見出し画像

トライアルにはやっぱり合格したいけれど。

たまには翻訳のことを。最近考えていたトライアルについて。

昨年4月あたりからトライアルをたくさん受けるようになった(当社比)。コロナの影響で依頼が減り、このまままったく仕事がこなくなり翻訳ができなくなったらどうしようとめちゃめちゃ不安になったから。仕事がこなくなってわかったこと――常に仕事に取り組むことが自分にとってどれほど精神的安定をもたらしていたか。いかに翻訳が好きか。派遣として働くことも考えたけれど、この3年ほどきちんと新規開拓をしてこなかったので、とりあえずできることからやってみようと翻訳会社、エージェント、直接取引できそうなクライアントを調べまくった。SNSでも情報を収集した。トライアルに応募し、すぐに返信をいただけたところもあれば、自動返信メールのみで終わったところ、まったく返信がないところもあった。

2011年6月にフリーランスになった直後、取引先を1社でも増やそうといくつもいくつもトライアルを受けた。合格し、初めての仕事を納品したあとにまた依頼をいただけたときは本当にうれしかった。翻訳はフィードバックをもらうことが少ないので、果たして自分の訳がクライアントに評価されたかどうかの基準は、わたしの場合、また同じ仕事(あるいは同じ翻訳会社から)の依頼をもらえるかに置いている。最初の仕事をもらえるまでが結構ハードル高いけれど……。

フリーランスになりたての頃、そしてその後時折新規開拓していた頃は、何が何でもトライアルにパスしなきゃと、とんでもなくプレッシャーに感じていた。だから不合格だったときのダメージは相当で、どこをミスしたのか見直しては落ち込み、自分は翻訳をしてはいけないんじゃないかと悩み、何週間も引きずることさえあった。ところがコロナ禍でトライアルを受けてきて、これまでと少し違う捉え方ができるようになった。

トライアル申し込みのメールを送るときも、トライアルに臨むときも、トライアルの翻訳原稿を送るときも、仕事につなげたい!と意気込んでかなり緊張する。こういう気の張り方は今でも変わっていないし、これからも変わらないと思う。けれど、数カ月にわたってさまざまなトライアルを受けきて感じたのは、トライアルにもそれはそれはいろんな形の問題があって千差万別だということ、そのひとつひとつの問題に対して「今」持っている以上の力は発揮できないんだということ、「今」のすべてが訳文に反映される(されてしまう)ということ。「今」の力で臨んだトライアルに不合格だったのなら、力が足りていないですよ、というメッセージを受け取れたと思えるようになった。

いや、さすがに落ち込む。落ち込みはする。あーあ、どうしてダメだったのかと見直してもわからなくて悶々とする。けれど、トライアルは個別にフィードバックをもらえるものではないし、そこでどうにかしたくてもどうにもならない。できることは、勉強を続けることだけ。単純だけれど、トライアルにパスしなかったことをこんな風に少しだけプラスの考え方に変えられることができたのだからよかったと思う。これからもトライアルを受け続けようと思う。

これを書いている今、先週受けたトライアルの連絡がきた。不合格でした。落ち込むわ……。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?