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「信じる」力

教育に必要なものは何か。
答えはいく通りもあるだろうし、正解はないのかもしれない。
しかし、わたしの思う「教育に必要な力」は、「信じる力」だと思う。

わたしの母は、有能な教員だった。
病気をして、教育現場を退いた今でも、教え子たちからの年賀状や連絡が途絶えることはない。
その母の持つ「信じる力」について、少し話したい。

***

小さい頃、母は何でもできる人だと思っていた。

小学校の教員としてばりばり働き、多くの生徒と先生に慕われていた。
家族の中ではいつも笑っていて、母がいるとぱっとその場が明るくなった。
泳げないし、逆上がりもできないし、自転車にも乗れない母が小学校高学年に体育を教えられるのは、ずば抜けてできる人だからだと思っていた。

もう少し長じて、世の中には「自信のある人」と「自信のない人」がいると分かったとき、母は絶対に「自信のある人」側の人間だと思ったし、自分もそうであると疑いもしなかった。

大人になって、母が病気になって、はじめて、母は「自信のない人」だったことを知った。
毎晩40度近い高熱にうなされ、みるみる痩せていく母は、ときどき弱音を吐いた。
それが、わたしには衝撃だった。

「眠れない」
「体がかゆい」
「乾燥する」

そんな些細なこと、看護師さんに話したらすぐ対処してくれるよ〜、と返すと、

「お母さん、ほら…意外とね、言えないのよ」

と返された。
そのやりとりが何度も繰り返されるようになり、入退院が3回目になったこの冬、わたしは気づいたのだ。
母は決して「自分に自信を持ち、自分をかわいがる部類の人」ではなかったことに。

定められた薬をきっかりの時間、正確に飲む。
言われたことは生真面目すぎるくらいに続ける。
(風邪の予防の為のうがい薬を処方箋どおり毎日使い、次の処方日までに使い切る患者は、母のほかにどれほどいるんだろう?)
入院している他の患者さんから、あれをもらった、これをしてもらったと嬉しそうに話すとき、母は必ず「どうしてなんだろう?こんないい人たちがいっぱいで」と心底不思議そうにいう。

母はきっと、自分に自信がない人だった。今も、これまでも。
だから、人に頼みごとをするとき、何かしてもらったとき、あんなにも遠慮がちなんだ。
ではなぜ、わたしは母を「自信のある人だ」と思い込んでいたのだろう?

それは、母の絶対的な「人を信じる力」だと、ある日気づいた。
母は、純粋すぎるほどに、人を、人の能力と才能を信じることができるという、天賦の才を持っているのだ。
それが人を引き寄せ、彼女をあんなにも輝かせる。

***

信じる力で子どもは育つ
好例が、わたしだ。

小さい頃から、一度も「勉強しなさい」と言われたことがない。
でも、わたしは一般的には「よくできる子」に振り分けられたし、勉強に関しては一定の自信を持って取り組む子に育った。

自分自身が「よくできる子」だと信じていたからだ。
それは、母が心底わたしのことを「よくできる子」と信じていたからに他ならない。
一点の曇りもなく、母はそう信じていた。

印象深いのは、わたしが中3の時の学校の進路面談である。
兄2人が進学した公立高校を、わたしは志望していた。
三者面談が始まるやいなや、担任は通知表を広げて言った。

「お子さんの成績では、ちょっと、こちらの高校を志望するのは難しいかと」
ええ〜、そんなこと言う?と思う間も無く、隣の母が口を開いた。

うちの子が受からない高校はありません

担任は口を開けて母を見た。
わたしも口を開けて母を見た。
母だけが毅然として、「うちの子は絶対受かりますから大丈夫です。ほかに何かありますか」と続けた。
それで、三者面談は終わってしまった。

これが、のちにわたしの家族の中で何回も話題に上ることになる「中3三者面談事件」のあらましだが、何度聞いても母は「だって、そうだもん」としか言わなかったし、わたしは本当にその高校に受かった。

***

ほんのわずか、教育に携わるようになって今年で10年が経つ。
塾の講師であるわたしが生徒と接することができる時間は、1週間のうち1時間か2時間に過ぎない。
その短い時間、わたしは自分の持っているものを押し付けることに躍起になっていやしないだろうか、と自問する。
できないものを見つけだし、粗探しして、できるようにしてあげよう、などと思ってはいないだろうか、と。
わたしは彼らの才能を信じ、それを伝えることができているだろうか。

教育の現場は疲弊している。
学校も、民間教育も、なにより、子どもも、親も、疲れている。
そんな気がする。

そんなとき、母のことを思う。
母は心から楽しく仕事をしていた。
その子の才能を信じ、応援することが母の仕事だったからだ。
そこに、点数や偏差値はない。

母が最後に受け持った6年1組のことを、わたしはよく覚えている。
ときどき、家で母が採点するのを見ていたが、母は間違った解答に花丸をあげていた。

「(考え方が)面白いね」
「ワオ!たくさん書いたね!」

そんな母のコメントを喜び、子どもたちはみんな、テスト用紙いっぱいにいろんなことを書いていた。わたしから見ればトンチンカンで、「え?」というようなところに母は波線を引き、花丸を書き入れる。
点数自体は100点満点中20点の子が、「算数大好き!」と大きく書いている。
これが教育の原点なんじゃないかな、と、わたしは心から思う。

入院中の母に、今日こういうことがあって、どうしたらよかったんだろう、とメッセージを送ると、可愛いスタンプとともに的確なアドバイスが送られてくる。
その後、必ず、わたしを労い、褒め称える言葉が続く。

母のような人が教員であってよかったと思うし、母がわたしの母であったことについてはもう、幸運であったというほかない。

ちなみに、兄2人も、教員である。
長兄は、公立高校の数学の教員。
次兄は、小学校教員。

我が家における「教育」は、実は、とてもうまくいっていた一例、なのではないだろうか。

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