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ボーカリストという生き方

人生初武道館&2023年初ライブ&髭男初ワンマン

HP先行も一般発売も当たり前に無理で、そりゃそうだよなあと思って諦めていたのだが、ふだん全然チェックしないのにたまたまローチケからの追加先行メールに気付き、ダメ元でバックサイド席申し込んだら当たった。
2023年、運が良すぎる。

ツアータイトル曲も大好きだし他にも好きな楽曲たくさんあるからメチャクチャ楽しみにしていたのだが、予想と異なる形でものすごく印象に残るライブとなった。

何を歌っても「どこかで聴いたことある」楽曲ばかりのにわかにも優しいセトリ、バンドメンバーに加わる豪華なサポートメンバー、老若男女が比較的バランス良く集まる観客席、うちわやペンライトではなく手拍子や指差しによる盛り上げ、大人しすぎず過激すぎない会場の雰囲気、それらすべてが私が長年馴れ親しんだ「国民的アーティストのライブ」を終始体現していた。

それは同時に、私がかつて一番愛していた00年代後半〜10年代前半の彼らを想起させずにはいられなかった。
一年に何度も新曲がドラマ主題歌やCM曲に採用され、そのたびに音楽番組に引っ張りだこになり、オリジナルアルバムを出してもほとんどが既知のタイアップ曲ばかりで本当の意味での「新曲」に出会えず少しつまらなかったあの頃。
それはまさに、目の前で歌う彼らの「今」だった。
(いや、アルバムに関しては正直知らない、ガンガン新曲を入れてくるタイプだったら申し訳ない)

だから、勝手に10年以上前の自分の思い出とぼんやり重ね合わせながら、どうか彼らの音楽が長く続きたくさんの人に愛されてほしいなどと非常に余計なお節介心を抱きながら演奏を観ていた。
私の思い出にある辛い経験とどうか無関係な音楽人生を歩んでほしいとひっそりと願った。

さて、その日のボーカル•藤原さんは正直、完全に本調子というわけではなさそうだった。
と言っても、音を外したり声が出なかったりするほどではない。
いつも地声でいくはずのところが裏声だったり、時々声をセーブしているように感じたりする程度で、歌唱力オバケであることに変わりはなかったため、私はさほど気にしてはいなかった。
ただライブが進むにつれ、彼自身がそれを気にしているのだろうことが嫌でも伝わってきた。
直接言及はしないものの、彼自身が一番、思うように声が出せない葛藤に苦しんでいた。
ボーカルが本番中にコンディションを整えるためにステージを中座したのは人生初めてだ(周りのメンバーが楽しく繋いでくれたので、その間も特に嫌な気持ちは無かった)。

そして一番楽しみにしてた本編最後のツアータイトル曲の直前、とうとう彼がそこに触れた。
何度も「悔しい」と繰り返し、そこから堰を切ったように今の不安や今日のステージの悔恨を語り出したのだ。
それはあまりにも赤裸々で痛切で、こんなところで私たちにそこまで話していいのかこちらが戸惑ってしまうほどだった。
その後、弾き語りアレンジで最初のフレーズを歌い始めたころには、彼は涙で歌えなくなっていた。

にわかながら、今まで私は彼の不調を見たことがなかった。
ライブだろうが生放送の音楽番組だろうが、笑ってしまうほど気持ち良く高音を響かせる姿しか見たことがなく、数多くいる歌唱力オバケの中でもいつも安定して歌えるボーカリストの一人だと思っていた。
だから、彼にもこんな夜があるのかとシンプルに驚いてしまった。

加えて、このご時世ゆえの声出し禁止の制約がボーカリストの重責を加速させていることも辛かった。
本来だったら、思うように声が出ない彼を、観客が一緒に歌うことによって支えることもできただろう。
しかし私たちは何もできなかった。
完全にそらで歌える歌詞をマスクの中で声を出さずに口ずさみながら、きっと私と同じように悔しい思いをしている人がこの会場にたくさんいるのだろうと思うと泣けてしまった。

そして、どうか大切なその声がこれからも少しでも長く守られてほしいと強く願った。
しかしそれは目の前の彼だけでなく、私の好きな人々、ひいては歌う人全てに言えることだ。
上述した「私の思い出にある辛い経験」こそ、大好きなアーティストが「歌えなくなった」ことに他ならないのだから。

そしてそれは何も特別なことではない。
特に私は、好きな人の伸びやかなハイトーンを何よりも愛する人間なので、ある意味その可能性がより高いとも言える。
「歌うこと」の責任をすべて背負いながら、全身全霊で今できる精一杯を誠実に届けようとしてくれるステージ上の彼に、重なってしまう人々が私にはたくさんいた。

だからこそ、こうして好きな人たちの最高の歌が聴ける「今」の瞬間にあらためて感謝したいし、歌うことが彼らにとっての幸せと喜びに繋がっていてほしいと祈るのだ。
大好きな人たち、歌い続けてくれて、ボーカリストという生き方を選んでくれてありがとう。

軽い気持ちで観に行ったのに、図らずも自分の音楽観を振り返り、当たり前でない幸福を再認識するきっかけになった印象的なライブとなった。
でも、今度は120%の藤原さんを観るためにもう一回行かないとな。

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