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朝まで呑みたい素敵な夜の話

2022年9月4日、江口さんのソロライブ、朝まで呑みたい〜EGUCHI屋〜大阪公演に呑みに行かせていただきました。感想文を書きます。

前半は比較的レポ寄りの感想文、後半はずっと私がライブどれほど幸せだったかって話です。
特に後半は、より理屈っぽい特大自分語りになるのが目に見えているので申し訳ないしマジこれ誰が読むん……?と自分でも思うけど、最後まで読んでくれたら嬉しいな……というのが本音です。

⚠️二日酔い(概念)で記憶が曖昧です。
⚠️ 記憶改竄も覚え違いもあると思うけど、なんかこんなシーンあったな……というのは粗方合ってると思いますが、それがどこで起こってたかとかそういうのは全然違ったりするかも。

1.ライブレポ寄りの感想文

Love&Smile

バンドメンバーが揃い、みんなでジョッキを振りながら江口さんを心待ちにする。ついに始まるんだという緊張感の中、江口さんが登場して、親の声より聞いたイントロが流れ出した。
江口拓也ソロデビュー決定!という発表がなされた時の動画から、CDが発売されるまで、わくわくしながら繰り返し聴いた記憶があって、ソロアーティストとしての江口拓也さんの初ライブのはじまりにふさわしい曲だと思った。
何から始まるだろうねってみんなと話してた時、なんでこれだ!って思わなかったんだろう!
江口さんがゆらゆらふわふわと体と視線を動かしながら歌うのが好き。とくに三拍子の間奏が入るあのあたりとか。
江口さんはあんまり一人ひとりと視線を合わすわけじゃなくて、なんとなく一枚の絵を見るみたいな目線で、広い範囲を一度に見ているような感じがした。
わたしはここに来るまで、ありがたいことに、知らんうちに寿命の半分を悪魔に売り払ったかなと思うような良席を手に入れていたので、もしかしてばっちり目があったりしちゃったらどうしよう……!?わたしも「今の絶対目合った!(オタク的妄信の定番)(目線を向けたあたりの30人くらいが同じことを言っている)(それが楽しいよねっってやつ)」とか言うようになるのかな!?とか考えたりもしていたけど、本物の江口さんを見て、あ、これが江口さんだ、そうそう、とちょっと自分の妄想を修正した。残念だとか寂しいとかそういうことではなくて、いや嘘、すこしだけの寂しさがないといえば嘘、でも1%くらいの寂しさ以上に、自分の妄想が遠ざかっていく分「江口さんが目の前にいる」という現実を生々しく感じて、それが嬉しかった。
わたしはたまに夢に出てくるわたしによくわからんレベルでファンサをしてくれるよくわからん江口さんじゃなくて、わたしの妄想の中でしっかり目が合う江口さんじゃなくて、わたしのことをピンポイントで見つめたりしない現実の江口さんが好きで、その江口さんが目の前にいる事実が嬉しい。

AGARISM

この曲もライブの始まりに似合う盛り上がりの曲で、気分がとっても高まった。「だってまだまだいけるじゃない?」のところで、江口さんがライブで歌う時は、ちょっと声が上ずって、みんなを煽る感じの歌い方になっていて、ライブを感じた。終わらないのないとか、どきどきさせたいのたいとか、裏声が綺麗で好きだった。DECO*27さんに頭上がんないね。
初手からジョッキをたくさん振れて楽しかった。
この辺の江口さん、なんかちょっと緊張してる?というか力入ってる?感じがしてた気がする。

MC①

江口さんが私たちに向かって話しているのが嬉しかった。
この辺の江口さんはなんだかすごく、「今の江口拓也はこういう感じだよ」っていうパッケージングをやっているような感じがした。私の心に住む江口さんの概念が「やってんな〜〜」って言ってた。ここのMCの江口さんは目ガン開き率86%って感じだった。
今日のライブは呑み会ですからねっていってた。
「お酒大好きだよって人〜」「お酒まだ飲めない人〜」「お酒ちょっと苦手だよって人〜」って呼びかけてる時の声が小さい子に対するそれの感じでよかった。
でも大丈夫、心で呑むから〜〜!(目ガン開き)ココロにグイドリだからね。
「大丈夫、怖くないよ〜」「慣れたら気持ち良くなってくるからね」って言われて普通にえ、マジで、未成年いるの確認した後にこの所業。R-18じゃんね……。
私の心に住む江口さんの概念「良くないよぉ〜〜〜〜」
「飲むね〜」って宣言してお茶飲むのも好きだった。「ソフドリ入れるのも大事だから」って。
ソロライブはひとりで全部歌うから大変だって話してた。一人カラオケで10数曲歌うのしんどくない?最初にリハやった時にこれきついなって。みたいな。
ぱっと40分くらい歌っておわり!ってしようかとおもったけどプロデューサーにダメって言われた、って言ってて、江口さんらしいなと思った。曲数がまだ少ないから昔のも歌うねって言ってて、うわこれ絶対Catch a Breakもジンセイイチドキリもきける!と思ってたら、ピュアな小学生の純愛ソング、と言われてみんながざわつく。わたしもざわつく。
絶対に歌ってほしいと思っていたCatch a Break、こんな序盤で来ると思ってなかった。

Catch a Break

私はこの曲がとても好きで、以前のTrignalのライブでこれを歌っていた江口さんの映像がめちゃくちゃセクシー(cvサビ前の江口さん)で、とても歌ってほしいと思う反面、これはもう何年も前の曲だし、今の江口さんはこういうのあんまやらない気がする……という感じもあるし、江口さんが自分でも言うように声のキーとかも今と昔で結構違うなと思うので、どうなるんだろうと思っていた。
MCのお目目ガン開きの感じを引き継いでいる感じで、「Trignalの江口拓也」ではなく「ソロアーティストの江口拓也」、「30歳の江口拓也」ではなく「35歳の江口拓也」、としてのCatch a Breakはこうなるんだ、って思った。多分この曲だったかな〜〜?と思うけど、どこかの歌詞であまりにもエロい声出しててそんなエロい声で言う歌詞じゃねえだろと思ってきゅんとした。この曲か……?

Love Loser

この曲、ライブ前にスタンドマイク出てきたらどうしよう〜〜って友達と話してたんだけど特にそういうことは起きなかった。ちなみにこれはわたし的解釈なので知りませんが、仮にこれがTrignalの曲だったらスタンドマイクすると思う。また、20代の江口さんでもワンチャンスタンドマイクするような気もする。でも「今の」「ソロアーティストの」江口さんは確かにスタンドマイクしないわ!確かに!と思って、私はまた妄想を修正する。解像度が高まる高まる。
私この歌詞好きなので普通にドキドキしながら聞いてたのであとはあんまり細かい記憶がないです。今更だけど、個人的には恋愛強者そう(恋愛や交際というものに対する適性という意味じゃなくて、江口さんに好かれたら大概の女は落ちるでしょみたいな話)に見える江口さんが好きな人に一方的に好きでどうしようもなくなってる感じのLove Loserの歌を歌ってるのはなんか普通にやばいなと思った。

ハローグッバイ

あんまり江口さんこういうムーブしてた!という記憶がないのだけど、この時間は改めてちゃんと歌詞を聞くことで幸せになっていた。つまり特に何も考えていない。とにかく、江口さんがわたしたちに向けてかけている言葉、歌がこれなんだってことが嬉しかった。
この曲はすごく歌詞が優しくて、それを歌う江口さんの声も優しくて、生で歌う声のメッセージ性の強さをとても感じた。本当に月並みな言葉だけど、すごく心を込めて歌ってくれている感じがした。
日常的に楽しく聴きすぎてその感覚を少し忘れていたんだけど、初めてこの曲を聴いた時のような気持ちで、救われる曲だなぁと思った。
それひとつでヤケになるような酷いことがあったわけじゃないけど、ただなんとなく日々の瑣末なことが重なって摩耗したわたしが、夜中にひとりでベッドの上で丸くなって聴いている姿を想像した。
お守りみたいな歌だとあらためて思った。

SŌIUMONDA

冒頭ちょっと音程探してるのが生歌だ……と思ってきゅんとした。音程ちょっと探してたけど、音と音の間の高低差はブレてなくて、江口さん絶対音感じゃなくて相対音感の人だ……!と思った。伝わるかわからないので補足するけど、絶対音感は音単体に対して何の音かわかるやつで、相対音感は音と音の高低差わかるやつ。前者がドミソって音を認識してるのに対して、後者は最初の音→それより2つ上の音→それより2つ上の音、みたいな感じで認識してるので、調が変わって音の起点が変わった時は相対音感の方が対応しやすいという話があります。例えばドミソ→ソシレになった場合について考えると、絶対音感は全部の音をド→ソ、ミ→シ、ソ→レ、って頭の中で変換して出さないといけないのに対して、相対音感の人は起点のソだけ捉えれば、そこからはそれより2つ上の音→それより2つ上の音、っていうのは自分の元々の認識のままで使えるのね。余談ですが私は絶対音感の人なので、歌い手さんが歌ってるverでしか聴いたことのなかった歌とかカラオケで歌うとボロボロに死にます。
これも結構普通にいい歌だな……と思って聞いていました。江口さんのソロ、価値観をダイレクトに提示してくれる曲が多くて素敵だよね。わたしは江口さんのことを知ることができること、と、知る限りの江口さんの価値観がわたし的な好みに合うものであること、の2点の両方が嬉しくて好きです。
江口さんが直接作詞するわけじゃない分、言いたい内容としては江口さんぽいけど江口さんはこういう言葉選ばなさそうだなとか思うのもあって、自分で選ぶなら使わなそうな言葉で江口さんの価値観を知れるのもソロアーティストの活動の素敵なところだなと思う。言葉にしないものをあえて言葉にしてくれているというか。
例えば、筋書きもない〜僕たちは物語じゃない、あたりは割と江口さんの語彙に近そうだなぁと思うけど、だからこそ美しくて〜とか江口さんはあんま言わなそう、とか思うんだけど、どうかな。

MC②

キャラソンが好きな話を入り口に、江口さんのこういう(歌を歌ったりライブをしたりする)仕事に対するスタンスをしてくれた。
キャラクターならこうやって歌うかなって考えて作っていくのが好き。結局はものづくりが好き、世界が広がっていくのが好き。でもそれをみんなの前で披露するのが好きかって言われるとそれは別の話。キャラクターとして完成された姿があって、自分もそれに声を入れて、作り上げて、そこで自分的には完結しているから。ちゃんとキャラクターの姿があって、キャラクターが存在している上で自分が表に出ていくのはプレッシャーだし大変だけど、みなさんが喜んでくれるからやる。
そうでなければ、いや僕はそういうのはやらないです、ってなってたかもしれない。
というような話をしてくれた。意訳なので大体。
私は、「これは好きだけどこれは違う」っていう話に対して、そこで完結せずに、自分はこういう考えを持っているから、こう物事を捉えているから、という自分の思考の前提とかそういうところまで思考を深める行為やそれをする人が好きだし、そういう自己分析を私たちに伝えてくれるのもうれしかった。

Heart and soul

そんなキャラソンを歌います、ということでHeart and soulを歌ってくれることになる。わたしはまだ歴の浅いファンで、kiramuneについても予習をちゃんとしてきたわけじゃないのでこの曲の背景については知らなかったんだけどね。なんか珍しくジャケ写が絵のやつがあるな〜くらいに思ってたけど、聴いたことはあって、これもかなり前の江口さんが歌ってる曲なので今よりはキーも高い感じするし、歌うの大変そうな曲だと思ったけど、真っ直ぐ力強く伸びる声が印象的だった。
Trignalの頃に出ているソロの曲はどれも、今の江口さんが歌うとこうなる、っていうのを感じられたなと思った。
あとはバンドもめちゃくちゃかっこよかったし、バンドメンバーを煽ってる?江口さんがかっこよくて痺れた。
わたしはバンド系楽器は経験ないし詳しくないけど、ギターソロとかめちゃくちゃかっこよかったね。

カレパ!

江口さんは衣装をかえて白シャツでご登場。似合うね!!!!!!!白シャツでカレー食うのはリスキーだよね。
FFTのヤバ演出(カオス映像とかっこいい江口さんの温度差で脳がバグって死ぬ)の印象が強くて今回はなにするんだろう…て思ってたけど、今回はにんじんとか玉ねぎとか出てきた。ダンサーさんに何させてんのwwwと思った。
江口さん、着替えたばっかなのにまたはけるからどうしたんだろ〜と思ってたら黄色い紙袋かぶって登場して大正解!!!!!!!!と思った。
紙袋を被った謎の人にむかって光るジョッキを2400人が振り続ける謎の宗教団体が爆誕してシュールすぎて大笑いした。このトンチキ具合が江口さんだなぁと思ったし、こういうトンチキをやれているのはこういう場だからで、江口さんがある程度の立場を得ているからでもあって、なんかよかったなぁという気持ちにもなった。
頭動かしすぎて紙袋の側面が顔の正面に来ちゃった状態で固まってたのも可愛かった。

Good Unite Infinity

ついにきたGUI曲。元々ライブで盛り上がるための曲みたいなもんだし、めちゃくちゃ盛り上がって楽しかった。ほんとに。
江口さん、輝いててよかった。
「お酒は二十歳になってから、飲酒運転は法律により禁止じられています。用法用量を守って楽しくお飲みください」のところ、間奏の尺にあわせて言い切るの頑張って喋ってて可愛かった。
GUIのときジョッキを掲げた方がいいのかなとGUIのポーズ(???)で下げた方がいいのかなとの葛藤をずっとやってたけど本当に楽しかった。この曲大好き。
何も覚えてないけど〜で声が変わるのとかも生で聞けてよかった。

MC③

江口さんが割烹着きて出てきてEGUCHI屋ののれんかけてざわつく会場。
のれんかけるのにちょっと手間取ってるの可愛かったし、そのあとカメラアングル決める時みたいな感じで両手親指人差し指で四角作って見て、ちょっとひっかかってたのぺしって直してた。赤い提灯もつるして、コンセントさして、明かりがつくと会場から拍手が湧いて、オタクみんなに見守られて開店準備してるの可愛くてよかった。開店準備ができて、「今日も1日がんばるぞい」してる江口さん可愛かった。
バンドメンバーの皆さんが来店して、茶番が始まる。最後に来店したメンバーに冷房逃げるから扉閉めてねって言ってるのなんか好きだった。私たちがずっと立ったまま見てるから、みんな座っていいよ〜この茶番まだしばらく続くからね〜ってしてるのきゅんだった。なんか私たちに話しかける時ずっと幼女に話しかける口調なの何??優しいね。
私たちは推しのことかわいいかわいいしてるけど向こうは向こうでオタクのこと小さい子扱いしてる。両想いかな。
お酒(?)が運ばれてくる途中瓶が一個落ちて割れちゃったんだけど、江口さんが多少の動揺はあるのかもしれないけど全く空気を壊さずにいい感じに優しくそのまま進行してってるの、プロを感じて好きだった。
お酒の失敗ある〜?って話でワクワクしてて可愛かった。自分については、たまに失敗しちゃうんですよって言ってて、ファンのみんなもうおもらしを察してる空気感すごいよかった。
29歳超えたらやばいから気をつけて!って言われてお兄さんだ〜〜と思った(※ただし漏らしているお兄さん)。
29の誕生日から毎年やってる江口さんのこれからのおもらし報告も楽しく待とうと思う。
山手線で爆睡して6時間回り続けた話も好き。
なんか歌いたくなっちゃったな〜楽器できる?ってフリに、めちゃくちゃ楽器できるメンバーが「嗜む程度に……」「叩くだけなら……」「今日が初めてだけどやってみようと思う……」みたいな反応してくのめちゃくちゃおもしろかった。
コントラバスとか出てきて、わたしはクラシックの方ですがそういう楽器が身近な部活にいたので懐かしさを感じた。

ジンセイイチドキリ

アコースティックバージョンのジンセイイチドキリがきけたのやばいな……。
原曲はポップな曲調で背中を押してくれる感じだけど、アコースティックバージョンは寄り添ってくれる感じがする。
本当にいい歌詞だしこれが江口さんが書いた歌詞ってところも含めて本当にね、、
アコースティックバージョン、オリックスは狭い箱なのでなんか雰囲気がすごくあっててよかった。ありがたいお席の影響もあるけど、本当にバーとかにいてたまたま歌ってくれるたまたま歌の上手い素敵な人に出くわしたみたいな感じ。

Lonely Darling

アコースティックバージョンの似合う曲だった。
間奏の間に本多さんにグラス手渡されて、??ってなりながら飲んでるのよかった。
誰もが照らされてるみんな迷子みたいだな〜のあたりの声がすごい好きだった。というかアコースティックバージョンはどっちも、特に、優しい声で語りかけてくれるみたいなニュアンスがあって素敵だった。
最後のlalala……のところからの口笛吹いてくれたのも天才だったし、口笛ちょっとずれたりして自分でふふってなってたのも素敵だった。
力を抜いて歌ってる感じがすごいよかった。
江口さんの新しい一面を見た感じがした。

MC④

店長呑みの時間大事にしてるから。23時までで店閉めて飲みにいくから。って言ってたのなんか可愛くてよかった。
本田さんにロングコート?みたいなの着せてもらう時、最初ちょっと気づいてないの可愛かった。
カレー皿可愛いねしてるのいつだっけ、、?ここ??違うかもしれん。記憶どこ。カレー皿見せてこれ可愛いよねって言ってたのすごい好きだった。このくだりでエゴサアピールその1があって、エゴサしてるからみんながこれビールの泡?お米?って言ってたの知ってるよ、これは概念なのでどっちでもいいんですけどね、一応ビールの泡のつもり、て言ってた。江口さんの「概念」の概念がわたしはめちゃくちゃ好きなので概念の話だ〜〜〜♡♡♡♡と思った。
エゴサアピール、愛だよね。
ラストスパートって言ってたのも多分ここのMCかな?もう!?!?やだ!??と思った。

延長線上のFriends

わたしの仲良しのFFがこれ歌ってほしいって言ってたので、これ歌うって聞いてすぐわー!!よかったね!!と思った。
わたし的には久しぶりに聴く曲だったので(予習が足りない!)、なんか普通に音楽を聴くこと自体をとっても楽しんで聴いていました。

Break of Day

後ろのリリックビデオみたいなやつ素敵だったなぁ。
この歌の物語の世界観?が、この歌詞は別に江口さんが書いてるわけじゃないけど、江口さんがこういう例え話とかしそう……と思う感じなのが個人的に好き。
これもマジでライブ向きの曲だし、江口さんのラップ部分が聴けるの嬉しすぎて崩れ落ちた。
花火みたいなのぱん!てなったのこの曲?であってる?記憶がないけど、あれすごい嬉しかった。花火好きなので。
伸びやかな歌声が本当に好きな曲だし、歌ってる江口さん魅力的すぎて本当に好き。

PAPER BOY

これが本当にやばかったの……すごく真に迫っていて、聴いていてひりひりした。激しく明滅するライトの中で、必死に歌ってる江口さんを見てたら本当に泣きそうになった。全部出し切ってるみたいに歌ってたなぁと思う。
この曲に限った話じゃないけど、彼は声優なので、声に感情をのせるのが本当にうまいと思う。私たち普段生きていて、お芝居をしてるわけじゃなくて本心でやってる時でも、自分の感情をそのまま外に出すのって意外と難しくて、ある種の技術がいると思うんだけど、お芝居をしているといざ自分がやるときになってもそれが育っているのね。
江口さんにはこんな日々が確かにあった、あったんだ、と思って、目線が江口さんに釘付けのまま、縋り付くみたいに、指を痛めるまでペンライトを握りしめていないと立っていられないような気持ちで聞いていた。

MC⑤

宴もたけなわプリンスホテル、今わからなかったのはまだあんまりお酒の席に慣れてない若い子たちですね、今だと宴も高輪ゲートウェイになるのかな(意訳)、で、大人の江口さんだ……と思ってなんかドキドキした。
ピアノがいい仕事しててずるかった。
お酒の席が、そこで呑む人たちのことが本当に好き、結局これかって感じだけど飲み会が好きなんですよ。って言ってて、江口さんがわたしたちに大事な話をしてくれてるのが嬉しかった。
この辺幸福すぎてなんて言ってたかちゃんと覚えられてないからすごくニュアンスだけど、こうやって一緒に楽しい飲み会をつくれているのは、こうして来てくれて楽しんでくれるさんのおかげです。ありがとう。というような話もしてくれて、思わず頭を下げてしまった。ライブなのにね、、、ペンラとか振って応えなよ、、、という理性はあったので控えめにではあったけど、でもなんかあまりにもで頭下げてしまった。
江口さんの声がちょっと涙声というか、泣いてはいないけど、泣きそうな感じになっていて、それほど私たちに伝えようとしてくれているものがあるんだと思って、そうやって伝えようとしてくれていることが、どうやっても私にとってこの上なく喜ばしいことでしかなくて、こんなにもらってばかりなのに、どうしていいかわからなかった。
「ここにいる人の中には、もう2度と会えない人もいるかもしれない。それはご縁だから仕方ない。でも今はこうして一緒に楽しい場を共有している。自分は過去とか未来とか考えてなくて、ほら、未来なんてなくて過去もやっぱない、今を大切にしていて、その今を積み重ねた延長線上が未来だと思うし、それを振り返ると過去になっているだけなんです(超意訳)」
という話をしていて、わたしが好きな江口さんの考え方だなぁと思ったし、わたしは絶対にこれを最後にしない、と思った。
「こうやって今みんなでこういう場を作れていることが大切で、こんな素敵な夜にはね、『素敵な夜に』を。」って曲振りにはいる。「素敵な夜に」に直接的につなげる言い方に、少し照れたみたいに笑っていて、そういう江口さんが好きだと思った。

素敵な夜に

悲しいことがあった時、聞きたい曲はこの曲だよ〜〜〜泣
もう今までのMCの流れでこっちは限界なので、江口さんが優しい声で歌ってるのがただただ好きだった。
江口さんは以前インタビューで、

人間って他人は他人、自分は自分だけど、
そのなかでも何か共通事項で繋がれることがあるかもしれないね、という希望の歌ですね。
PASH!2021年5月号 主婦と生活社 p.119

というふうに話していて、これはちょっとわかりやすそうなのをPASH!から引っ張ってきたけど、この頃の雑誌ラッシュ、各媒体で言葉を変えてこういう話をしてる。
これを思い出して、その希望が現実になっているのが今だと思った。

Life goes on

このへんももうなんか頭の中ぐちゃぐちゃであんまちゃんと覚えてないな、でも江口さんの言葉がまっすぐ入ってきて、届けようとして歌ってくれているのを感じた。
「誰かに作られていたレールなんてつまらない君が本当に望んだものは何?」って歌詞が本当に好きで好きで。

アンコール前MC

コロナじゃなかったら、アンコールのコールはアルコールだったのかもう一杯だったのか、ってまたエゴサアピールその2をしていて、本当にマジでちゃんとエゴサしててビビる。
江口さんは生が好きっていってた。
ここにくる人たちだけが共有できる空間が好き。みたいな、、、
チケットはご縁で、自分も好きなアーティストのとかとれないと、うまくいってくれ〜って願うしかできないけど、みたいな話をしていてちょっと親近感が湧いた。
このTシャツかわいいでしょ、かわいいのにするかヤバいのにするか迷ったけど、初のソロライだし残るものだから可愛くしようと思いました。って言ってた。江口さんが自分のお洋服のショッピングのお話とかする時にも、かっこいいとかおしゃれとかじゃなくてかわいいって言うのがなんかすごい好きなんだよね。江口さんがこのTシャツかわいいって思ってるのがかわいい。

HRC

治安が1番悪い曲!!!
江口さんが目が合ったな?のとこでは結構みんなと目を合わせようとしてたのを感じた。わたしの目線上も目線でなぞってったと思う。
F××kin'のところで推しの口から出るピー音がうれしすぎて失神するかと思ったし、F××kin'で指ハートしてたの本当にずるい。死ぬかと思った。
間奏の目が合ったな?のところでワゴンみたいなのに江口さんのジョッキといくつかの緑色の液体が出てきて、江口さんが観客の方に目が合ったな?て絡んでバンドメンバーにも目が合ったな?って絡んで、目が合ったらGUIだって謎の緑の液体を飲ませてたりしてめちゃくちゃ治安が悪くてよかった。後ろのスクリーンに※お酒ではありません。のテロップが出てるの面白かった。
最後みんなに目が合ったな??って観客席のいろんな方見てくれて、目があったら俺がGUIって、かなりヤバい量のジョッキのやつをGUIGUI一気飲みしてた。それをがんばれ……って見守る2400人の私たち。喉仏えっちだなぁって思ってましたすいません。
最後まで治安悪く飲め飲め飲め飲め!って煽ってきたの本当に好きで、死ぬほど飲みました。

おまけ -ライブ前後の話-

沢山の江口さんファンのみんなにお会いできて幸せでした。わたしはお菓子もお手紙も持ってなくてすいません。みんなでジョッキ片手にGUIできて幸せでした。
思い思いのおしゃれをした女の子たちがみんなとっても可愛くて最高だったなと思います。
ありがとう!!!!!!

2.自分語り感想文

①「ソロアーティスト江口拓也さん」と小さな引っかかり

わたしは、江口さんのソロアーティスト活動には色々な意義や側面があるけれど、江口さんとファンとの間に生まれたものという観点から言えば、あれは江口さんの自己呈示の場だと思っている。

ちなみに、自己開示と自己呈示は、自分の情報を相手に見せるという点では同じなんだけど、自己開示はありのまま自分をそのまま見せるのに対して、自己呈示は意識無意識問わず印象操作が含まれているものを言う。印象操作っていうとなんかすごく嘘っぽく聞こえるけど、自己演出みたいなものって思ってもらえるとちょっといいかな?
そんなこと言われるとわたしみたいなのは、純粋な自己開示なんてものがこの世にありますか?とかいう気持ちにもなるんだけど。

まぁそれはともかく、私は江口さんのソロアーティスト活動を自己呈示の場だと思っているし、その自己呈示に含まれる印象操作、自己演出は、かなり意識的なものだと思っている。
それは江口さんが「自分がこういうことをするとこう受け取られる」というのにある程度自覚的でなければ、表に出て人前に立つ仕事なんてできないと思うからだ。

自己呈示というのは、平たく言えば自分の見せたい自分を見せることになるので、受け手側からは、「この人はこういう人なんだ」という情報に加えて、「この人はこういう人に見せたいんだ」という情報の両方が得られる。
そして後者の情報は、自己呈示に含まれる印象操作が意図的であればあるほど意味のあるものになる。というか逆に完全に無意識でやってるとしたら「この人はこういう人に見せたいんだ」という情報はないようなもんだし。

そういうことで、わたしはこのソロライブに行くことで、江口さんについて知れると思っていた。
彼が自分の持つ要素のどこを強調し、どこをぼやかし、どんな自分を私たちに見せてくれるんだろうって思っていた。

あと、これは今この文章を書きながら後付けで考えながら書いていることなので、後々自分でちゃんと振り返って別にそういうことじゃなくない?って思うかもしれないけど、多分わたしはずっと、私の知る限りの江口さんのイメージと照らし合わせて、江口さんがソロアーティスト活動、ひいてはソロライブ、をやることに対してちょっと違和感を感じてたような気がします。やることそれ自体というよりは、特に、それをやるにあたって「みんなが喜んでくれるからやる」みたいな言い回しが多い点について、わたしはずっと引っかかっていた。

やることそれ自体については、ライブに関して言えば、ライブとかそういうみんなで盛り上がれる場が好きそうな感じはわかるんだけど、人前で歌ってみんなにキャーキャー言われて、みたいなのが好きそうなイメージがあんまりないというか。それこそ自分でも披露するのはあんまり好きではないと言っているような感じで。
まぁでも、わたしは江口さんの、「これをやるのは好きだけどこれをやるのはあんまり得意じゃない」みたいな基準についてちゃんと知ってるわけじゃないから、多分そこだけだったら、多分あまり得意じゃないものもあるけどそれ以上の良いこともあるからやるんじゃないかなぁと思って終わりだったと思う。

でも、江口さんはわりと自分は自分、他人は他人っていう線引きがしっかりあって、他人の要望に応えるために自分の好きじゃないことを進んでするイメージがあんまりない(もちろん仕事の側面もあるし程度問題だけど)んだけど、でもソロアーティスト活動とか、その延長のライブとか、「みんなが喜んでくれるからやる」という言い方をよくしていて、そこに疑問があった。

イメージとの不一致はあれど、ソロアーティスト活動もソロライブもわたしにとってこの上なくありがたい幸せな活動であることは事実なんだけどね。

みんなが喜んでくれるからやる、という行動原理には、わたしが今まで江口さんを見たりインタビューを読んだりしながら構築してきた江口さん像とのギャップがあった。
だからこそ余計に、江口さんがこういうやり方をして私たちに呈示してくれるものってなんなんだろう、私たちに何をしてくれようとしているんだろう、そしてその奥にある、それをやろうとする江口拓也さんという人間はいったいどういう人なんだろう、というのを、ソロライブの江口さんを通して知りたいと思っていたんだと思う。

②現場前感情

現場に行く前日、わたしは夕方まで大学の講義を受けていて、それが終わった途端に、これから江口さんのソロライブに行くんだという実感がにわかに湧いてきた。

純粋に楽しみな気持ちと共に、楽しみな気持ちの1.5倍くらいの体積の、同じくらいの質量の、何か得体の知れない気持ちがあった。これから死にに行くみたいな緊張感、心臓が1cmくらい、本来接地しているところから浮いているような違和感、取り返しのつかないことをするんじゃないかという感覚、そういうのがないまぜの気持ち。

江口さんを好きになった時から、わたしはその「好き」を自分の中のいっとう大切なものとして扱ってきたから、わたしは江口さんを知りにいくことに、それはもうめちゃくちゃに身構えていたんだと振り返って思う。

江口さんにある種の幻滅に近いものを感じて「好き」が損なわれる心配は1ミリも1ミクロンもしてなかったけど、どうしようもなく好きな人を前に、わたしはわたしの人生や夢や希望や、ひっくるめた自己実現、そういうのすら手放せるようになってしまいそうな自分が怖いと思った。
でも、わたしが江口さんに向ける「好き」が、わたしが何より大切にしているわたしのことを手放し得るくらいのものになるんだったら、それって人生で一度得られるか得られないか、でも一瞬でいいから欲しいと思っていた素敵な瞬間になるんじゃないかとも思った。
でもそれが叶ってしまったら、それはひとつの夢の終わりみたいなことで、やっぱりちょっとこわいなぁ、とも思った。

③ライブ中に考えていたこと -前編-

そんな気持ちでソロライブに向かって、わたしはライブを純粋に楽しむ一方で、頭のどこかで、江口さんの言葉ひとつ、振る舞いひとつから、江口さんを解釈しようとし続けていた。
そしてライブの最初のうち、私はずっと当初の疑問を解消できずにいた。
ソロライブはヒトカラで十数曲歌うのがきついのと同じように大変だと話していて、それはそうよねと思ったし、そのために江口さんが、らしくなく筋トレやランニングを続けていたりした話も聞いている。
そんな大変なことを、「みなさんが喜んでくれるからやる、そうでなければ僕はそういうのはいいですってなってたかも」という発言は私の当初の疑問を深めるものだった。
江口さんはすごく頑張ってるように見えたし、私たちのために頑張ってくれてるのがこの上なく嬉しいし、でもなんで〜〜!?って。
なんで私たちにこんなことしてくれるの????

でもそのうち、段々江口さんがすごく自然に楽しそうになっていく、江口さんが江口さんの世界を作っていくのを見ながら、ふと、もしかして、「自分は自分、他人は他人」とはっきり言ってのける江口さんが、わたしたちが喜ばなかったらやらなかったかも、なんて言葉を使うのって、もしかして、わたしたちの存在が江口さんにちゃんと影響を与えているよって表明なの……?と思った。
今までのは全部、江口さんの意思決定に関与できるくらい、わたしたちファンの存在は江口さんにとって軽いものじゃないよって表現なんじゃないかしら、と疑い始める。
もしそうなら、と仮定したら、今までの全部が腑に落ちる気がしたのだ。

ソロライブをやるということの大変な側面をちゃんと明示する、キャラソンの話(これはキャラソンの話を表に出しながら同じことがソロアーティスト活動にも言える話をしていると思う)の中で、歌系の仕事の中の自分にとって純粋に楽しめる点とそうでない点の違いを明示(=すなわちそうでない点が存在していることを明示)する、その上でわたしたちが喜ぶからそれをやっている、と公言するのは、天邪鬼な彼のやり方で、私たちファンに、その必要性と感謝を伝えているのではなかろうか、なんて思うのは、私の希望的観測が過ぎる?
そんなことを思いながら彼のライブを見ていて、歌を聴いていて、そうしたらもうそれが段々希望的観測には思えなくなってくる。

そんなタイミングで、江口さんの最後のMCが始まる。
飲み会が、飲み会をする相手が好き、という話をしてくれるのを聞きながら、彼がこのライブが始まってから、いや、始まる前から、ライブが決まる前からずっと、ソロアーティスト江口拓也のライブは飲み会であると強調していたのを思い出す。
ねぇやっぱりこれって、私たちのこと好きってことじゃないですか?
わたしたちのことも、江口さんは人生の大切なパーツのひとつに置いてくれている、って、思っていいですか。と思いながら話を聞いていた。
このMCで話が進むごとに、わたしの抱く「もしかして」の答え合わせがされていく気がしていた。
江口さんは私たちにありがとうって言ってくれて、その時に、わたしは、江口さんファンのこと大切に思ってるんだ、と思った。

④わたしの面倒な思考回路について

ちなみに、これを後々友人に話したら、「いやどう考えてもそういうことでしょwwなんでわかんないんだよww」と笑われた。
もしかしたらこれを読んでくれる優しい誰かもそもそもなんでそこが疑問になるの?とか思ったりしてた?
その辺も含めて、わたしにとってこの出来事がどれほどの意味を持つのかという話をさせてほしい。

これはわたしの価値観の話で、相手が友人だろうが家族だろうがいないけど恋人だろうが知人だろうが変わらないんだけど、わたしは、人がわたしに向ける感情をうまく受け取ることができない。
その背景には、わかる限りでは2つの理由がある。

1つめは、私が物事を捉えたり考えたりする上で、「観測可能な事実」と「そうでないもの」の線引きをとても厳密に行い、前者だけを信じて後者のことはわからないままにしてしまうということ。「100%の確実性で言い切れること」と「そうでないこと」、「現象」と「感情」みたいな言い換え方もできるかもしれない。

もう1つは、わたしが「他人を理解する」ということをタブー視していること。
わたしは、「あなたのことは私が1番よくわかってるから」みたいな態度を取る特定の人に対して「わたしがお前の理解の範疇に収まる人間だと思って見縊んな!!」と長年思っていた反動で、他人に対して「わたしはあなたのことはわからないけど、」と思うことが1番他人を尊重している態度なんじゃないかと思っているきらいがある。

と言っても、これじゃよくわかんないと思うので例を出します。
例えば、Aさんに「好きです」って言われた、という場合を考えるんだけど、おそらく多くの人はここから、「Aさんはわたしのことを好き」という情報を受け取るんだと思う。
でもわたしはそうは思えなくて、Aさんに「好きです」って言われた時、「Aさんがわたしに好きですって言った」という情報しか受け取れない。小泉進次郎構文?
「Aさんがわたしに好きですって言った」は「観測可能な事実」だけど、「Aさんがわたしのことを好き」は無数にある可能性のひとつにしか思えないから。
Aさんが好きって言ったその「好き」は、わたしが思うような「好き」じゃないかもしれない(例えばAさんは友達としての好きを伝えたつもりだったのにそれを恋愛的な意味で受け取っていてズレが生じるとかかそういう事例とかは割とわかりやすく想像してもらえるんじゃないかしら)し、Aさんはわたしのことを別に好きじゃないけど、何か別の目的があって「好きです」って嘘をついたかもしれない。みたいに、「好きです」と言葉にされてもなお、Aさんがわたしに向ける感情ってのは無数の可能性のどれか、としか思えない。

そして、Aさんが私に向ける感情はAさんのものだから、無数の可能性からわたしが勝手にそれを想定するのは不誠実な気がしてしまう。だからわたしはそれを無数の可能性のまま「わからない」と思って、わからないままAさんと接する。

別にこれは「好きです」って言われた、という場合だけじゃなくて、仲良くしてもらってるとか、何かをしてもらったとか、色々な行動の全ての場合に同じことが言える。
「好意的な行動をしてくれてる」という事実だけはわかるけど、その背景に好意があるかどうかわからない。
わたしには素敵なお友達がそこそこいるけど、そのお友達がわたしのこと好きだと思ってないし、家族も別にわたしのこと好きだと思ってない。でも別にみんながわたしのこと好きじゃないとも思ってない。
わかんないけどみんな優しくしてくれる。好き。

こういう言い方をするとすごく疑り深い被害妄想じみた感じもするけど、特にそういうわけではは全くなくて、わたしはわたしなりに相手から受け取ったものを素直に信じているつもりだし、その結果こんな感じでいるだけで、相手が自分をどう思っているかわからないままで好意的な行動を受け取っていても割と十分に幸せに過ごせている。

こういう考え方が別に完璧にとても良いと思ってるわけじゃないし、なんかめちゃくちゃ理屈っぽくてやさしくないなぁとは思うところもあるけど、わたしはずっとこうだし、思考回路がシンプルで揺らがなくて便利なので、まぁわざわざ変えようと思うようほどの不満は特にない。

特にないのだけど、この思考回路におけるおそらく最大のデメリットは、わたしが好きな相手からの好意を受け取れないところにある。
わたしはこういう思考回路の人間であるおかげで、「仮に相手がわたしの事を嫌いだったとしてもわたしは好きだよ」と思えるような好きな人としか関わらないし、そうやって人を選り好みして素敵な人とばかり関わったりできているのだけど、そういう素敵な人たちが仮に私に好意を向けてくれても、わたしはそれが好意だとわからないから好意として受け取れない。
つまりわたしはこういう考え方でいる限り、誰に対しても一生片想いのままだ。
それは多分少しかなしいことなのかもしれないね、とも思う。

だから、もしも誰かから向けられる好意を純粋に信じられる瞬間があったら多分それはすごく幸せなんだろうなと思うところはわたしにもあって、わたしはそんな瞬間がわたしの長い人生に一度でいいからあればいいなぁ、なんて、どこかで夢見るみたいに思っていた。
こう見えて、……こう見えて??見たまんま??わたしは結構ロマンチストなので。

ソロライブの時、自分のこういう思考の枠組みを全部超えて、「江口さんはわたしたちのことを好きだ」と思えたのがなぜかはよくわからない。
それだってわたしの基本的な思考回路に則れば、わたしが勝手に彼がわたしたちファンに向ける感情をわかった気になってるだけかもしれない、という言い方だってできるのにね。

江口さんが遠回りの言葉をたくさん重ねてくれたからかもしれない、それを全部声に乗せて形にして態度で示してくれたからかもしれない、その背景にある江口さんの努力を推測したからかもしれない、江口さんの声に涙が滲んでいたからかもしれない、わからないけど、それでもわたしはあの時初めて、わたしが向ける好きが両想いになる瞬間を知った。

誤解を避けるために補足するけど、両想い、なんで表現をすると恋愛めいていてリアコの妄言らしく見えるけど、そういう意味で使ってるわけではない。
江口さんが受け取ってくれる好きがファンとしての好きであり、わたしたちに向けてくれた感情がファンに対する正常で健全なものなのをちゃんと理解している。
それでほんとうに十分だと思っている。

あの時わたしがもらったのは、人生で一度でいいからあったらいいと思っていた、でもないかもしれないと思っていた、なくても仕方がないと思っていた幸福な瞬間だった。

⑤ライブ中に考えていたこと -後編-

閑話休題。

あの時ライブ会場で彼を見ていた時のわたしは、一瞬でも、本当に曇りなく迷いなく、彼がファンに向けてくれた感情を信じた。

今は、頭で考えて文章を書いているので、江口さんがわたしたちのこと好きなんだ、なんて、書きながら、いやわかんないけどね。と思っている。 
振り返りながら、勝手にわかった気がしただけかもしれない、とも思う。わたしはわたしの思考にどうしても保険をかけずにいられない性分なので。あと普通にこんなこと書いてる自分をメタ的に見てきゃーわたし大仰なこと言ってるわはずかしー!みたいなことも思っている。
自分が後々こう思うのはライブ中にもわかっていたし、それでいいと思っていた。

未来の私がこれを信じ続けるかどうかなんてどうでもよくて、江口さんが私たちに向ける感情を信じられた今この瞬間があることが幸福で大切だなぁ、なんて、私がそんなことを考えていた時に、江口さんが「未来も過去もなくて、ここで時間を共有した今があるのが大切」という話をしてくれて、リアルタイムでその通りだと思っていたことが好きな人の言葉になってでてくるのが、本当に本当に幸せだった。

そのまま江口さんが曲振りをして歌ってくれた「素敵な夜に」について、

"自分は自分、他人は他人"という考え方の持ち主だけど、お互いに何か共通事項があってつながれることが、もしかしたらあるかもしれないねという希望の歌。
TVガイドVOICE STARS vol.17 
2021年 東京ニュース通信社 p.24

と江口さんは語っていた。
わたしはこの雑誌を読んでいた当時、江口さんの「自分は自分、他人は他人」という考え方に共感を覚えるところがあって、その分、共通事項で繋がれる、というのがいまいちわからずにいたところがある。
もしかしたらそういうこともあるかもしれないけどわたしにはよくわからないなぁ……確かにあれば素敵なものなんだろうなぁ、と思っていた。
だから、これについて、江口さんが「もしかしたら」「希望の歌」って言葉を使っているのも誠実さを感じて好きだった。

でも、今回のライブでわたしは「自分は自分、他人は他人」という線引きを超えて江口さんのことを少しだけわかった気持ちになって、「素敵な夜に」について、彼の言っていたことが初めてちゃんとわかった気がした。
江口さんが「もしかしたら」と言った希望はあの夜現実になったんだと思った。

わたしは「好き」を感情だと思っているし、わたしは人間の感情の連続性を全く信じていないし、わたしが信じたのはあの一瞬通じたことだけだから、今江口さんがわたしたちにどういう感情を持っているかはわからない。
結局わたしは今も昔も彼のことをわからないと思い続けているし、それを彼への尊重のつもりでやっているのも変わらない。

でも、わたしはあのライブの間に、わたしは自分が一生かかっても得られないかもしれないと思っていたものを得た。
この記憶だけを自分の人生の意味に据えて死ぬことも、この記憶だけをよすがにこの先数十年生きることもできると本気で思っている。

そして、こんなことを思わせてくれた江口さんに、曲を作ってくれた沢山の方に、ライブを作ってくれた沢山の方に、心から感謝しています。

長々と失礼しました。
読んでくれてありがとうございました♡

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