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水を差す女。


中学生の頃、一時期、いつもある女の子と一緒にいました。

ほら、中学生くらいの頃って、なんとなく休み時間いつも一緒にいる、とか
なんとなくのグループってあったと思うのですが、

その子ともそんな感じで
放課後までは遊ばないけど、学校では一緒にいるような関係でした。


最初は良かったのですが、
だんだんとその子といるとなぜかしんどくなってきて、
だんだんと離れてしまったのです。


当時は、なぜ自分がしんどいのか、
彼女といると気持ちが下がるのかわかりませんでした。

でも大人になって、”こと”がわかってくると思い出したことがあったんです。


原因は、『言葉』でした。

例えば。

誰かが「今度、家族でスキーに行くんだ♪」と言ったとします。
彼女の答えは「そういえば私の親戚がスキーに行って骨折ったんだよね。」
なのです。

例えば。

誰かが「あれ美味しそうだから食べてみたい!」って言ったとします。
彼女の答えは「えーまずそうだよ」か「食べたけど美味しくなかったよ。」
なのです。

そう。

彼女は、とにかく『水を差す女』だったのです。


私はいつも、

こちらが発した言葉に、どんな答えが返ってくるかは、
それは相手の自由。
(・・・自分の思うような答えが返ってこなかったとしても。)

だと書いたり話したりしています。

水を差す言葉なんて、自分の内側に入れなければいいだけのことで、

自分の内側に生まれた『希望』や『期待』が
誰かの言葉で消えてしまう、なんて馬鹿らしいとは思います。


が。

みなさんも小さい頃、お母さんやお父さんに
「そんなモノ買ってどうするの?」とか
「そんなことしてどうなるの?」とか
「あの子と付き合うのはやめなさい」みたいなことを言われて
なんだかしょんぼりした記憶があるかもしれません。

とくに、
自分が心を開いている人の言葉はノーガードで入ってきたりしますから。


水を差されたくらいでやめてしまうなら、
最初から本当の望みじゃなかった。

それも本当かもしれません。

もしかしたら
「水を差された」と感じやすい人は、
自分の決断に自信がないのかもしれません。
(だから他人の言葉に惑ってしまう。)

もしかしたら
「水を差してしまう」人は、
自分が優れていることを分からせたいのかもしれません。


でもやっぱり。
個人的には、
水を差されるようなことはなるべく聞きたくないなぁと思うのです。

『希望』や『期待』は
原動力のガソリンになります。

そして、
『言葉を怠けない』というのは
言葉の選択を怠けない、ということです。
闇雲に、思ったことを全部投げつけるみたいなこととは違います。

もし。
水を差す人がいつも近くにいる。という人は、
「水を差されているような気がするからやめて。」と言葉で伝えるといいと思います。
もし何回か伝えて、相手がやめてくれなかったら。
離れるか、その人に報告することをやめるのもありだと思います。
あなたの原動力を守るために。

そして、
あなたの原動力に力をくれる人の言葉をもらってください。

それが『甘える』ということです。


どんな言葉を使ってますか?
どんな言葉を受け入れていますか?

愛をこめて
elly

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