見出し画像

SNS社会でちょっと意識したら気持ちが楽になる部分のお話

こんばんは。こなです。

今日、私は小学校で習っていた空手で出会って以来ずっと仲良くしている友達と久しぶりに遊びに出かけました。
この友達は小学校1年生からの付き合いになるので、もう15年ほどの仲になります。
ですが私は会う時に毎回少し緊張してしまいます。

それはなぜなのだろうか。
考えてみると1つ大きな理由が思い浮かびました。

それは、
私が普段から仲の良い友達でも頻繁に連絡を取らずに、インスタだけで相手の最近の様子を見ているだけなので、相手に対して少しバイアスがかかってしまっていること
です。

やはりインスタ上だけでその人を見ていると、本垢では見栄えが良いものを載せがちですし、本来の姿というよりも取り繕っている偽りの姿になっていると思います。
またサブ垢がある人は、ある程度の本音や映えない写真などをこのアカウントで載せているので少しはその人が見えるような気はしますが、それもその人の断片に過ぎません。

しかし、毎回友達に会う前の私はそういった判断材料しか持ち合わせていなにもかかわらず、これでどうにか調理をするしかありません。
すると様々な食材がが抜け落ちている、何ならメインの肉が無い、もしくは気づいたらメインが魚になっているようなもともとのメニューと全く異なる料理が出来上がってしまうのです。

要するにインスタだけを見て、それがその人のすべてであるかのようにその人の虚像を生み出してしまっているのです。それによってなんだか友達の存在が遠くに感じる。これが私が考えるバイアスの正体です。
会わない期間が長くなればなるほどこの虚像は巨大化していきます。

そして、こういった虚像を作り上げてしまった結果

「あれ、この人はこんな感じだったけ」

という疑念を抱えて会うことになるので少し緊張してしまうのだと考えます。しかし、実際に会ってみれば全然前までと変わらないテンション感で緊張せずに話せるじゃん!ということがほとんどです。実際今日の私もそうでした。

こんな風に勝手に虚像を生み出しては、感じなくて良い距離感を感じてしまう現代において(といっても今も昔も変わらない気はしますが)、直接会っていろいろな話ができるタイミングで、相手のことをもっとよく知ろうと相手の話を”聞く”ことが重要だと考えます。
hear ではなく listen です。

(こなのちょっと独り言)
SNSというものが普及して、いつでもどこでも誰とでも繋がっていられる世界になっているのに、なんだか今まで近くにいた人との繋がりが弱まって見えてしまうのはなぜなのでしょうか。不思議なものです。

ここまで読んでくださってあるありがとうございます!
今日もあなたのサードプレイスになれますように。

こな



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?