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明度も彩度も無い世界からこんにちは
母は趣味人だ。父も趣味人だ。
子供の服装に対する両親のポリシーはかなりあると思う。父は羊毛の会社に居たので服には精通していたし、母は没落する前は衣装道楽していた人だった。
古い写真に兄弟写る。
真ん中の恥ずかしがり屋が自分。
見ての通り子供なのに黒を多用。
今じゃ普通だけどね。
自分は特に色が白いので年中黒基調だった。
しかも無地に近くて、縁取りがチロリアンテープ
だったり、小さな刺繍が付いていたから、子供服らしさはあったけど。
靴は紺色か黒しか履けない。写真の服はカラフル
だけど、実際はもっとシンプルだったなぁ。
殆どが黒やグレーか濃紺。彩度も明度も無い世界の住人。かっこよく言えばルドンの版画みたいな感じ。並々ならぬ母の子供服に対する拘りに、子供なのか気が無いのか特に不満はなかった。
中学生になると、服装について周りもあれこれ言い出す。「どこぞのちゃんはいつも暗い色の服が多いよね。」水色とか卵色などは着ていたけど、基本は紺や黒が入るのであまり明るいイメージは無いのはよくわかっていた。
およそ子供が着ない色の服ばかりだった。
黒 紺 こげ茶 灰色 深緑 ワインレッド 紫 青紫 からし
写真で見る限りかわいいピンクなどお目にかかれない。自分も着た覚えが無い。オッサン色に包まれた子だった。だってオッサンの着るポロシャツの色だもん全部・・・。
ふと自分にも疑問が過ぎる。なんでそんな色が無いんだ?気になりながら暮らしていたある日、親戚の結婚式にお呼ばれされたのだ。
赤の服も着たことが無かったので、母に言う。
「赤いワンピースが欲しい」オッサン色に包まれていたので気分が
還暦だったかも知れぬ。夏場なのに赤とはまぁ、暑苦しい。
早速母と二人でデパートへと行く。
赤ばかり探すが正直似合う物が無い。オッサン色に包まれすぎたか。
そしてふと母が足を止めたのがJJショップ
(場所の覚えはないけどデパートじゃなくてテナントビルの1F)
その頃のJJ。多分コラボブランドを立ち上げていてJJとJJsoirの二つがあった筈。タグが二種類あったのは覚えがある。
JJsoir は東京ソワールとコラボ?だったのかは不明。
ただその時は高級ラインだったのはわかる。
店舗はパルテノン神殿みたいな全体が白っぽい高級な内装だったから。
着た後になってタグの写真を撮ってみた。
脱ぐのもできないのでこれが精一杯。着る前に撮れよ。
話は戻り
パルテノン神殿にいきなり入る母。ギョッとする自分。
母はぐるりと一周して、ハンガーを手に取り言う。
「これ、試着しなさい」
濃いピンクに白地の水玉の中に青い花の模様のツーピース。母は納得した顔で私に服をあててみる。(青い花はグレーに変色してるけど)
試着室から出た店員と母は大きく頷き納得する。
「これにしなさい」
自分には派手すぎて、同じワンピースでも青い花の色が地で白の水玉に濃いピンクの花の模様も着るが母は納得しない。
結局ピンクのそれをお買い上げとなったがその時の値段は最低でも5万近くはしていた。ポンと買う母の思い切りの良さも、絶対的な自信があるから買えたとも言える。しかも中学生に大学生の服を着せるってすごい。
洋服ダンスに服を掛ける。
黒紺の多い箪笥からこぼれるような鮮やかなワンピースが覗く。
オッサン色に包まれた世界からこんにちはなのだ。
この時ルドンの版画から、
ルドンのパステル画へと変化した。(ちょっと格好つけた言い方)
っていう位の変化だった。
しかし思春期のテレも半端なくて、
なかなか気後れして着る機会は少なかった。根はオッサンだからか?
時は流れ社会人になり、
なんとなく自分自身が地面にしっかり立っている感が出た頃、
あのワンピースを着ようかなと自発的に袖を通す。鏡の自分は違和感は無い。寧ろなんで今まで着なかった?それくらい馴染んでいた。
ワンピースなので頻繁には着ないものの
不思議と夏になると何かと着ることになるとは
買ったとき思いもしなかったけど。
そうしてあれから35年は経過した。オッサン色に包まれた自分は
立派なオバサンになりましたが
まだ現役で着ている。
当時よりずいぶんよれてしまったけど、自分はまだまだ着るつもり。
雨降り予報で出かけたけどなんと晴れ間!
傘が邪魔になったと少しむくれた自分に
虹が出ていた。
この服はどうやら色の世界に連れていってくれるみたい。
自分の人生の1着となったこのツーピース、
いつまで着れるかなぁ。
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