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後期流産(死産)を経験して思うこと

私が後期流産(死産)を経験したのは、もう5年も前。

当時は、そうなってしまったのは自分のせいなんじゃないかと、かなり自分を責めた。


これをしたのがよくなかったんじゃないか、
あれもよくなかったのかもしれない、

いやいや、
あれが原因では?

そうじゃない、
これをしなかったからかも。


流産や死産の原因をネットで調べ、自分に当てはまるところを探した。


先生には、

おそらく
赤ちゃんに遺伝子的な問題があり生きていけなかったのか、
赤ちゃんに内科的な病気があり生きていけなかったのか、

いずれにしても、
母が動きすぎたためとか、
母体が原因ではない

と言われたんだけど、

でも、
すんなり受け入れられなかった。


やっぱり自分の何かが悪かったのではないかと考えずにはいられなかった。
だって、自分の体の中で起こったことだから。


自分のせいだと自分を責め、
自分のせいではないと自分を落ち着かせ、

また自分のせいだと不安になり、
夫に大丈夫だと言われて落ち着く、

そんな日々。


当時は、
自分のせいだと自分を責めながらも、

あなたのせいじゃないと言ってもらえることで、

辛さから少し離れることができたように思う。


ただ、
今になって、


そうやって、自分のせいだと自分を責めていたことも、

自分には必要な時間だったんだと思うようになった。


それだけ命って重たいものだから。


自分の体の中で生まれた命だから。



自分を責め過ぎてしまう自分を、
ダメな自分だと思ってしまうことさえあった。


けど、
それも含めて、今なら受け入れられる。


自分を責めてしまった自分も、
自分を責め過ぎていることをダメだと思っている自分も、
自分のせいじゃないと思う自分も。


そのとき感じていた全てが自分なんだと受け入れられるようになった。



十月十日お腹の中で赤ちゃんを育てる。

その間、
たくさんの制限もあり、
体調面での辛さもあり、

そんな中で悲しい想いをすることもある。


出産は命がけで、

産後は、
睡眠もままならない状態での育児が待っている。


なんで、女性だけが、こんなに大変な思いをしなくちゃいけないんだろう。

なんで、男性は、何もしなくてもかわいい我が子に会えるんだろう。

そんな風に思ったこともあった。



けど、今は、

女性だからこそ、
新しい命の誕生を見守ることができる。
ときには死さえも。


それは本当に何にも代え難い貴重な経験だと思える。


命の現場は、
幸せだけではない。


それは、
死産を経験して初めて体感した。




私は、後期流産(死産)を、
年月を経て、ゆっくりと受け入れられるようになった。


同じような経験をして、受け入れられない人もいると思う。
でも、それはそれでいいと思う。


受け入れられない自分を受け入れたらいいと思う。

悲しみも受け入れて、前を向いていかなくちゃいけない、なんてことはないと思う。


命って重い。


命を生み出すって奇跡なんだと思う。


女性だけが味わえるキセキ。


ちなみに、
なぜ後期流産と死産という2つの言葉を使っているのかというと、

日本の法律では、
妊娠12週以降に赤ちゃんが亡くなった場合、死産として死産届の提出と火葬の義務が生じます。
妊娠22週以降で、出産時には生きていた場合は出生届と死亡届を提出するんです。

なのですが、
産婦人科学会では、
妊娠12週以降22週未満の場合は「後期流産」、
妊娠22週以降の場合に「死産」と定義されており、
法律上の定義とは言葉が異なるんです。

そのため、後期流産と死産という両方の言葉を使っています。


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