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ストラヴィンスキー:プルチネルラ

1913年以降、 ストラヴィンスキーの作風は、変遷を遂げていく。火の鳥、ペトルーシュカ、 春の祭典と大規模な管弦楽を使いこなしたきたストラヴィンスキーの作品の編成・規模は小さくなり圧縮されてゆく。 音楽は凝縮され、洗練されていった。 それは新古典主義的な方向と言って良いだろう。サティもブゾーニもプロコフィエフもレスピーギも同様だ。それは世界的な潮流でもあった。バレエリュスも同じだった。 第一次大戦当時、ディアギレフはイタリアで 図書館に通いつめ(戦争で仕事がない代わりに時間はあった)、 バロック時代の未出版の楽譜を漁ったりして、それをバレエにしていた。(このあたりのことは拙稿「上機嫌な婦人たち」を参照して欲しい。)例えばドメニコ・スカルラッティ(トマシーニ編)による「上機嫌な婦人たち」(1917)チマローザ(レスピーギ編)による「女のたくらみ」(1924)、「チマロージアーナ」(1924)モンテクレール(カサドシュ編)による「女羊飼いの誘惑」(1924)ヘンデル(ビーチャム編)による「物乞う人々)」(1928)
ちょっと新しいがロッシーニの未出版楽譜(レスピーギ編)による「風変わりな店」も同じ意識のもとで生まれた作品と言っていいだろう。そして、「プルチネルラ」が生まれる。
サティ、ピカソ、コクトーの「パラード」も小規模で極めて新古典主義的だった。

ディアギレフは当初ファリャにプルチネルラを任せようと思っていたようだ。この当時のファリャのチェンバロ協奏曲(1923)なんかを聴くとそれもありだなあと思うが、やはりこれはストラヴィンスキーがやってよかったのだろうな….

バレエ・リュスのストラヴィンスキーの作品も大編成のオーケストラを使用しなくなっていた。「」「結婚」などなど
これはまた時代の要請でもあった。戦争で金がなく、大編成を用意することが難しいとゆー 現実的な理由もあった。
しかしそれ以前に編成的にも和声的にも音楽は拡大化の方向の極限まで進み、この時代の新しい作曲家たちの多くは大なり小なり限界を感じ始めていたということだろう。そうした中でサティが出現し、ブゾーニが新古典主義宣言を出し、プロコフィエフは古典交響曲(1918)を発表する。このあたりのことは拙稿「プロコフィエフ古典交響曲」に詳しく書いているので参照してほしい。

バレエリュス用の作品ではないが「兵士の物語」(1918)は その代表的な作品と言って良いだろう。小規模な旅の一座に最適な作品。ディアギレフはこの作品にものすごく嫉妬したようだ。これは確かに嫉妬するかもしれないなあ。
そして、1920年にバレエリュスで新古典主義の代表的な作品「プルチネルラ」が初演される。音楽はディアギレフがローマの図書館に通って発掘したペルゴレージの楽譜(含・手稿譜)によるものだ。レオニード・マシーンも振り付けを始めた。マシーンの能力は当時最高潮に達していた。マシーンの振り付けはコメディア・デラルテからインスピレーションを受けた詩的で素晴らしいものだった。ストラヴィンスキーの編曲はディアギレフも驚嘆したほど個性的で斬新なものに仕上がった(編曲というよりは、ほとんど作曲に近い感じだった)。古風なのに、隅々まで現代的で刺激的な感覚に溢れていた。いくら斬新でも、ベースはバロック音楽なのでわかりやすく、ダンサーたちもハルサイなどよりはずっと踊りやすかっただろう。当初マシーンは大オーケストラを想定して振り付けていたが、ストラヴィンスキーが室内管弦楽用にアレンジしてきたので、だいぶ振り付けを変えたようだ。

パラード以来、ピカソとストラヴィンスキーは仲良くなり、盟友とも言える間柄になっていた。この二人がついに手を組んだのがこの「プルチネルラ」なのだ。ピカソは劇場の中に劇場がある入れ子構造のセットを作った。舞台上の劇場の向こうに見えるのはナポリの街。ピカソはもちろん単純に古風に作ったりしない。そこにはしっかりキュビズムの手法が取り入れられていた(古風なコメディアデラルテとキュビズムの融合)。
おそらくピカソは1917年にナポリでストラヴィンスキーと人形劇を観たり、ミュージックホールに出かけた時のことも反映させているだろう。伝統的なイタリアの仮面も取り入れられた。

コメディアデラルテのマスク

マシーンもまたイタリアで実際に観たコメディア・デラルテの動きを振り付けに取り入れ、イタリアの図書館で調べたコメディアデラルテの古い台本の研究の生かしている。ピカソの衣装も1860年代のコメディア・デラルテの衣装を意識したものだ。このバレエでピカソとディアギレフは意見の相違から大喧嘩をしてしまったが和解できた😊よかった〜。

初演
「プルチネルラ」の舞台はバレエ史上に残る美しいものになった。1920年の初演は大成功。パリはこのコメディにすっかり魅了された。この楽しい演目は大人気で、バレエリュス解散まで繰り返し上演され、長く愛された。

初演の夜のパーティーのことをジャン・ユゴーが以下のように書き残している。
「酔っ払ったストラヴィンスキーは階上の寝室に行き、 枕、ベッドカバー、マットレスを片っ端から集め、手すりからホールへ放り投げた。 そして、枕投げが始まった・ パーティーは午前3時ごろまで続いた。」

初演の指揮はストラヴィンスキーの盟友エルネスト・アンセルメが務めた。アンセルメ指揮のプルチネルラのステレオ録音が全曲・組曲ともに残されているのは幸いなことだ。


ピカソのプルチネルラのセットデザイン

プルチネルラの物語
プルチネルラとピンピネッラは恋人同士。プルチネルラがものすごく女にモテるので、二人は喧嘩になる。
プルチネルラがモテすぎるので町の男たちはおもしろくない。町娘のブルデンツァとロゼッタもプルチネルラに惚れてしまった。ブルデンツァとロゼッタの婚約者は怒ってプルチネルラを殺してしまう。しかし実際はプルチネルラの扮装をさせられたフルボが死んだふりをしていただけだった。生き返ったプルチネルラは魔術師に化けて….というような、けっこう複雑な騙し合いのコメディ。

ピカソのプルチネルラのセットデザイン
ピカソ:プルチネルラのスケッチ
プルチネルラを踊るマシーン(1920)
ピンピネッラを踊るカルサヴィナ(1920)
ピカソ:プルチネルラ(1920)

編曲作業を始めた時には作曲者本人も自覚していなかったが、この作品はストラヴィンスキーの作風を一気に変える大きなきっかけになった。そして、この作品は新古典主義を代表する作品になったのだ。
ストラヴィンスキーは言う

「 私の考えでは、ペルゴレージに対する私の態度は、古い音楽に対して取り得る態度としては、唯一実のあるものである。…単に敬愛するだけならば不毛である。 それは決して創造的な要素に働きかける事は無いからだ。何かを創作しようとするためにはダイナミズムが必要だ。エンジンが必要なのである。そして愛情以上にどんな力強いエンジンがあるだろうか。」この作品が与えた影響は大きかった。プロコフィエフの「古典交響曲」(1918)は管弦楽の分野で新古典主義を確立した偉大な作品だが、「プルチネルラ」の方がより斬新で現代的だったと言えるかもしれない。ピカソとのタッグで新古典主義を確立したということもあって、インパクトはプルチネルラの方がどうしたって強くなる。

全曲版は三人の独唱(ソプラノ、テノールとバス)と室内オーケストラ。弦楽がバロックの合奏協奏曲のように独奏と合奏に分かれているのが大きな特徴になっている。演奏時間約35分


プロコフィエフは古典派(ハイドン)の様式で古典交響曲を書いたのに対して、ストラヴィンスキーはバロックの様式でプルチネルラを書いたのだ。

プルチネルラは独唱のない組曲版も作られた。こちらの方がリーズナブルで取り上げやすいので、よく演奏される。
個人的には歌のナンバーが大好きなので、
おれは全曲版の方がずっと好きだ。

あまりにいい曲なのでヴァイオリンとピアノまたはチェロとピアノ)用のイタリア組曲という版も作られて、これもよく演奏される

「プルチネルラ」の素材は全てペルゴレージ作と考えられていたが、その後の研究で他の作曲家のものも含まれていることが判明している。
オリジナルの曲はこの動画にうまくまとめられている。
例えばプルチネルラの1曲目のシンフォニアはドメニコ・ガロのトリオソナタ第1番の第1楽章↓


ガロの曲は他にも多めに取り上げられている。
以下の通り
トリオソナタ第2番の第1楽章
トリオソナタ第3番の第3楽章
トリオソナタ第7番の第3楽章
トリオソナタ第8番の第1楽章

プルチネルラのタランテラはヴァッセナールのコンチェルト・アルモニコ第2番の4楽章↓

https://youtu.be/Tt7dv0jkJJA?si=KFo3u9rxTrbE-sLx

他にモンツァ、ケッレリ、パリゾッティなどの作品。ドメニコ・ガロやヴァッセナールの作品はかつてはペルゴレージと間違われていたりしたので、まあ、これは無理もないかも。

ホグウッド指揮のセント・ポール室内管弦楽団のCD(全曲)ではプルチネルラのオリジナルのガロの作品も収録されていて、参考になると思う。ホグウッドはバーゼル室内管(組曲)南西ドイツ放送響(全曲)のCDもあって素晴らしい演奏だが、オリジナルとの聴き比べができるのはセント・ポール室内管の全曲版CDなのでお間違いのないように。

ホグウッドのストラヴィンスキーの新古典主義の作品の録音は素晴らしい。二調の協奏曲ダンバートンオークス小管弦楽のための組曲など。

ホルウッド指揮セントポール室内管のCD

余談:ドメニコ・ガロ
ドメニコ・ガロ(1730-1768)はイタリアの作曲家。1710年生まれのペルゴレージに比べるとだいぶ若い世代になる。ヨハン・クリスチャン・バッハが1735生なのでだいたいそんな世代。なかなか素敵な作品ばかりで、ペルゴレージと間違われるだけのことはあるなあ…と。

ドメニコ・ガロ

「プルチネルラ」の原曲とゆーことで、
関連で演奏されるようになってきたのもあるだろうが、
けっこうCDも出ていたりする。
↓のラ・フォリャもすごい。
演奏も自由奔放で素晴らしい。
スペインに寄せた解釈が素敵だと思う。


余談:ヴァッセナール

ウニコ・ヴィルヘルム・ファン・ヴァッセナール伯(1692-1766)の「6つのコンチェルト・アルモニコ」もまたペルゴレージの作品と間違われてきた作品集だ。おれが小中学生の頃にはもうペルゴレージ作とは言われなくなっててリチョッティ作曲としてイ・ムジチ合奏団やカメラータ・ベルンのレコードが売られていたりした(今はさすがにイ・ムジチもヴァッセナールという本来の作曲者名になってるが…古いCDだと伝ペルゴレージとなってるのもあるかも)。この曲集の作曲者については二転三転した。作品の見事さからするとペルゴレージって言いたくなるのもわからなくはない…..
カルロ・リチョッテイ(1675-1756)という人はイタリア出身の作曲家・ヴァイオリニストだった。彼は1750年に出典なしで出版された「コンチェルト・アルモニコ」の楽譜の献辞に署名しただけだったのだが、それが元になって一時期リチョッティの作曲だとされたのだ。伯爵は奥ゆかしくて、出版にあたって自分の生を出すことを好まなかったようだ。1979年にようやくヴァッセナール伯爵の作品だと特定されたのだ。ヴァッセナール伯爵はアマチュアの音楽家だったので、こんな見事な作品が書けるはずがない、みたいにも思われたりもしたようだが、でも書けちゃったのだから仕方がない。同じアマチュア音楽家のフリードリヒ大王の作品もなかなか見事でたまに演奏されるが、おれはヴァッセナール伯の作品の方が腕も美意識もずっと上だと思う。(大王様ごめんなさい)

ヴァッセナール伯爵




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