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suki of fire

ブログでスキスキスキと連打されるって。
本当にスキなのか別の意味なのか。

LINE経由で来るお悩みに、自分がまともに返答
できないって思い知る。

市井の人として意見を書く事が、書いた瞬間から
もう相手任せになる。受け止め方なんて知るよし
も無いから、どんなつもりで書いたにせよ、相手
が受け止めた認識が読んだ人の事実なんだよね。
(相手の自分に対する読解力を問う事はできない)

その人はなるべく伝わりやすい文章を書いた筈
だろうと思うけど、どうしても伝えたい場合には
思いを乗せる分、万人に理解されるであろう文章
から外れるから、もうそこは賭け。

相手の反論ブログを読むと、怒りが伝わる。
そこにスキの連打で庇いつつ怒りを増幅させる
燃料として投下してて、お祭りさせる地獄。

違う意見なんだとそこで済まされない人が多い。
そしてそれを楽しんでしまう人も多い。


なので、
いっそブログは村上春樹風の風に
書くのもアリなんじゃないかと。
(あくまでも風の風です)


「suki of fire」

スキとはすき家とは違うんだ。何度も繰り返しは
できない。
すき家の目的は自己表現にあるのではなく、
自己変革にある。
エゴの拡大にではなく、縮小にある。
分析にではなく、包括にある。

LINEは盲のいるかみたいにそっとやってきた。
「馬鹿みたい、自分がまともに返答できると思ったの?」と問う。
「自分にはできると思えば可能だと思っていた。」

「どうせ市井の人の話だろう。」と
ためしに自分は言ってみた。
相手任せの物語はそれ以上でもそれ以下でもない。

なんだか自分がなるべく伝わりやすい文章を書いた筈にでもなってしまったような気がしたものだった。ただ付け加えるならそこはギャンブルだ。
そう、負け越しのギャンブルだ。

反論ブログを見てもいい。誰だって何度でも見てもいい。200パーセントの怒りの熱量を感じる。無駄な文字数が無い。その余白は全て怒りの熱量だ。

「スキをもっと頂戴。」と彼女は文章で訴えている。「すき家じゃないスキが欲しいの。」
すき家だっていいじゃないかと自分は言う。
そうして得たスキはクリスマスのチキンみたいに
箱を開けた瞬間だけお祭りだ。
貪り食べる姿はサトゥルヌスみたいだ。

自分の言いたいのはこういうことなんだ。
一度しか言わないからよく聞いておいてくれよ。

 自分は・違う・意見なんだ。

そしてそれを楽しむことは誰にもできないんだ。


終わり。


もうね書いている途中で訳わからないから
多分誰しも怒りや伝えたい気持ちも
相当落ち着いて来ると思う。

それにしても村上春樹さんの真似の真似も
相当に難しいなぁ。










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