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「5月の名前のない珈琲 感覚が勘となる」

勘。
これは勘という感覚なのだ。

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5月の名前のない珈琲:Honduras
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パチン。
パチン。

何度も何度もスイッチを押しやった。
それでも、小さな平屋の台所にある蛍光灯はなかなか点かない。

さっと。
そっと。
ぐっと。

どうやっても、なかなか点きやしない。
もう諦めようかな、そう思ったとき、蛍光灯にジジジッと紫がかった白い光が走った。

あっ。
点いた。

何度もスイッチを押しやった右手の親指に意識を向ける。

どの感覚が、蛍光灯に光を走らせたのだろう。

指紋を解読するかのように、ジッと、親指の腹を見つめてみたけれど、答えはわからなかった。

それでも、毎日、毎日、スイッチを押し続けた。

パチン。
パチン。
パチン。

スイッチを押す度に、親指の腹は、蛍光灯の点かない感覚を脳に伝えていた。

パチン。
パチン。
パチン。

あっ。
点いた。

取捨選択の感覚を蓄えていった脳が、蛍光灯の点く感覚を親指の腹に伝えたことがわかった。

5月の名前のない珈琲:Hondurasは、まさにそんな感じだった。

コクのように広がる試行錯誤。
ある日、感じることのできた勘は酸味。

5月の名前のない珈琲の名前は、『感覚が勘となる』


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