「僕が見つけた君の輝き」

彼女の良さを見つけられたことが、自慢だった。
彼女の顔の小ささを強調している眼鏡も、メイクをしていない素朴な頬も、飾り気のない黒い髪ゴムで無造作にまとめられた髪も、膝を覆うくらいのスカート丈も、着崩した風のない制服も、全てが彼女の魅力だった。
クラスの友達は「あんな根暗のどこがいいんだ」とか「何考えてんのかわからなくてむしろ怖い」とか言っていたけれど、この評価は彼女の本質を捉えられていない。
普段は無口な彼女も、自分の興味のある内容になればちゃんと会話に乗ってきてくれる。特に好きなのは宇宙や天文に関することのようで、一緒に下校するとき、夕焼けの空に輝く明るい星を見つけると「あれは宵の明星。金星のこと。地球よりも内側を公転しているから、真夜中には見えないの」と教えてくれたりする。
星や宇宙について語る時、彼女の瞳はいつも輝いている。その美しさは、まるで一番星のようだと、僕は思う。

彼女――木島詩乃――と話すようになったのは、1月のある日。
なんだか寝付けなくて、こっそりと家を抜け出して、夜の下を歩いていた。大きい街ではないから、居酒屋のキャッチに話しかけられるようなことはない。ゆっくりと足を運ぶ僕の横を、冷たい風が吹き抜ける。
住宅街の狭い路地を歩き、近くの公園まで行くことにした。理由はない。ただ誰にも出会わないところに、行きたかった。

残念なことに――今となっては幸運なことに――公園には先客がいた。
たったひとりでブランコに腰掛け、同い年くらいの女子が夜空を見上げていた。
眼鏡の奥の瞳が、無数の星で輝いている。冬の冷たい夜風にさらわれる長い黒髪が、美しかった。
話しかけたのは、彼女の方からだった。
「あなたも、シリウスを見に来たの?」
シリウスとは、なんのことだろう。初めて会った相手に対する挨拶にしては、変だなと思ったのを覚えている。
「いや、そういうわけじゃない」
「そう」
たったこれだけ。僕と木島詩乃が初めて言葉を交わした時の会話だ。
だが、この会話が、たったこれだけの言葉が、僕の運命を変えたのだろう。

次の日、学校へ行くと、昨日公園で会った女子が隣の席に座っているのに気づいた。昨日は結んでいなかった髪を、今日は後ろでひとつに束ねている。シュシュやアクセサリーは使っていない。ただの黒い髪ゴムで結んでいるようだ。
僕は自分の席に荷物を置くと、無意識に話しかけていた。
「君、昨日公園にいた子だよね」
「……そう、だけど」
「同じクラスだったんだね、気づかなかった」
「暗い性格だから。私のことなんて知らなくて当然だよ」
ちょっと傷ついた表情をしているのは、おそらく彼女の方は僕と同じクラスだということを、昨日の時点で気づいていたからなのだろう。
「ごめん、人の顔と名前を覚えるのが苦手で。名前、聞いてもいい?」
「いいよ、言い訳しなくて。気にしてないから。……私の名前は、木島詩乃」
そんな会話をしていると、一限の授業の先生が教室に入ってきた。
もう少し話していたかったのだけれど、仕方がない。僕は渋々席に着いた。

一限は地学。天文分野についての授業だった。太陽があーだこーだ、月があーだこーだ。正直すこし退屈だ。
朝は得意な方ではない。眠気で勝手に落ちてくる瞼をなんとか堪えていると、黒板の方から「シリウス」という言葉が聞こえてきた。
急に眠気が覚める。昨日、詩乃が言っていたのと同じ言葉だ。
慌てて黒板を確認する。シリウスとは、星の名前らしい。太陽を除いて、地球から最も明るく見える恒星。冬の大三角形のひとつに数えられ、おおいぬ座の1等星。
詩乃は昨日、これを見にきていたのか。そういえばあの公園は、街灯がなく夜空が綺麗に見えていた。
これだ。詩乃に再び話しかける口実を得て、僕はなんだか嬉しくなった。別に口実なんてなくても、クラスメイトなのだから普通に話しかければいいのに。そんな常識論が浮かばないほど、僕は彼女のことが気になっていた。

授業が終わって、すぐに話しかける。
「シリウス、昨日見てた星のことだよね」
詩乃は椅子に座ったまま僕を見上げ、答える。
「そう。なにか変?」
「いや、変じゃないよ。夜に公園でひとり、星の観察って、なんかカッコいいなと思って」
「……バカにしてる?」
「してないしてない。本気だよ。星が、好きなの?」
「……星っていうか、天文、かな」
その違いは、僕にはわからなかった。でも、星が好き、という認識はそう遠くはないだろう。詩乃とこれから先も関係を維持するには、これが一番簡単なはずだ。僕は意を決して言う。
「星のこと、僕に教えてくれない? 星のことは、あんまり詳しくなくて。詳しい人を探してたんだ」
ちょっと無理があっただろうか。言い切ってから不安になってきた。急に「星のことを教えてくれ」なんて、冷静に考えれば変なやつだ。やってしまった。今からでも撤回しよう。そう思って口を開きかけたその時、一歩早く詩乃の方が言葉を発した。
「……ほんとに、いいの?」
「え?」
「ほんとに、私があなたに、星のことを話して、いいの?」
「っ、もちろんだよ」
「ありがとう! 天文なんてみんな興味ないだろうから、話し相手がいなくて悲しかったの」
……なんだかよくわからないけれど、うまくいったのだろう。目の前で満面の笑みを浮かべている詩乃を見ていると、こちらまで嬉しくなってしまう。
そろそろ次の授業が始まる。「天文仲間」になった詩乃が、再び席に着こうとした僕の耳元で囁いた。
「これから、よろしくね」

それからというもの、僕と詩乃はふたりで時間を過ごすことが多くなった。学校からの帰り道、休日の午後、学校の昼休み、エトセトラ。どの時間でも、詩乃と過ごす時間はとても楽しかった。プラネタリウムを見に行ったり(終わった後で、解説員よりも詳しく丁寧な説明をされたのには驚いた)、星空ワークショップに行ったり(星座がデザインされた手作りのキーホルダーをプレゼントしたら、とても喜んでくれた)、集まってすることと言えばやっぱり星に関連することだった。
詩乃はたったひとりの天文部員で、その活動のために真夜中の学校の屋上に入ることがあるらしい。2月の観測が今日この後あるというので、僕もお邪魔させてもらうことにした。名目は「部活の見学」。入部には微妙な時期だから見学ということにしたのだが、先生には怪しまれたかもしれない。
屋上で望遠鏡をセットしながら、詩乃が言う。
「カノープスっていう星が好きなの」
「どんな星なの?」
「シリウスの次に明るく見える恒星で、りゅうこつ座の1等星。船の水先案内人に由来するって言われてるの。実際の大きさはシリウスの質量の4倍はあるんだって」
「そうなんだ」
セットが終わったのか、詩乃は望遠鏡から離れ僕の横に寝転がった。視界をできるだけ星空で満たすため、学校の屋上で天体観測をするときはいつもこうして寝転がるのだという。冬の天体観測は空気が澄んでいるから星が見やすい一方、寒くなるのが欠点だと詩乃はよく語っている。2月下旬の、冬と春の境のような独特の空気のなか、ふたりで夜空を見上げる。
少しでも暖まろうと、互いの体温がわかるくらいの距離にくっつく。ふたりを覆うように、用意してきた毛布を掛ける。風はない。毛布の下で、詩乃の右手が僕の左手に微かに触れた。
気付かれないように詩乃の横顔をうかがう。詩乃はほぼ天頂を見上げたまま、口を開く。
「カノープスはこの辺りからは見えないから、シリウスみたいな有名な星に比べると知名度が低いの。それに地球からの距離も、シリウスの8.6光年に比べてカノープスは310光年。とっても遠い。だけど、そこがいいなって、私は思うの」
詩乃は眼鏡をはずし、目を閉じる。まるでここにはいない誰かを思い浮かべるような、穏やかで優しい表情。
「シリウスに匹敵するような明るさを持っていながら、誰の目にもつかずただ一人で輝き続ける。その孤独な輝きは、人気のあるシリウスには劣るかもしれない。それでも、絶対的な強さと、美しさを持っていると、私は思うの」
そして、詩乃は再び眼鏡をかけ、目を開けて続ける。
「人に見られなければいつかは忘れられる。それでも、私は忘れないし、忘れたくない。いつか、カノープスを直接見ることができたら、いいなって思う」
詩乃の話を聞いて、まるで詩乃のことを見つけた僕自身の感情を言い当てられているようだと思った。誰にも見つからない、それでも絶対的な可愛らしさと魅力を持った詩乃。彼女の良さを見つけられて、本当によかった。
詩乃の横顔から目を外し、詩乃が見つめる満天の星空を目に収める。そして、言う。
「詩乃のその思い、僕に手伝わせてくれないかな」
詩乃は不思議そうな顔をする。
「どういうこと?」
「カノープスを見に行きたいんでしょ。それを、僕にも手伝わせてほしいんだ。ここからじゃ見えないんだったらもっと空気の澄んだ、人里離れた場所に行けばいい。寒ければ寒いほど空気中の水分がなくなって、光害のない田舎なら綺麗に見えるはずだから、北極圏の地方都市にでも行けば見えるかもしれない。詩乃の旅に、着いて行かせてほしいんだ」
詩乃は、驚いた表情のまま、固まっていた。僕は最後の一押しとばかりに、付け足す。
「だめ、かな?」
しばらくの間、無言の間が流れた。僕を見つめていた詩乃は、正面を向いて、ようやく答える。
「カノープスは、北に行っても見えないよ」
「え?」
「カノープスは、日本からじゃ地平線の下に沈んでて見えないの。見に行くとしたら、南半球の、オーストラリアとか。だから、北極圏に行っても、無意味なの」
抜かった。星が見えない理由は、空気の綺麗さと街の明かりだけだと思い込んでいた。これじゃかっこつけた分、失敗したせいで印象が最悪だ。なんとか挽回しようと口を開こうとしたが、言い訳のひとつも思いつかない。やがて、失望したように詩乃がため息をつく。
「もう少しくらい、天文に興味を持ってくれてると思ってた。地球のそれぞれの地点で見える星が違うなんて、星空の知識の中でも初歩中の初歩だよ」
さっきまで美しい星々に輝いていた瞳が、ゆっくりと閉じられる。かかっていた毛布を抜け、詩乃が立ち上がる。
「ごめん、君の知識量じゃ私と話すのは早かったみたい……ごめんね」
そう言うと、詩乃は結局一度も使わなかった望遠鏡を片付けると、屋上から降りて行った。
ひとり残された屋上には、もはや何の星かもわからないきらめきだけが、降り注いでいた。



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