Rock in Japan Fesとわたし
2000年から突如茨城で開始したRock in Japan Fes。
当時茨城県北に棲む中学生だったわたしは、3つ上の姉の影響で「BUMP OF CHICKEN」や「L'Arc~en~Ciel」にはまっていた。
塾の帰り道、母の運転する軽自動車の助手席で聞くラジオはRockで溢れていたし、姉の購読するRock’n on を盗み見ながら、新しく身近な場所ではじまるロックフェスに心躍らせていた。
初めてロッキンに行ったのはいつだったのか?Rock in Japan Fesを茨城の人はロッキンと呼ぶ。ロッキン=フェス。
姉が大学生になって、得意げに夜中にロッキンロゴ入りのタオルを首にかけて帰宅してきたのは覚えている。(今思えば、自宅から車で行ける範囲で、ロックフェスが開催される素晴らしさ!)
高校生の時に大学生の姉に連れて行ってもらったのが、初めて、だったと思う。
姉の友達も一緒で、テントを立てていた気がする。
初めてのフェス、グラスステージをメインに観戦して、フェス飯も堪能。五浦ハムと海鮮串焼きと異国感のあるご飯。
スピッツしか記憶にないけど、モッシュに揉まれる気持ちよさは染みついた。
その後だったのか、水戸ライトハウスにも通うようになった。
水戸駅前で演奏するストリートミュージシャンを追っかけしている、他校の女の子と友達になったり。
その頃ハマっていた高校生バンド(茨城高校の人たちがったと思う)の名前が思い出せなくてモヤモヤする。爽やか系のビートが効いた音楽だったと思う。魔法のiらんどの公式H P情報を追いかけたという記憶は残っているのに!
そんなこんなしているうちに、水戸でまちづくりに関わるようになり、面白い女子高生がいるぞということで声をかけていただいたのが、「TEENS ROCK FES IN HITACHINAKA」。実行委員として初回の高校生大会の開催に関わった。
本物のロッキンのステージに高校生が上がれる!
その手伝いができる!
ここからスターが生まれるのでは?
全てが煌めいていた。最高だった。
その後わたしは大学進学で、ロッキンとはお客さんで行く関係性に戻ったけれど、結婚出産してからは、子供が大きくなったらまたグラスステージでテント立てたいなあと思うくらいで全くロッキンに行けていなかった。
近すぎる故の油断。
そして、まさかのロッキンがひたち海浜公園からの撤退。
なぜ?どうして?
ぐるぐると思いがよぎる。
阿字ヶ浦のあの海からフェスが消えるなんて信じられない。
だからわたしは、「Lucky FM GREEN Festival 」クラファンを応援購入しました。
https://readyfor.jp/projects/luckyfes
もう一度、あのステージで音楽にあいたい。
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