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【独言】更新されないページの向こう側。

 先一昨日、2022年の仕事を納めた。
 いや、気持ち的には全く納められてはいないのだが、いつまでも仕事に明け暮れて年末を楽しめないのは勿体無いと思い、切り上げた。偉いぞ、去年の自分と比べて多少の成長を感じる。昨年は、客先に合わせて12/30まで働いて、かつ、想定外の障害が起こったんだった。あれは驚いた。

 想定外の打ち合わせを乗り越え、集中仕切ったことでバキバキになった肩を回して、ブラウザのブックマークを眺めた時、ふと、最近触っていないフォルダがあることを思い出した。フォルダに置いたのは2つのHatena Blog。

 1つは、『虐殺器官』や『ハーモニー』の著者、伊藤計劃さんの「伊藤計劃:第弐位相」。
 もう1つは、『東京を生きる』の著者、雨宮まみさんの「戦場のガーズル・ライフ」である。

 最初はそれぞれの著作に惚れ込み、書評や感想を読み漁っていたところ、お二人のブログに辿り着いた。自分の読書傾向として、現代文学よりも近代文学を読むことが多かったため、基本的に作者は故人で、新作小説が出ないのが当然だと思っていた。そのため、「同じ時代に作者が生きている」こと自体が、私にとっては嬉しくてならなかった。ブログ全ページを片っ端から読み漁り、どんな人なのか、を一所懸命に追いかけた。

 追いかける中で、新しい記事が更新されることがある。そうした時、ネットワークの向こうで、確かに伊藤さん、雨宮さんが記事を書いていらっしゃるのだと実感した。貴重な経験に遭遇できたことが、嬉しくてならなかったのを覚えている。

 だが、このブログは、いずれも2度と更新されることはない。新しい記事が更新されることも、既存の記事が修正、削除されることも、ない。

 私は伊藤さんにも雨宮さんにも実際にお会いしたことはない。ごく一般人だったので、著作を読んだことがある程度の人間でしかない。だから、お二人との思い出なんて一つも持っていない。しかし、このブログが更新されていたタイミングを知っていたので、更新が途絶えることの重みをダイレクトに経験した。
 ある日突然に時計は止まり、どれだけ願っても再度動くことはない。それが、会ったこともない人なのに、ひどく辛かった。

 更新されないブログの最新の記事は、それぞれ2009年1月7日、2017年1月1日。どちらも年始の頃に書かれている。今年は2022年で、あと数日で今年が終わる。また、伊藤さんと雨宮さんが最後にブログを更新した頃を超える。

 先日、イーロン・マスク氏が、休眠アカウントを削除するとの発表があった。

 多くの声が上がっているとおり、故人のアカウントが消えてしまうとの懸念がある。いつか、ブログも同じように休暇アカウントを整理することになったら、更新されないページの向こう側には、もう、本当の意味で誰もいなくなってしまう。

 また年が変わる。お二人のブログは、碑として、墓標として、爪痕として、今も尚、確かに存在している。だから、何度でもいつまでも訪れたい。

 大切な人に、献花を供えるような、優しく穏やかな気持ちで。

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