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(記事翻訳)史上最も変わった大使[在独ウクライナ大使、独リンドナー財務相の失言で紹介された記事]

記事元について。

フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(独: Frankfurter Allgemeine Zeitung、F.A.Z.)は、1949年11月1日に設立されたドイツの新聞社。ドイツの日刊紙として、中道右派の論調が知られている。発行部数は約36万部(2006年)。(wikiより)

記者について

Livia Gerster(@feminaprinceps) - ライプツィヒとベルリンでアラビア語と歴史を学び、カディス、ベイルート、エルサレムにも滞在。その間、アブダビのドイツ学校とパリのZDFで実務を経験。2016年にラインマイン・ツァイトゥングでインターンをした後、F.A.Zの政治ニュース部門に加わり、2017年12月からゾンタークスツァイトゥングの政治エディターを務める。

🔴政界のベルリンで、アンドレイ・メルニクほど恐れられている外交官はいない。誰もが戦略について語る中、彼は生と死について語る

アンドレイ・メルニク大使は、ドイツ人の注目度が高いことを知っている。 例えば先週のウクライナ大統領の演説に対する連邦議会の反応は小気味よい。

アンドレイ・メルニク大使はVIPギャラリーで手を捏ねながら座っている。「私たちは何度も何度も、ノルドストリームは戦争の準備であると言ってきました」とセレンスキーはスクリーンから言う。オラフ・ショルツ首相(Olaf Scholz、ドイツ連邦首相2021-)は回転椅子に小さく座り、彼を見上げている。メルニクは眼鏡の奥で目を細めている。

セレンスキーが語る「私たち」とは、何よりも彼、ベルリンのウクライナ大使を意味します。彼は何度も何度もパイプラインの建設を批判し、必要だと思えばフランク・ヴァルター・シュタインマイヤー大統領(Frank-Walter Steinmeier、ドイツ連邦大統領、メルケル内閣で外務大臣を務める)も批判してきた。彼は話を聞いてもらえたとは思っていなかった。メルニク大使が外務省や首相官邸のドアを叩いても、ドアを開けてさえもらえなかった。メルニク大使には何年も前から出入り禁止令が出されている。

「親愛なるショルツ首相」目の下に隈を作りながら、セレンスキーは言う。「ドイツにふさわしい指導力を発揮してください」メルニクにはショルツ首相の後頭部が見えるだけだ。黒いヘッドホンに囲まれ、そこから通訳の声が聞こえてくる。そして画面は真っ暗になり、ショルツは沈黙し、セレンスキーの訴えがドイツのアジェンダを打ち砕いた。

🔵メルニク大使はツイートを削除しない

メルニク大使はそんなつもりはなかったのだ。彼は2日前にショルツ首相に呼びかけ、演説への対応と政府声明を出した。SPDではこれはおこがましいことだと考えた。セーレン・バルトル副大臣(Sören Bartol)はツイッターで、"この大使はもう耐えられない "と書いている。彼は"大使"という言葉を引用符で囲んだ。

メルニク大使はバートル副大臣のことを知らないが、彼のことを理解することはできる。「彼は派閥の雰囲気を反映しているだけだ」とメルニクは言い、まるでバートル副大臣に同情しているように聞こえた。メルニク大使は、SPD(ドイツ社会民主党)の中にはバートル副大臣のように考えていても口に出さない人が多いことを知っている。メルニクは自分の意見を言う人が好きなのだ。

「怒ったときに何ができるか?それは嫌なツイートを発信することだ」彼もそう感じることがよくあります。例えば、ウクライナに降伏を呼びかける政治学の教授に「お前は本当にバカだ」と書いている。左翼のファビオ・デ・マシ元議員(ドイツ左翼党)には「左翼の口を閉じろ」と書き、ウクライナ軍にいるナチスについて議論しようとする。バルトル副大臣とは異なりメルニク大使は自分のツイートを削除しない。

本会議場では連邦議会副議長が2人の国会議員の60歳の誕生日を祝っている。60年間、彼らは平和と自由だけを体験してきた。そして今、変化も議論もなしに強制的な予防接種が行われることになった。メルニクは起き上がった。もうここには用はない。朝、キエフの彼の友人の家が爆撃された。「彼はつい最近、丹念にアパートを改築したばかりだ」

🔵スターリンの飢餓の恐怖からプーチンの攻撃への繋がる線

カメラに追われながら出口へ向かって走り出す。緑の党(左派、環境政党)のベテラン・メンバー、マリルイーズ・ベック議員(Marieluise Beck、元緑の党)は、彼にくっついていく。二人は複雑な関係にある。ベック元議員は、ロシアを常にクリアな目で見てきた外交専門家の一人である。ウクライナとの友情は揺るがない。しかし、メルニク大使との友情は2年前に深い亀裂を生じた。当時は、スターリンがウクライナで行った飢餓の恐怖「ホロドモール」が問題になっていた。メルニク氏は、連邦議会がホロドモール(ウクライナで起こった人為的な飢饉。wiki参照)を大量虐殺と認定することを望んだが、ベック元議員はそれは賢明でないと考えた。ベック元議員にとっては戦略的な問題であり、メルニク大使にとっては実存的な問題である。このエピソードはメルニク大使の思考の次元を表している。彼にとってはスターリンの飢餓恐怖症からプーチンの侵略までが一直線なのだ。

メルニク大使は、ポーランドの外務副大臣がすでに待っている階下のカフェテリアに行こうとする。CDU(中道左派、ドイツキリスト教民主同盟)のヘッセン州(ドイツ中央西部、フランクフルトがある)選出議員2人がエレベーターで彼を迎える。ミヒャエル・ブラント議員(Michael Brandt)は「あなたには、こんなに勇気ある大統領がいる」と言う。「首相が沈黙しているのは恥ずべきことだ。選挙区でクソみたいな騒ぎがあった」とシュテファン・ヘック議員(Stefan Heck)は回想する。彼はそれをバルトル副大臣と共有する。メルニクは親しげにうなずいて名刺をポケットに入れる。

メルニク大使の一行は、帝国議会議事堂のホールを慌ただしく通り抜けていく。若い国会議員が大使と自撮り写真を撮りたがっている。「さっきの総会は本当に恥ずかしかった」と若い議員はつぶやく。メルニク大使は何か言おうとしたが、すでに次の人が彼の顔の前を押している。結局のところ、飛行禁止区域の見込みがないなら、みんな連帯の言葉を送りたいのだ。

妻のスヴィトラーナ・メルニク夫人は黙って見守っている。彼女にも温かい言葉がかけられるが、その長い金髪の女性が誰なのか誰も知らないようだ。彼女は邪魔されずに歴史的な壁に刻まれた文字を研究することができた。「そこにキエフと書いてある」と彼女は小さく叫んだ。「そして、あそこにはドンバス!」彼女は急いで数歩移動した。赤軍とともにこの地でヒトラーを倒した若きウクライナ人兵士たちのキリル文字である。「ベルリンの中心で!これが私たちの歴史よ」とスウィトラナ・メルニク夫人は言う。苦々しい響きだ。ドイツ人は、ロシア人だけでなく何百万人ものウクライナ人がドイツ国防軍(Wehrmacht、ナチスドイツの軍隊)に殺されたことを、いつも忘れているからだ。(※注、ドイツ連邦議会の一角には旧ソ連兵のキリル文字による落書きがある)

🔵「彼は私のメールを全部転送しているだけだ」

2021年2月の時点で、シュタインマイヤー独大統領はノルドストリーム2を 「ロシアとの波瀾万丈の歴史」に言及しながら、ロシアとの最後の「橋 」の1つと宣伝していた。彼はドイツ戦争のソ連人犠牲者を想起し、「それは今日のロシア政治におけるいかなる悪事も正当化しないが、大局を見失うことがあってはならない」と述べた。

メルニク大使には、ウクライナやベラルーシの人たちの苦しみはどうでもいいというふうに聞こえたようだ。激怒した大使は数ヵ月後、ドイツ大統領からカールスホルスト(Karlshorst、ベルリンの地区)の独ソ博物館でのソ連兵捕虜展への招待を断った。この屈辱はベルリンでも忘れられてはいない。

テレビクルーが本会議場の入り口前に陣取っている。フリードリッヒ・メルツ議員(Friedrich Merz、CDU党首)議員が照明に照らされながら、政府を非難している。ノルベルト・レトゲン議員(Norbert Röttgen、CDU議員)は、国会議員としての「最も威厳の無い瞬間」として振り返っている。

メルニク大使が食堂から出てくると司会者たちも彼に襲いかかる。彼の妻は夫が何百回、何千回とカメラに向かって丁寧に自分の要求を話すのを見ている。国会議員が互いにうなずき、ネクタイを大事そうに握っている様子。クリスチャン・リンドナー大臣(Christian Lindner、財務大臣、ドイツ自由民主党党首)がガラス戸から入ってきて、メルニク大使を一瞥し、すぐにまた背を向ける様子。ロルフ・ミュッツェニヒ議員(Rolf Mützenich、SPD議員)が一言もなく大使とすれ違う様子。メルニクは「彼は私の郵便物を全部転送してくれるんだ」と言う。

🔵他人を傷つけたら申し訳ないと思っている

大使館では、面会を整理する時間がある。メルニク大使は緑色の革張りのソファーに座らせてくれと言う。彼は疲れており、夜は数時間しか眠れない。「医者に診てもらった方がいいかもしれない」「誰か知りませんか?」

彼は毎朝起きることを余儀なくされる感覚がある。ここベルリンでならまだ何かをやり遂げられるという思いがあるのだ。朝一番に親族の安否を確認し、キエフがまだ立っていることを確認し、「今日は誰を説得できるだろうか」と自分に問いかける。毎日、国会議員に会い、国防省に顔を出し、外務省に問い合わせをする。夜にはセレンスキーや外務大臣にメールを送る。時々、何を書いていいかわからなくなる。「今日一日、祖国にとって何かいいことがあったのだろうか」「それとも、また誰か新しい政治家を怒らせてしまったのだろうか」

楽しんでいるわけでもない。他人を傷つけたら申し訳ないと思っている。「私はただの人間であって、メルニコマットではないのです(Melnykomat、Melnyk + Automat で自動化機械のようなイメージ)」と彼は肩をすくめる。「メルニクとはミュラーのことで(Melnykはドイツ語ではMüller)、メルニクは自分の世界をドイツ人に翻訳することを決してやめようとしないのだ。

メルニク大使はドイツの政治家について語る時、政党の区別をしない。ウクライナのことを真剣に考えている人と、ふりをしているだけの人を区別している。

🔵ハベックは 「打ちのめされた」

ロバート・ハベック副首相(Robert Habeck、副首相、緑の党)もその一人である。メルニク大使はガス禁輸をしなかったエネルギー大臣を恨んでいるかもしれない。しかし、彼はそう思わない。「道義的に困難でも、彼はその立場を貫かなければならない」とメルニク大使は言う。そのことが、ハベック議員を苦しめているのだと、彼は確信している。ランツやアン・ウィル(政治番組の司会者)とともに彼を見て「彼は泣きそうになった」という。そして、もっと重要なことは、すべてを変えたあの日の彼を見たことだ。

午前中にプーチンがウクライナに侵攻した日、午後にはロバート・ハーベック議員が緑の革張りのソファに一緒に座り「打ちのめされた」のである。彼が夏にウクライナのために武器を要求したとき、自分の党に失望させられたので、苦しく、恥じていた。それは、主に自分のパブリックイメージを気にしていたクリスティーヌ・ランブレヒト国防大臣(Christine Lambrecht、SPDドイツ社会民主党)との会話とは根本的に異なるものだった。リンドナー財務大臣(Christian Lindner、FDP自由民主党)との会話もそうだ。彼は「とても礼儀正しい笑顔」でそこに座り、まるでウクライナの敗北がとっくに決定しているかのように話した。「あと数時間しかない」と彼は言っていた。武器供与も、SWIFTからロシアを排除することも無意味だ、と。つまりロシアが占領したウクライナと傀儡政権を先取りしたかったのだろう。メルニク大使は「あれは人生で最悪の会話だった」と言っている。

メルニク大使も3週間前にその会話について「デア・シュピーゲル」(ドイツのニュース週刊誌)に語っている。その後、「リンドナー大臣の部下」が彼に文句を言った。彼はすでにこのことを知っている。メルニク大使を怒らせるすべての政治家はその怒りを伝えるために人を送り込む。次にメルニク大使がアポイントメントを要求すると、彼をはぐらかす為に人を送り込む。メルニク大使には感情をフィルタリングするために前もって送ることができる人がいません。控室で働くコノネンコさんだけで、彼女も夜遅くまで働いている。

「ドイツの政治家は、悪評を非常に嫌う」とメルニク大使は言う。「外交官は公室に座って黙っているのが普通だが、それではダメなんだ」。メルニク大使は伝統的な方法を試した。丁寧にアポを取り、自分の意見を述べ、批判をほのめかした。しかし、うまくいかなかった。そこで、メルニク大使はジャーナリストと話すようになった。外務省が認めなかったにもかかわらず。2016年、最初の叱責があった。「そのころはまだ外交官だった」とメルニクは憤慨する。彼はそのとき、誰もアホと呼ばなかった。

🔵ソフトな口調の男ではない

ウクライナをはじめとする多くの国ではジャーナリストは聞いたことをそのまま書くことが許されています。ドイツでは、ほとんどの政治家が会話の引用を最初に要求する。メルニク大使はジャーナリストたちが承認のために許可を提出するのを忘れるといつも喜んでいる。メルニク大使は、新聞が彼の意図したとおりに、そのままの形で掲載されることを喜ぶ。しかし、「これは引用しないでくれ」とは決して言わない。ベルリンの批評家たちとは大違いだ。彼らは匿名を装って話すだけだ。

そして、いわゆる裏会話でメルニク大使に「道を誤った」と言うのだ。大使は穏やかな口調で話すものだと彼らは言う。しかし、メルニク大使はいつも口調が荒い。大使の意見に賛成する人たちも言う。「そんなことではダメだ。連邦共和国の大統領を人前で暴れさせるわけにはいかない。もう大使とは関わりたくないと思うのも無理はない。彼らは大使を「非外交的」と呼ぶ。そして何度も何度も「大使は敵と味方を混同している」と言われます。

ベルリンではキエフの政府がなぜこの屁理屈屋の大使に好き勝手させているのか、長い間不思議に思っていたようです。メルニク大使は笑うしかない。大使は問い返した。「もし、あなたが大統領で、重要な国にこんな迷惑な大使がいたら、なぜ容認するのですか」これに対して彼は、昨年の夏、シュタインマイヤー独大統領との歓談の直後を舞台にした話を少しした。セレンスキー宇大統領がベルリンにやってきて、ドイツの大統領に会った。その後、メルニク氏がホテルの部屋で宇大統領と会い、首相との会談の準備をした。話によると、セレンスキー宇大統領はシュタインマイヤー独大統領からメルニクについて散々文句を言われたので、頭にきていたらしい。

「普通、海外の大統領は、『こんな素晴らしい大使がいるんだ!』と聞くものだ」メルニクは困惑した顔をしている。「しかし、私の場合はいつも逆のことを言われるんです」メルニクはノルドストリームや橋のこと、ソ連の死者について、苦労して大統領に説明した。するとセレンスキーは厳しい目つきで、メルニックがウクライナの利益のために物事を正しく行えば大丈夫であるかのように手を振った。「思うに、キエフでは『ドイツ人が文句を言えば、少なくとも私たちに気づいてくれる』と思っているのでしょう」と大使は言う。

結局のところ、ベルリンには200人以上の大使がいる。しかし、誰もが知っているのは一人だけだ。

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