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きんモザ好きが行く!京都の通り巡り!

みなさんコンニチハ~!
今回の内容は、きんモザ好きが行った京都観光のお話です。
京都といえばきんいろモザイクThank you!の舞台となった場所の一つ…
ですが、今回はそのThank you!で舞台となった観光地にはほとんど行かずに、きんいろモザイクの登場人物の名前の由来となった通りを歩いて観光しよう!という内容です。


今回のルート。

大宮から大宮通を用いて二条城まで上る。
そして日暮通を北に上っていく。
そこから日暮通から、旧大宮通を通って猪熊通に向けて歩く。
そのあと猪熊通を下り二条城に行く。
そのあと猪熊通と綾小路通の交差点に行き、綾小路通から烏丸通に移動。
烏丸通から松原通へ移動。松原通から大宮通まで移動。
そして京都駅まで移動。
京都駅から九条まで移動して九条通を歩き終了。
というルートです。
久世橋通と白川通は…再挑戦!
ちなみに、この旅行は10/1に行ったものです。
2か月ほど熟成してマシタ…
ユルシテ欲しいデース…

そして今回の旅は同行者もいます!
まあ、京都に行くと伝えただけの旅好きの友人なんですけどね…

出発

では、早速出発しマショウ!
ちなみに、この時点で1時間半遅刻してます。
同行者の方が寝坊したので…

待ってる間に撮ってた写真ですね。

とりあえず、列車を乗り継いで阪急大宮駅に移動します。
最寄りの駅から阪急大宮駅まで2時間程…しかも遅刻してる…
大丈夫か?この旅・・・
まあケセラセラ~…なんとかなりますよ。

阪急大宮駅に到着デス!

そんなこんなで、阪急大宮駅に着きました。
さあ、通り巡りの始まりデース!

大宮駅に到着しました!大宮忍…


大宮通

では大宮通から行きましょうか!

大宮通とは?
京都市の主要な南北の通りの一つで、平安京の大宮大路(東大宮大路)に当たる。北は鹿ノ下公園南側を、南は竹田駅付近の油小路通を起終点とする。途中竹屋町通と押小路通の間で二条城によってとぎれており、また江戸時代におかれた所司代屋敷の拡築で、丸太町通りと竹屋町通間が狭くなっている。
名前の由来としては、「大宮」は皇居を示す語で、「大内裏の東側に接していたため」との見方が一般的である。ちなみに、大内裏の西側に接していた通りを「西大宮大路」といった。
しかし、大徳寺通(旧大宮通)を経た北区紫竹下竹殿町にある、式内社「久我神社」周辺の地は、かつて大宮郷と呼ばれていた。ここは賀茂氏が京都盆地委最初に居を定めた場所とされ、上賀茂神社の旧地との説も残っている(上賀茂神社から鴨川右岸側への渡しは、かつて「大宮の渡し」と呼ばれた)。つまり、「大宮」という名称そのものは平安京の建設前から存在しており、大宮通、ひいては平安京の「大宮大路」命名の由来となったとしても不都合はない。むしろ、平安京建設時の基準線となった可能性さえも否定できない。(wikipediaより)

詳しくはググってください…とりあえず京都を代表する通りの一つです。

大宮通りの看板です。

まず、大宮通を上っていきます。ルートとしてはこんな感じです。

大宮通から押小路通まで上っていきます。

道中では、通りの風景を写真に撮っているのでその写真も載せていきます。


大宮通と大宮忍
大宮通の一風景。
大宮通とアリスです。
大宮通姉小路…
姉大宮町…勇姉!?

大宮通は約13分程度で歩き切りました。
意外に早かったのかな?

次の通りへと移動中。

次の通りへと移動中
二条城の目の前を通ったので写真を撮ってきました。
二条城は、きんモザ7巻の修学旅行にてみんなが訪れた場所!
ですが、今回は目の前を通るだけでした…
お金が…なくて…

二条城前の立派な門
鳥!

日暮通

二つ目の通りは日暮通デス。
全長が約1㎞ととても短い通りで、通り名の書かれたサインすらないという…

全ての区間が上京区内に収まり、北は中立売通から、南は二条城北の竹屋町通まで結んでいる南北の生活道路。途中出水通で鍵の手に折れる。
由来としては、日暮通の名は豊臣秀吉によって付近に築かれた聚楽第(じゅらくてい)の正門である、「日暮門」に由来する。この門はその装飾があまりにも豪華絢爛であったことから、時を忘れて日が暮れるまで眺めてしまうために「日暮門」と呼ばれていたという。(Wikipediaより)
らしいデス…

かろうじて日暮通であると分かる証拠が電柱という…

日暮通では個人的にうまく撮れた写真があるので載せておきます。

日暮通の風景

旧大宮通

中立売通まで移動し、次の通りへの移動中…
旧大宮通というものがあったので紹介しておきます…
どうやら、京都市の南北の通りで、一条通から下長者町通までの間で、大宮通の一筋東にある通りのことらしいデス。

旧大宮通
どうやら、元大宮通とも言うようで…
それにしては古い…
大宮さんと旧大宮通


通った場所デス。

猪熊通

旧大宮通から一本挟んだところ。そこが猪熊通です。
「猪に熊で猪熊。ちょっと強そうでかっこいいでしょ?」といった声が聞こえてきそうです。

猪熊通(いのくまどおり)は、京都市内の南北の通りの一つ。平安京の猪隈小路にあたる。堀川通の西方で大宮通の東に位置し、北区の御薗橋西詰から南区の十条通まで通じる。南の延長は久世橋通り(クッシーちゃん?!)の一筋南まで伸びる。
ほぼ全線にわたり住宅街の中を通る、通行量の少ない通りである。(wikipediaより)

猪熊通では綾のアクスタを用いてたくさん撮りました。というより今回のこの通り巡りで一番歩行距離が長いんデスよね…

下に続きます。
左上には旧大宮通も写ってますね。
超長いデス。おそらく2kmくらい??
途切れているところは堀川通を用いて通っています。


綾「猪熊通…いい響きね!」


古い風景が残っているのも趣があっていいですね。
このカットもお気に入りの一枚です。
猪熊通と綾です。こういう小路にはやっぱり浴衣の綾が似合う。


猪熊通と綾小路通の交差点。

はい。そんなものがあるんです。こちらをご覧ください。

ここです、ここ!すごいでしょ!!!!
撮ってきました。綾小路通りと猪熊通の交差点と綾です。
つぎは陽子のアクスタも持ってくるんだ…

綾小路通

というわけで次は綾小路通りです。
綾小路通(あやのこうじどおり)は京都市内の東西の通りの一つ。 東は寺町通から西は天神川通の二筋西まで、四条通と仏光寺通の間を通る。 途中に西小路通の西で四条中学校により分断されている。

平安京の綾小路にあたる。重要文化財の杉本家住宅をはじめ、裕福な商人の多かった通りである坊城通下ルに壬生寺、新選組壬生屯所跡がある。(但し大宮通から西大路通までの地名に壬生が冠せられる地域では「壬生○○町○○番地」と通りの名を住所として使わない表記が一般的である)
(wikipediaより)

綾小路通は平安京の綾小路にあたり、江戸時代には寺町通と大宮通を結ぶ区間を指していました。綾小路通の名称はかつて綾を織る人が多かったことに由来するとも言われているそうです。(綾小路通(アクセス・マップ・見どころ・概要・・・) (kyototravel.info)より引用)

ルートはこんな感じ!

そう、スタート地点の大宮駅付近なんですよね…
日暮通行くためにちょっと無茶しました。



綾小路通と小路綾です。

烏丸通。

そんなこんなで、烏丸通です。

烏丸通(からすまどおり)は京都市の主要な南北の通りのひとつ。今朱雀とも呼ばれる表どおりである。本来は「からすまる」と読まれたが、撥音便化を経て音が脱落し、現在は「からすま」と読む(からすまるどほり→からすまんどおり→からすまどおり)。「烏丸家」という公家もあるが、こちらは「からすまるけ」と読む。

平安京の烏丸小路にあたる。北は北大路バスターミナルの北側の今宮通まで。南は京都駅で分断されるが、久世橋通りまで延びている。

北大路通以北を除いて4車線の道路である。1887年に京都駅が誕生した後、京都市三大事業の一つである街路拡幅により駅正面の大通りとなったのは、「行幸道路」として拡幅されたためである。(中略)
平安京の朱雀大路と変わり、京都のメインストリートとなった。四条烏丸交差点周辺を中心として烏丸通は京都のビジネス街とされ、多くの銀行や企業がある。なお、京都市電烏丸線は1977年までに廃止されたが、のちに道路下には京都市営地下鉄烏丸線が敷設されている。

このようなすごい通りとなっています!まさにビックな通り!

ですが、今回の通り巡りだと…ちょっとしか歩きません…

200mくらい?

番外編として…
後日、再度烏丸通に再訪したのでその時の写真も載せておきます。

烏丸通と京都駅&京都タワー


松原通

つぎは松原通です。

松原通(まつばらどおり)は京都市の東西の通りの一つ。
東は清水寺門前から、西は佐井西通の一筋西まで。なお、さらに西の阪急京都線および西小路通と交差点には松原通踏切がある。

東の端、清水寺門前から東大路通までは清水道ともよばれる。寺町通から西は平安京の五条大路にあたる。

松並木の綺麗な通から「五条松原通」と言われるようになり、後に「松原通」の名前だけが残った。 豊臣秀吉が五条の橋を現在の地に架けたことから二筋南に五条通の名前が移った。 つまり、牛若丸と弁慶が出会ったと言われる「五条の橋」は、松原通に架かる橋が正当であり、現在五条大橋西詰におかれている2人の像は二筋南におかれていることになる。
なお現在の松原橋は1935年の鴨川水害で倒壊流失後に架け替えられたものである。(wikipediaより)
つまりこういうことデス!

まあ、牛若丸と弁慶の出会ったとされる橋も、鴨川であるとする説の他、鴨川には橋は架かっておらず、沿道の五條天通の近く、西洞院通に沿って流れていた川に架かっていた橋であるとする説もある。(wikipediaより)
とかいろいろあります…歴史は面白いですね。

松原橋|【京都市公式】京都観光Navi (kyoto.travel)
詳しくはこれを見るといいかも!

番外編として…
松原通は写真が少なかったので後日の写真も混ぜています。
この時は、きんモザの聖地のひとつである松井本館にも立ち寄っているのでその写真も置いておきます!
詳しい場所等はググってください!

苗字巡りの旅より東の地点で撮っています。
せっかくなので穂乃花と香奈も入れておこう…
松井本館デス!いつか泊まりたい。
偶然持ち合わせていたきんモザ7巻と一緒に!

本編に戻りまして…
今回の苗字の由来通り巡りでのルートはこちら!大宮通へと向かうルートとなります。

紫でマーカーしたところは綾小路通です。結構近いんデスよ。
黄色マーカーが今回通った場所です。




松原通とアリスとカレンです!
両手に金髪!!!

大宮通で南に向かいます!

ルートはこんな感じ!

金髪同盟を結んでそうな交差点…



先ほど、松原通のときに少し出てきた五条通ですね。

京都駅に向かいます!

ここのルートあまり覚えてない…
おそらく、七条通を通って道なりに進んで京都駅に行ったのかな?

猪熊通の通り名サイン!こんなところにあったのか!
実は猪熊通と大宮通も近いです。

京都駅で小休憩

空中回廊を探索してきました。

京都タワーとアリス&カレン
京都タワーと綾

しのが嬉しそうです。

九条通

さいごは九条通デス!
久世橋通と白川通は…体力と時間の限界で…ユルシテ

九条通(くじょうどおり)は、京都市の主要な東西の通りの一つ。平安京の南端の九条大路にあたる。東は鴨川の九条跨線橋東詰の東福寺交差点でそのまま東大路通につながり、西は葛野大路通に突き当たる。千本通から西でやや南へ、西大路通からはさらに大きく南に振れていて、平安時代のものとは大きくずれている。

現在の千本通との交差点あたりに羅城門があった。その羅城門は980年(天元3年)に暴風雨で倒壊した後には再建されず、現在は碑が立っているのみとなっている。(wikipedia)

ルートとしては…
まず、京都駅から九条駅まで市営地下鉄烏丸線を使いました。
体力が限界…
そのあと、九条駅から東寺駅まで歩くといったルートです。
東寺駅からは近鉄で京都駅に移動しました。

500mくらい?



九条駅デース!


九条烏丸!
九条通と九条カレンデス!

その後

京都駅に戻った私は、同行者が嵐山に行きたい!ということで嵐山もついでに探索しました。
1時間弱の探索でしたが楽しかったデスね~。

渡月橋をみながら嗜むコーヒーは美味しいですね~。
渡月橋と綾です。撮影は陽子


渡月橋と金髪少女!
シノ「はぁはぁ…これはいいですね~…」


嵐山でも多少撮影してきました。

帰宅!


嵐山を発ちます。
きんモザのCDを聴きながら帰宅!

完走した感想

疲れましたね…
10㎞位は歩いた模様で…
ですが、こんなに歩いても約4~5時間程度で私たちは完走しました。
ですが、久世橋通と白川通が行けてないのが反省点です。
白川通が結構他の通りより遠かったというのと、久世橋通は…体力切れで…

きちんと交通手段を駆使して、きちんと観光してください!
このとき、所持金が少なかったので私たちは歩きましたが…

それでは、これで終わります!ありがとうございました!

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