落ちる」様な感覚で、変な言い方かも知れませんが今まで幾ら考え悩んで来ても全く分からなかったモラハラ加害者の心理が手にとる様に分かる様になって来ます。

この段階になると今まで最大のストレスと恐怖の原因だった「謎」が無くなるので被害者は心理的にかなり“楽”になります。

ただ、それと同時にこの“楽”になる感覚は“罪の意識”に変わります。今まで散々苦しめられて来て「辛い」心理状態がデフォルトだった被害者は“楽”になる事が果たして良い事なのかの判断が出来なくさせられて来たのです。

そして自己愛性パーソナリティ障害を知る事により、モラハラ加害者の思考が手に取る様に分かる様になると独特の「万能感」を持ってしまいます。
この時点ではまだ反撃的な事は出来無いにしても今まで同じ土俵でボコボコにされてた相手を「神視点」で見る事が出来る様になります。
そりゃ「万能感」も生まれますよ。

「万能感」とは“自分は何でも知っていて何でも出来る”という感覚ですが、こう言う状態の被害者は加害者に対してはこう言う感覚を疑似的に覚えるのだと思います。

その理由は、「万能感」とは本来ならばあり得ない感覚ですがモラハラ加害者(自己愛性パーソナリティ障害)はデフォルトでその感覚を持っています。
そして被害者はその実際には無いはずの加害者の「万能感」をモラルハラスメントにより心に植え付けられます。

良く最中にいる被害者が「彼は仕事は出来る人だ」とか「部下からは信頼されてる」とか「凄い努力をして来た人だ」みたいな幻想に惑わされていて、実際離れてみて初めてその実態に気付き、本質を知る様なケースを多々見ていますが、それが植え付けられた「万能感」の正体です。

そして被害者は「自己愛性パーソナリティ障害」を知る事により「万能感」を持つ彼(彼女)等の全てを知る訳です。彼(彼女)等の「万能感」の上を行く「万能感」です。

本来ならば普通の人間が持つことの無い「万能感」と言う感覚を疑似的にでも持ってしまった被害者が感じる事が

「もしかして自分が自己愛性パーソナリティ障害なのかも?」

 と言う迷いです。

こうなると逆に被害者は罪の意識に苛まれます。
「自分が一番嫌いで恐れていた人間と同じ人間になってしまった…。」と。

そこでNPDの特性の話になりますが、NPDの人間の核になるものは【無意識に抱えた想像を絶するほどの劣等感】です。その劣等感を自らが受け止める事が出来ずにいる自分を無かった事にする為に自分が優位で無ければならないのです。その為に彼(彼女)等の無意識はその心に「万能感」と言う幻想を現実の様に刻み込んだのです。

彼(彼女)等(NPD)は「無限の万能感」を持っています。自分は常に正しく何でも知っていて何でも出来る存在なので自分の行いを振り返る必要がありません。何か問題が有れば全て他者(ターゲット)のせいです。なので何があっても彼(彼女)等は自らを振り返ったりはしません。

と言うか、“振り返ったりはしない”と言うよりは「死んでも振り返る事が出来ない」と言った方が正しい表現なのかもしれません。

それが「自己愛性パーソナリティ障害」、モラハラ加害者としての証です。

逆に被害者はどうでしょう。

例えば被害者がNPDの人間と同じ様な「無限の万能感」を持てると思いますか?

擬似的な万能感を持っていたとしても常にどこかで
「もしかして…。」
と迷っていませんか?

もしこの時に「迷いは無い、100%自分は正しく自分は何でも知っていて何でも出来る」と言い切れてしまうとちょっとヤバいですが、そう言う思考になれないのが「被害者体質」の人間の性(サガ)だと思います。

普通の人間、特にモラハラの被害者にターゲットとして選ばれてしまう人は、現実には有りもし無い「無限の万能感」なんて持つ事は出来無いのです。

なので大丈夫です。「もしかして?」と自らを振り返り悩む様な人間は絶対に「自己愛性パーソナリティ障害」では無いし、多少攻撃的になった所でそれは被害者としては当たり前の感情です。
攻撃性については今までに嫌と言うほど加害者からの攻撃的な言動や行動で脅かされていた攻撃性に対する嫌悪感が、自分の心の中に攻撃性を感じると、自分の心をざわつかせるのだと思います。

自分の時もそうでしたが、こう言う状態が共依存から抜け出す為の離脱症状な様な気がします。


「もしかして自分が?」と感じている時に大切な事

このnoteを読んで頂いて
「そうかっ!なるほどっ!」
と納得して貰えるのならとても簡単で良いのですが、今はそう思えても心の中に刺さった「罪の棘」はそう簡単には抜けてくれません。

そこでそれを解消する為の2つの方法を提案させて頂きます。

①共感力の高い人友人等に話を聞いて貰う
“共感力が高い”がとても重要な所ですが、自分の状況(モラハラや毒親)に対してある程度理解を持つ人にとにかく話を聞いて貰って下さい。只々頷いてくれるだけでも自己肯定感上がります。
もし聞いて貰う相手がいないならnoteのコメントでもTwitterのリプでもDMでもよいので連絡下さい。僕みたいなおじさんで良ければタイミングさえ合えば出来る範囲で引き受けます。※あくまでも出来る範囲です

②とにかく自分が抱えていた事をアウトプットして行く
これもかなり効果があるとは思いますが出来るだけ人目に触れるアウトプットの仕方をお勧めします。
Twitterや、しっかりと書きたいならnoteもお勧めです。
自分の抱えているものを文章にして書く事によって客観的に見る事が出来るのと、書き出す事によって自分の思考を整理する事が出来ます。
“人目に触れる”事の意味は「共感」です。なるべく多くの人に共感して貰うとより良いと思いますが「共感への依存」にはお気をつけ下さい。

NPDの人間と関われば関わるほどに被害者の頭の中は複雑に絡み合った糸の様な状態になっています。
その為にとてもシンプルな事でさえも複雑に捉えたり考えたりしてしまいがちです。

NPDの人間を信じるのが怖くなると同時に自分自身を信じる事にも懐疑的になってしまい、益々自信が無くなってしまいます。

なのでこの「自分の思考の整理」はとても大切な事だと思います。

どちらも結局は自分の自己肯定感を上げる為に効果的な手段だと思います。
ぜひチャレンジしてみて下さい。

まとめ

モラハラ被害者や毒親育ちの人がその原因が「自己愛性パーソナリティ障害」にあると気付ける事はとても意味のある事だと思います。

ここに辿り着くまでに、誰にも想像出来ないほどに悩み、辛い思いをされて来たのだと思います。でも、ここまで来れたならもう充分です。
他者の人生の犠牲者になるのでは無く、自分自身の人生を生きる資格を取り戻したと思って少しずつでも目標に向い生きていける様になるといいと思います。

誰かに怯えて暮らす日常は明らかに異常です。でも渦中にいるとその異常な状態が日常に置き換わってしまいます。
離れる事で初めてそれに気付けます。

僕もモラハラ環境から離れてみて初めてそれに気付けました。
モラハラをする人がいない生活環境。
そこには見た事がないほどに明るい未来があります。

それではまた。

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