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私が持っている一番古い服:サクライ編

こんにちは、サクライです。

co:doリレーnote第一弾「#私が持っている一番古い服」もいよいよ終盤にさしかかりました。

たかが服されど服という具合で、それぞれのストーリーが垣間見えて、
下手な自己紹介よりも、よっぽど人となりが伝わる企画になったのではないでしょうか。

もちろんサクライにもご紹介させていただく一着があります。
それでは、どうか最後までお付き合いください。


1940年代のアメリカ製アワードジャケット


その服との出会いは、サクライが高校1年生の冬。

上野アメ横の古着屋「ナチュラルスタンダード」にて。

(残念ながら現在は閉店してしまい、今はアッパーアッパーという店舗があります。
そちらは90’sブラックカルチャーどっぷりの古着を中心に、ナイスなセレクトが集まるショップです。)

あの頃の上野・アメ横の古着屋は魅力的な店舗ばかりで、価格はお手頃(原宿のお店と比較すると3分の2くらいの感覚、しかも原宿や下北沢は電車代がかかる 笑)。
商品の品揃えは幅も奥行きも豊富といった具合で、【お金は無いが服は欲しい】という無茶苦茶な欲求を持ったサクライ少年(当時はヤナギサワですが)にとって、まさに夢のような街でした。

「P&Pマーケット」の地下古着コーナーでは
POLO COUNTRYやPOLO SPORT、IZOD LACOSTEなどなど、
アメ横通りに面した「ビートニクス」では
Levi’sやLeeのビンテージ、アーティストTシャツなどなど、
そして、この話の舞台である「ナチュラルスタンダード」では
ユーロリーバイスの501やChampion、レザージャケットなどなど

サクライの記憶のラインナップの一例ですが、ほぼ毎日各店舗で何かしらを掘り漁る日々でした。

当時の自分は、自宅と学校の通学区間に上野があり、学校から徒歩で神保町→御茶ノ水→上野というコースで寄り道するのがもっぱら。

(今となっては考えられない量歩いていました…)

その日もふらふら歩き回ってアメ横に着地。

まずは、と順路に沿って御徒町寄りのナチュラルスタンダードから。

ナチュラルスタンダードの店長N田さんは強面だけど心優しい方で、サクライ少年にも服のディテールや歴史など色々なことを教えてくださいました。

(P&PマーケットのT辺さん、ビートニクスのAキラさんにも多くを教わりました。
金も無く得体も知れないガキを面倒見てくださり、振り返った今感謝しかありません。)

木板の床に白い壁、什器の配置は動線に配慮しながらも、みっちりと商品が陳列された店内には、すっかり冬物が並んでいました。

『こんにちわー』
下げた頭を戻しながら、レジカウンターのにいたN田さんの後ろで、
まるで特別な一着のように吊るしてあったその姿に、サクライ少年の目は一瞬で奪われてしまいました。

『1940年代のスタジャンだよ』
その視線に気付いたN田さんは教えてくれました。

ディアスキンのセットインスリーブ、
ウールのニットリブに、パッチポケット、アンライニング、
通称「ボタスタ」と呼ばれるスナップ留めではないボタン仕様。

説明されるディテールの数々もさることながら、モノそのものが放つ得も言われぬ雰囲気にすっかり魅了されたサクライ少年。

恐る恐る値段を聞けば2万5千円程度。
昼飯も抜いて爪に火を点す想いで、せっせと貯金をしていたほぼ全額。

(当時の散財ネタは、服にレコード、レンタルCDにDVD。
オンラインでのサブスクも無いこの時代、御茶ノ水のジャニスとTSUTAYAは地上の楽園でした。)

限られたお金の使い道にひたすら考えを巡らせながら、【買ってから考えよう】という今も自分を後押しする思考に至り、購入の意思を伝えました。

もちろん手持ちでは用意がなかったので、平身低頭で取り置きをお願いして、翌日改めて引き取りに訪問。

自分の決心は間違っていなかったなぁと、心からの満足を噛み締めつつ、その場で着替えて意気揚々と店を後に。

以来、雨の日も風の日も、アンディとウッディの如く相棒のように連れ添い、多くの思い出を共有しました。

(大学のときに一番仲良くしていたK林が「C」のロゴが左胸に入ったスタジャンを着ていて、「A」を着ているやつはいないかと二人で探したこともあったと最近思い出しました。)

その後、服の趣味は色々と変遷していくものの、自分がファッションに対して傾倒していくキッカケとなった一着として、ワードローブに鎮座すること15年以上。

着用することがほぼ無くなった今でも、「どうしても」と言うよりは「なんとなく」手放すことができない、不思議で特別な存在です。

サクライ

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