生理は個性なんかじゃない。ポジティブを押し付けすぎる世の中に思うこと

twitterで、ロリエのkosei-fulプロジェクトなるものを知った。「生理は個性」の言葉に違和感と不快感を覚え公式twitterについたリプライを見てみると、ほぼ意義を唱えるものばかり。多くの人が程度の差はあれど生理に苦しめられている中、個性で片付けてしまうのは無神経すぎやしないか。


「生理は個性」は無神経

上記のサイトを見ると、「生理は一人ひとり違う、女性だからこそ自分を基準に考えてしまいがちじゃないか」といったことが書かれていて、それは確かにそうだと思う。確かに私も初めてPMS(月経前症候群)がひどい人と出会ったとき、すぐには理解することが出来なかった。まずは女性同士で違いを理解し合おうぜ、というのには特段意義はない。

サイトにはLaurier kosei-ful Finderなるものがあり、生理に関する8つの質問の回答から「カラー」「シェイプ」を導き出し、天然石状の“kosei-ful gem”が出来上がる。これが本当にナンセンス。自分の生理が天然石になったところで「わあ、これからは生理を大事にしよう」なんて気にならないし、だったら症状が重い人には婦人科に行くよう勧めてくれよ。

私は元々そこまで生理が重いほうではなく、今はピルを飲んでいることもあってストレスを感じることはかなり少ない。それでも生理痛はゼロではないし、20代前半までは生理周期が安定せず毎回不安で、買ったばかりの下着を汚してしまい悲しくて泣いたこともあったっけな。スカートに染みてしまってパニックになったこともあった。

誰しも生理で嫌な思いをしたことってあると思う。「生理は個性」という言葉でまとめてキラキラしたものにするって無理がありすぎる。このプロジェクトの何が悪いかは色んな人が言っていて、賛同できるものがたくさんあるので、ここからはちょっと違う視点の話になります。


何でもポジティブに捉えようとする世の中って生きづらい

生理のCMってみんな「生理でもハッピーに」的なアプローチばかりだけど、そもそも生理ってネガティブなものだと思う。いくら子供を産むためといっても、体調は悪くなるし行動は制限されるし、生理用品やピル、下着を買うにはお金もかかる。(知らない人もいるかもしれませんが、ピルを飲んでも生理のようなものはあります)そりゃあ着け心地の良い生理用品があれば嬉しいし、薬を飲んで痛みが和らぐならありがたいけど、それらのお世話になったところで完全に普段通りの生活が出来るわけじゃない。

必要なのは生理のために休んだり、普段と行動を変えることが後ろめたくない世の中だと思う。もちろん普段通りに振舞える人はそれで良いのだけど、別にアクティブでなんかいたくないから休ませろよって思っている人も絶対いるはず。

近年、何でもポジティブが良しとされる世の中になってる気がする。例えば失敗は成功のもとという言葉があるけれど、それですぐに切り替えられる人もいれば「ちょっとだけ落ち込ませて…」って人もいる。容姿で悩んでる人にいくらありのままで素敵だといっても簡単に「そっか、ありのままでいいのか!」なんてならないだろうし。ポジティブでいることを求めるのって、人の弱い部分に寄り添っていないんじゃないだろうか。

生理のときだって、ここはちょっと頑張ろうってときもあれば、休んでゆっくりしたいときもある。生理用品や鎮痛剤のCMって、後者の気持ちをあまり汲んでくれていないものがほとんどな気がします。


各メーカーさん、苦しんでいる女性が多くいることをもっと世の中に知らせてください。そして休むという選択をしやすい世の中にしてください。私も弱っている人に寄り添える人間になれるよう頑張りますので。

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