誰かの正解なんてもういらない
夜の透明度が増して、冬が近づいてきている。
10月もあっという間にあと数日で終わり。わたしの有休消化もタイムリミットが近い。
仕事を辞めると決めてから今日まで、今まで当たり前に握りしめていたわたしの世界の「普通」が、がらがらと音を立てて崩れていくような日々だった。
今までこうやって思っていたけど、本当?人はこうした方がいいって言うけど、どうして?と、次々と疑問が湧いて、まるで小さな子どものように、はてなマークでいっぱいだった。
ようやく、働く先を見つけた。好きな街で、好きなものに囲まれて働く。楽しみで、わたしのこれからにちいさな希望が宿った気がしていた。わくわくした。
でも、久しぶりに実家に帰ってきて、親にそのことを話すと、2人とも渋い顔をしていた。
「定職についた方が」「正社員の方が」
もちろんね、言っていることも、心配されているって言うこともわかる。でも、そう2人に言われてしまうことで、大切に握りしめた希望のかけらが、すっと光を弱めてしまうような、そんな気がした。
いつもこうだ。1人で決めて、わくわくして人に話して、その人に認めてもらえないと、しゅんと気持ちがしぼんで、何か悪いことをしたような気がしてしまう。罪悪感のようなものが生まれる。あ、間違えちゃった、と思う。言われた一言がずっとついて回って、わたしのちっぽけな自信を覆ってしまう。
昔からずっとそうだったし、それに従ってきた。間違えちゃったから、正解に修正しようと考えを変えてきた。今も、正直に言うと不安になっている。でも、もうこんなの嫌なのだ。
誰かの正解を目指して、自分の行動を決めたくない。間違っていたとしても、せっかくのわくわくを捨てたくない。自分は自分でいたくて、誰かのための自分でいたくない。
だから、誰かに何かを言われても、「大丈夫、自分で考えてみるよ〜」と、とりあえず伝えて、わたしの気持ちととことん向き合うことに決めた。
だからお願い。甘いと思っても、不安に思っても、少し離れたところから見守っていて欲しい。
わたしは自分の人生を頑張ってみるからさ。
10.28 やっぱり地元のにおいが1番好きだ
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