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心臓の動いていない赤ちゃんを産んだ日

明日は、4月24日。心臓の動いていない赤ちゃんを産んだ日。


私には子どもが4人いますが、
本当は2人目と3人目の間にもう1人の子どもがいました。
その子は、妊娠5か月のとき、お腹の中で心肺停止となってしまいました。

妊娠5か月というと、
安定期に入っており、
お腹もそこそこの大きさになっている頃。


そろそろ胎動(赤ちゃんの動き)を感じる頃なのに、
なかなか感じられないなと思ってはいたのですが、
まさか赤ちゃんが亡くなっているなんて全く想像もしていなかったんです。

そのことを知ったのは妊婦定期検診のとき。
定期検診では、エコーで赤ちゃんの様子を確認するのですが、
エコーを見た瞬間、
何かがおかしいと直感しました。

どこがおかしいのか、はっきりとわかったわけではないんだけど、
でも、
いつもと違う、
なんかおかしい。

そして、エコーを見た先生の様子もおかしい。

なんだろう、何がおかしいんだろう、

不安な気持ちでいっぱいになったとき、
先生が言ったことは、
「大変なことが起きています」
でした。

大変なことってなに?


さらに不安はふくらみ、

そして、
先生に赤ちゃんの心臓が動いていないことを告げられました。

「赤ちゃんの心臓が動いていないですね」


一瞬、頭が真っ白に。


その後も先生は何か話をしていたように思いますが、
何も頭に入ってこず、

夕方、夫と一緒にもう一度病院に来るように、
そのときに今後のことを話しましょうと言われたことだけ覚えています。


病院から1人で家へ帰る帰り道、
看護婦さんに「タクシーにされますか?」と言われ、
「大丈夫です」と言ったものの、
運転し始めると前が全く見えなくなるほど涙が溢れ、
一旦路肩に停め、なんとか涙をとめて再度出発し、
でもまた前が見えなくなり、路肩に停め、
ということを何度か繰り返しながら、
なんとか家にたどり着きました。


当時、
長男は3歳、長女は1歳。
子どもたちを連れて妊婦検診に行くのは大変なので、
夫と子どもたちは家でお留守番をしていてもらい、1人で車で病院へ行っていたのですが、

1人でこの事実を告げられ、
1人で家に帰るということが、とても辛くて、
早く家に帰りたい、
でもなかなか家にたどり着けない。
そんな状況でした。


家に着き、夫の顔を見た瞬間、
なんとか正常に意識を保てるように、必死に抑えていたものが、一気に吹き出し、
もう何を話したのか覚えていません。

たぶん、言葉を発せられなかったと思う。


夫もそんな私の様子にただ事じゃないと気付き、
何があったのかと問いただしたと思いますが、
声も出せない状態の私を見て、察したんでしょう。


私が取り乱しすぎていて、
夫は泣く暇もなかったのかもしれません。


夕方、
上の子2人を両親に預けて、
夫と2人で再度病院を訪れたとき、
赤ちゃんは、おそらく前回の検診後、すぐに亡くなったのだろうと言われました。

前回の検診時の大きさとほぼ同じだったからです。

前回の検診は、約4週間前。

4週間もの間、
赤ちゃんが亡くなっていることに気がつかなかったということです。

赤ちゃんが亡くなったことに対する悲しみが大きいのはもちろんだけど、
赤ちゃんが亡くなっていることに長い間気付いてあげられなかったことも、悲しくてたまりませんでした。

毎日、赤ちゃんのことを気にかけて、赤ちゃんに話しかけていたつもりが、
赤ちゃんのことを全然わかっていなかった。

赤ちゃんは苦しかったのかもしれない。
早く気付いてほしかったのかもしれない。

私、何やってたんだろうって。


数日後、
赤ちゃんをお腹の外に出してあげるために、
通常の出産と同じように亡くなった赤ちゃんを産みました。


それが4月24日。


自然に陣痛が来ることはないので、
赤ちゃんを産む予定の日の2日ほど前から入院し、少しずつ子宮口を開き、
陣痛促進剤を使って、無理やり陣痛を起こしての出産。


生きている赤ちゃんを産むときと同じように陣痛の痛みに耐えての出産。


こんなに悲しい出産があるんだということを初めて知りました。

同じ病院内の別の部屋からは元気な赤ちゃんの泣き声が聞こえる中、
私は約300gの小さな小さな動かない赤ちゃんを産みました。

妊娠したら、元気な赤ちゃんが生まれてくるものだと、
何の疑いもなく思っていたのに。


新しい命を生み出すことって、
簡単なことではなかったんだ。

キセキなんだ。


そう思いました。

その後もずっと悲しみの中にいた私に夫が話してくれたのが、
上の子たちのこと。

赤ちゃんが亡くなったことは悲しいことだけど、
僕たちには子どもが2人もいるんだよ。
あの子たちが、僕たちの元に生まれてきてくれたことは、
本当にキセキなんだとわかったんだから、
あの子たちを大事にしよう。
きっと赤ちゃんは、あの子たちの大切さも教えてくれたんだよ。

それから少しずつ、前を向けるようになりました。

子どもたちのことをそれまで以上に大切に感じるようになったし、
子どもたちが、私たちのところに生まれてきてくれたことに、
ただいてくれるだけで本当に幸せだと思うようになったし、
新しい命を生み出すことの責任についても考えるようになりました。


あれから、
ありがたいことに、さらに2人の子どもを授かり、
現在は4人の子どもがいます。


1人1人が本当に大切な命。
私たち夫婦のところに生まれてきてくれたことはキセキだと思うし、
私たち夫婦のところに生まれてきてくれたことに感謝でいっぱい。


イライラすることもたくさんあるけど、
でも、やっぱり、
ただただそこにいてくれるだけで幸せだと感じます。


こちらの記事を読み、
全く状況は違うけど、
「生」「死」について考え、赤ちゃんを亡くしたときのことを書こうと思いました。


普通に生活していると、
「死」に直面することは少ないけど、
そうでない職種の人もいる。

「死」について、普段は考えないけど、
でもいつ自分たちの身に起こるかわからないことだとも思います。


いつ死んでもいいように毎日を悔いのないように生きたい。


そう思うこともありますが、
でも、
どれだけ悔いのないように生きたとしても、

子どもたちが大人になっていく姿、成長していく姿を見たい、
という願いを叶えるためには、
まだまだ死にたくない、という思いでいます。


「死」について、
考え出すと止まらなくなり、
明日事故で突然子どもたちを亡くしたら、と不安になってしまったりもしますが、

今できることは、
"今" を楽しく幸せに生きていくこと
なのかな、と思います。

明日のことはわからないけど、
でも、大切な家族とずっと笑顔でいられたらいいなと願います。

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