金持ちのあしらい
これからとりとめもない話で申し訳ない。
成人式の時、自前(貯金)で買った帯は100万円だった。
すごい貯金額でしょ?ずーっとため続けたアルバイト代ですよ。
バブル直前で値段が高めなので、たぶん今の時代なら同じものは半値だと思うけど。
成人式の着物を買うとき、着物は終わりが早いだろうが帯は転用がきくし、なにより締めるというくらいですから着物を締める役割なので要ともいえると、子供ながらに解釈して、着物本体より力をいれた。贅沢をここでするぞ!と。
だから帯に関しては着付けの人が高級品すぎて怖いと言ってくれる。
お世辞でも嬉しい。いまだ一世一代の買い物だと思っているから。
話を変えて
今までの上司から言われる誉め言葉がある。
これに関してはほぼ全部の上司から言われている。
「金持ちのあしらいがうまい」
それは自分が運よく人に出会えたから。
立場的に普通の金持ちが敵わない子が知り合いにいた。上から下までハイブランドの特注品で構成されていて(要するにロゴがないからわからない)家柄もだれも敵わない。
その知り合いと仲の良い子と自分は友達だったのだが。
友達は言う。
「外側って中身と歴史があって初めて成すのよ」
当時20代前半の時に衝撃を受けた言葉だった。
友達も十分に育ちが良すぎる子だったけど、彼女でさえ敵わない。
つまり歴史(中身も含まれるがそこでは血というか育ちという意味なのだろうか)も相当に無くちゃ意味がない、と。
続けて言う。
「だから、自分が財を成したらそれは未来に送るのよ。そうやっておくられて何代も過ぎてやっとはじめてなの。自分が稼いだお金で贅沢したって所詮ただの贅沢」
知り合いの子の贅沢はアリというわけだった。
彼女の育ちが自分よりはるかに立派なのを知っているが、それよりもはるかに上の知り合い。それを知っているだけに友達も高級品は余り持ってない。彼女が得た人生の要点だったんだろう。
だから余計に心にとまる。
それ以来ハイブランドに全く興味が失せた。
バブル真っ最中の人なのにブランド品が一つもないのはそれ。
つまりその歴史に合うほどの歴史も財も中身も自分には無いからただ贅沢してるだけの人になるんだろうな。それは要らないや。
話はバラバラに進むが、お金持ちの人が総じて高級品を買う。そして、総じてそれは目につく。そしてどこへ行ったとか何を食べたとか、どこどこのマンションを買ったとか聞く。
自分がほぼそんな話に無関心なのだ。
羨望も無く、卑屈にもならず、顔色ひとつ変えない。
だから相手は自分に対して水平な立場でいてくれる。
お金持ちの人は全員では無いが、軽い相撲をとりたがる。
「私は1000万円の帯、あなたは幾ら?」
「私は誰々と友達。あなたは?」
「私はThe Markで宿泊したけど?」
「あら、お食事ならどこどこじゃない?」
それにつられてしまう人が多いのだ。
「じゃあ私は1100万円の帯」と上を行こうとするのか
「私だって誰々と友達」と対抗馬を出すのか
「すみません、自分はフォーシーズンズがやっとです」と卑屈になるのか。
「そもそもそんな高級店どころか回転すしも贅沢ですよ!連れて行ってください」と、下手にでるのか。
確かにお金を持っているからお金持ちなんだけど、それを持つだけの中身なのか?というと
確かによく稼いでいることは素晴らしいと思う。
でもそれだけなのだ。
考えてみて、勝ち得たにしろ結果当然にあるものを自慢する必要も無いでしょ?
「わたし、誰よりも空気たくさん吸ってるし」
こんなバカなことを誰も言わない。
間違ってほしくないのは贅沢をするなでも、
贅沢をしている人を非難しているわけではない。
贅沢は人じゃないといいたいだけなのだ。
そんな訳でお金持ちの人から
「The Carlyleなの。ご一緒にどう?」と言われても「へーいいですね。自分は結構です」と普通に返事をする。
「どこどこを貸し切りにしたご飯なの。ランチなんだけど。代金は8万なのお安いでしょ?」と誘われても「おいしそうですね。でも自分は出せません」と返事をする。
そんなやり取りが数回続けば相手はもう何も言わなくなるし、
そんな話すらしてこなくなる。
そんな対応からか、
おかげで一部の方から謎な人扱いをうけてしまっているが、
単に自分が得たことだけでごく普通の人。
あ?贅沢はしたいですよ、たぶん、ね。
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