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おだがけ

黄金色の稲穂が広がる田んぼが、少しずつ減っていき、そのかわりに物干し竿にかけられた洗濯物のように稲が干されている。地元では、これをおだがけと呼んでいた。
25年くらい前の田舎の記憶では、ほとんどの田んぼにおだがけがあったと思う。記憶の中の単語は話し言葉で、どういう漢字や意味があったのかはわからないが、自然と耳に馴染んでいた。

田植えも稲刈りもご近所総出で行うイベントで、各家庭には外でも使える保温ポットがあった。今では考えられないが、ちゃんと急須と茶碗を持って、休憩時には外でも緑茶を淹れてお茶菓子を食べていた。だいたい煎餅とルマンドとおまんじゅう。玉喜屋のみそまんじゅうは欠かせない。

少し大きくなった子どもの頃、祖母の家にはコンバインがあったけれど、隅っこの機械が入れないところは手で刈っていた。手伝いをして稲刈り用のギザギザの鎌で手を切ってたくさんの血が出たことも思い出した。

そして最後に車に乗って帰ると、横目に見る田んぼには沢山のおだがけが並んでいて、ああ秋だなあと感じる光景だった。

そんなおだがけを自分で作る機会があった。そうか、おだがけをつくるには長い竹がたくさん必要で、だから田んぼの近くに竹林があったのかと納得。おだがけの土台を作るにも、手で稲を刈るにも刈った米を縛っておだがけするにもたくさんの人手が必要で一日がかり。刈って、しばって、干す。たったこれだけがこんなにキツいとは!
こまめにお茶休憩しないとしんどいし、ここにせんべいとおまんじゅうがあったらなあ!と思った。暑い日だったから、お茶は淹れたてより冷たい方がいいけれど。保温のポットの他に麦茶を入れる大きめの保冷ジャーも昔は実家にあったことを思い出す。

そんな実家も今は田んぼを近所の農家さんにお願いして作ってもらっているから、田植えも水の管理も稲刈りもしない。塾の帰りに田んぼの水を見に母と田んぼによったり、友達の家に遊びに行った帰りに田んぼにいる祖父に声をかけに行くなんてこともない。

ちょっと感傷的になった週末でした。

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