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プロコフィエフ/古典交響曲 Op.25

2003年に書いた原稿を大幅に加筆修正してます


プロコフィエフ/古典交響曲 (交響曲第1番 ニ長調)作品25


2003年は20世紀ソ連/ロシアの代表的な作曲家セルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953)の没後50年にあたります。彼の活動は、初期のロシア時代、アメリカ・ヨーロッパでの亡命時代、そして亡命から祖国へ戻ってからのソヴィエト時代の3期に大まかに分けることができます。今日はロシア時代に書かれたポピュラーな名曲、古典交響曲を聴いていただきましょう。
 ロシア時代のプロコフィエフは、野蛮なまでに原始主義的で実験的なサウンド、原色的でギラついたオーケストレーション、過激で強靱なリズムに強い関心を持っていました。中でも「スキタイ組曲(アラとロリー)」Op.20 [1916] は、プロコフィエフの全作品の中でも突出して原始主義的で強烈な作品です。このストラヴィンスキーの『春の祭典』を思わせる激烈で急進的な音楽はロシア音楽界に強い衝撃を与えました。

しかし、プロコフィエフは内容もスタイルも全く正反対の作品の創作を同時期に進めることが可能でした。「スキタイ組曲」の直後の翌1917年(ロシア革命の真只中。無茶苦茶に騒然とした世相!)、すっきりと洗練されたプロポーションと洒脱でモダンな感覚を持つ、古典交響曲(交響曲第1番 ニ長調) Op.25 を完成させたのです。
 プロコフィエフは作曲の動機を次のように述べています。


『音楽院在学中、ニコライ・チェレプニンのクラスでハイドンの交響曲の形式を学び、とても興味を抱いた。そこでこの形式を借りて一曲書こうと決心した。もしハイドンが今日生きていたら、いまだに己の様式を保ちながらも、同時にこうした新しいものも取り入れたのではなかろうかと考えながら作曲した。』


(いいですねえ。おれもハイドンが生きてたら絶対そうしただろうと思う)

 プロコフィエフはペテルブルク近郊の田舎で、このシンプルな交響曲を音色の清澄さを期してピアノの下書きなしで作曲したといわれています。この曲には「現代人が住む古い街」というシャレた批評が残っているそうですが。今なら田舎の古民家のリフォームのような感じかもしれませんね。自然環境にも恵まれて、レトロな良さをそのまま残しながら電気もガスもしっかり、ネット環境ばっちり!みたいな。 プロコフィエフはハイドンの古典的な形式の中に斬新な和音と調体系、都会的なアイロニーや乾いたユーモアを盛り込んでいったわけです。こうしたスタイルは、新古典主義の先駆としても重要であり、20世紀以後の交響曲を語る上で絶対に欠くことのできない作品といえるでしょう。

第1楽章はアレグロ。ソナタ形式。快活で精力的な第一主題は極めてハイドン的です。第二主題(動画の01m07s〜)は機械仕掛けの人形の踊りのように人工的でひんやりとした肌触り(クールな抒情=プロコフィエフ的感覚!)が特徴です。音も少ないしシンプルですが、この場面は綺麗に仕上げるのはとても難しいし、めちゃ怖い場面です。これを1stヴァイオリン全員できっちり綺麗に合わせるのは...プロオケでもかなり緊張します。

第二楽章(5m00s〜)は定石通りの緩徐楽章です。三部形式。ゆっくりなテンポで基本的には「歌」の楽章ですが、第一楽章の第二主題のようなクールな肌触りと機械仕掛け感がここにもあります。伴奏部は軽快でスケルツァンドな雰囲気を保ち、それに乗って歌う流麗な旋律も後半になると機械仕掛けのダンスのように変容してしまうのです。中間部(06m00s〜)はスタカート主体の軽やかな部分です。軽やかな印象の音楽ですがtranquilloという指示が書き込まれているところがミソです

第三楽章はガヴォット(9m30s〜)。ハイドンを手本にするのなら、ここにはメヌエットが入るのが定石ですが、プロコフィエフはガヴォットを持ってきました。メヌエットよりも更に古風でバロックな感じの舞曲をチョイスしたのは興味深いです。ガヴォットは19世紀後半になって復活してきて使われるようになってきます。サンサーンスの七重奏曲グリーグのホルベルク組曲は有名ですね。20世紀になると、フォーレの「マスクとベルガマスク」ストラヴィンスキーの「プルチネルラ」などが有名です。もちろん「新古典主義」に向かう流れの中でそうなってきたんですね。           この第三楽章のガヴォットは後にバレエ「ロメオとジュリエット」の第一幕に転用されています(こちらは大オーケストラ用アレンジになってますから、聴き比べも楽しめます)。 古典交響曲の中でもいちばん有名な楽章ですし(様々な編成のアレンジがあってよく演奏されます)、自分でも気に入ってたのかもしれないですね。プロコフィエフ自身もこの楽章をピアノ独奏用にアレンジして、自作自演の録音も残しています(ピアノソロ版の透明感も素敵です)。 


ちなみにバレエ「シンデレラ」(バロックの舞曲がふんだんに使われた作品!)にもガヴォットが使われています。 ピアノのための4つの小品Op32にもガヴォットがあります(これも自作自演が聴けます)。       まあ、ぷろ子は「ガヴォット」好きだったと言っていいんじゃないでしょうかね。

第四楽章(11m10s〜)は目が回るように急速な楽章。管も弦もとにかくもう大忙しで大変な楽章です。管楽器では特にフルートが難しいらしいですよ。

初演は1918年、プロコフィエフ自身の指揮で行なわれ、たちまち大人気を獲得しました(しかし、作曲者本人はこの曲のイメージで自らの作風を語られるのを非常に嫌がっていたそうです)。そしてこの直後、プロコフィエフはロシアを離れ、アメリカ・ヨーロッパでの亡命生活に入っていくことになるのです。

アラとロリーについてはこちらの記事に詳しく書いてます。

古典交響曲はチェリビダッケのリハーサルがとても面白いのでぜひ!   そうそう、寺嶋陸也氏の2台ピアノ用の編曲、素晴らしいです。アルゲリッチとブロンフマンの録音がこれまたご機嫌だ

新古典主義

プロコフィエフの古典交響曲は新古典主義音楽の先駆と申し上げましたね。新古典主義といいますとやはりストラヴィンスキーの「プルチネルラ」から始まる諸作品が真っ先に頭に浮かぶのではないかと思いますが、古典交響曲は1920年作曲の「プルチネルラ」よりも数年前の作品なのです。ダリウス・ミヨーの新古典主義的な8つの室内交響曲のうちの第1番第2番は古典交響曲とほぼ同時期の作品になりますが、作品としての影響力はぷろ子の古典交響曲のレベルまではいかないので(めっちゃいい曲だけれども)、ここでは除外して考えましょう。

(👆のバーバラ・ハニガンのプルチネルラの演奏が最高。超素敵な指揮だ〜。彼女の指揮は自身の歌唱と深く結びついていて独特。すっごくいい!)

その他の新古典主義的な有名な作品(ショスタコーヴィチの交響曲第1番第9番ヒンデミットの室内音楽シリーズフランス六人組の作品ファリャのチェンバロ協奏曲など)はだいたい古典交響曲よりも後の作曲になります。

フェルッチョ・ブゾーニは20世紀初頭に、あまりにも肥大化しすぎて行き詰まった感のあった後期ロマン派音楽の終焉を予見し、「モーツァルトへの回帰」「バッハへの回帰」を標榜して、いち早く「新古典主義音楽」の理念を掲げました。それ以前にも古典回帰の動きはもちろんあったのですが(サンサーンスフォーレドビュッシーグリーグなど)、これをしっかり理念として表明したのがブゾーニだったとゆーことなんです。

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では、ブゾーニ自身の作品はどうだったでしょう。ブゾーニの新古典主義の代表的な作品と言いますと「フルートと管弦楽のためのディヴェルティメント」や「クラリネットのコンチェルティーノ」、「サラバンドとコルテージュ」になりますが、

これらの作品もやっぱり古典交響曲以前の曲ではないですね。あまり有名ではありませんが「喜劇序曲Op38」が1897年の作品になります。

古典交響曲よりもだいぶ前ですね。これこそまさに「先駆的」な作品と言えましょう。作風も古典交響曲によく似てます。快活で楽しくて、決して悪くはないですが、聴き比べてみると古典交響曲の目が覚めるようなフレッシュさやモダンな音感覚が非常に特別なものであることがよくわかります。プロコフィエフに比べるとブゾーニの作品はモダンな感覚が薄く(もっと言えばちょっとダサいところが感じられる)、どこか「えぐみ」や「灰汁(あく)」が感じられるんですよね。そしてハッとさせるようなところに乏しいんですよね。それに比べるとプロコフィエフは超絶スマートで都会的です。クールで透明度が高い(めちゃくちゃカッコいい!)。その一瞬一瞬が目が覚めるように新鮮です。ひとつの作品として・音として 鮮やかに「新古典主義の音楽の方向性」を問答無用で提示してみせたのは、やっぱりプロコフィエフとゆーことになるのでしょう。古典交響曲は優れてエポックメイキングな作品なのです。

1897年前後くらいのオーケストラの作品ではリヒャルト・シュトラウス『ツァラトゥストラかく語りき』(1896)『ドン・キホーテ』(1897)年『英雄の生涯』1898年、マーラー:交響曲第3番(1895-96)、ブルックナー:交響曲第9番(1896)ドビュッシー「夜想曲」(1897)という具合でした。ブルックナーが世を去り、マーラー、リヒャルト・シュトラウス、の活動が上り調子の頃にです。当時のオーケストラのトレンドは、やはり大編成でした。もちろん小編成のもあるけど....さすがのリヒャルト・シュトラウスも、膨張路線の反動のようにオケの編成を絞ったりもするようになります(ナクソス島のアリアドネカプリッチョ町人貴族など)。 そうそう、1870年の作曲だからだいぶ前だけどあのワーグナーだってジークフリート牧歌を書いてますよね。ちょっと時期は後ろにズレますがシェーンベルクが超巨大な「ペレアスとメリザンド」(1903/1913)や「グレの歌」(1911)の反動のように室内交響曲第1番(1906)、室内交響曲第2番(1906-16)を書いたりしたのもそうだし、アルバン・ベルクの「室内協奏曲」(1923-25)も同様でしょう(ベルクのオケはだいたい編成がやたらとでかいんです)。ウェーベルンは「3つの小品op11(1914)であらゆる点で極限まで無駄を削ぎ落とした世界を実現していました。ラヴェルの「クープランの墓」(1914-17)やフォーレのパヴァーヌOp50(1887)、レクイエムOp48(1887)マスクとベルガマスクOp112(1919)も もちろん新古典主義的な潮流の中に位置づけられましょう。
異常なまでに膨張してしまったオケの編成や、限界まで拡張してついに無調の領域に入ってしまったハーモニー、春の祭典で複雑さの極地まで行ったリズムなどについて作曲家たちそれぞれが大なり小なり限界を感じていたのでしょう。そうした煮詰まった行き場のない状況の中で新古典主義の理念を初めてしっかりと述べたのがブゾーニであり、その理念を「これ以上ないほどの鮮やかさ」で音化してみせたのがプロコフィエフだったということになろうかと思います。

プロコフィエフ、ストラヴィンスキー以後の作曲家たちはこういった傾向の音楽を積極的に書くようになります。

余談・ヒンデミット:室内音楽第1番、室内音楽第4番

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ヒンデミットの新古典主義的な作品でおれが超大好きな作品があるので、紹介しておこうかな。室内音楽第1番、室内音楽第4番の2曲。どちらも学生時代に夢中になって聴いていた曲だ。                         ヒンデミットの「室内音楽」とゆーのは1920年代に作曲されたシリーズで全8曲。タイトルは室内音楽(Kammermusik)とゆーことだが、ちゃんと室内楽だと言えるのは木管五重奏の編成で書かれた「小室内音楽」Op.24-2だけ。他7曲はシェーンベルクの室内交響曲やベルクの室内協奏曲のような各パート一人ずつの大きめの室内楽のような編成(曲毎に編成が異なる)で書かれていて、「室内楽」と言うには明らかにサイズが大きすぎる(でもオケとは言えない)。しかも2番〜7番の6曲は独奏楽器(これも曲毎に違う)があって実質的には「協奏曲」だったりする(独奏楽器は2:ピアノ、3:チェロ、4:ヴァイオリン、5:ヴィオラ、6:ヴィオラ・ダモーレ、7:オルガン)。何とも言えない独特なシリーズなのだ。そうだ、こーゆー感じに似たシリーズがバロック時代にあった!バッハのブランデンブルク協奏曲集とテレマンのターフェルムジーク!。ヒンデミットは『(大ホールではなく)バロック時代の王侯貴族の館で演奏するイメージで作曲した』と言ってるので、ターフェルムジークの方がヒンデミットのイメージにより近いかもしれない。    

1920年代にはヒンデミットに呼応するようにダリウス・ミヨーも室内交響曲の連作を書いていた。やっぱりヨーロッパ全体が気分的にそーゆー方向に向くようになっていたんだろうと思う。

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室内音楽第1番Op24-1
1921年作曲。編成フルート(ピッコロ持ち替え)1、クラリネット1、ファゴット1、トランペット1、アコーディオン1、ピアノ1、ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1、コントラバス1

室内音楽第1番はソロ楽器はなく、室内交響曲みたいな感じ。各楽器がソリスティックに活躍する作品。ヒンデミットは「12の独奏楽器のための」音楽だと書いている。ここでのヒンデミットは特に先鋭的でキレッキレ。これを初めて聴く人はあまりの鮮烈さと強烈さに驚愕すると思う。アコーディオンが入ってるのは珍しいが、非常に効果的だ。                               1楽章は猛然とドライブするサイケデリックな音楽。かっこよすぎ。クールで都会的で同時に熱く凶暴。あっとゆー間に終わってアタッカで次に続くプレリュード的な性格の楽章。                              2楽章(動画の01m12s〜)はマーチ風の音楽で、ヴァイオリンのソリスティックな活躍が印象的。快活な楽章だが、どこか退廃的で不健全なキャバレーミュージックの気配もある。                            3楽章(05m00s〜)はタイトルにカルテットとある通り、フルート、クラリネット、ファゴットと打楽器の四人だけの音楽。ここで完全に「室内楽」になるのがおもしろい。                         4楽章(08m40s〜)は「フィナーレ1921」というタイトル。無窮動的。ピアノとシロフォンの大活躍が最高!


室内音楽第4番Op36-3
1921年作曲。編成:独奏ヴァイオリン1、フルート1、ピッコロ2、オーボエ1、クラリネット1、ファゴット1、コントラファゴット1、コルネット1
ホルン1、トランペット1、トロンボーン1、チューバ1、打楽器、ヴィオラ4、チェロ4、コントラバス4(この編成!すげえ!)

おれが一番初めに好きになったヒンデミットの「室内音楽」がこれ!事実上のヴァイオリン協奏曲。購入したオイストラフのCDにたまたま入っていたのだ。本当はヴァイオリン協奏曲が目当てで買ったのだったが...(ヴァイオリン協奏曲はいまいちピンと来なくて、実を言うと今だにピンと来てない...)

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そしたらこの曲が猛烈に気に入ってしまってこの曲ばかりめっちゃ繰り返し聴くようになった。終盤のヴァイオリンの書法がストラヴィンスキーの「兵士の物語」に似ていて、場合によってはもっと強烈でかっこよかったりする。ラストが小さい音でかわいく終わっちゃうのもいい。

そのうち室内音楽第2番にも超ハマって愛聴するようになる。もっと演奏されるようになるといいなあと思う。

1920年前後のヒンデミットは本当に奇跡的に冴えてる。ファンタジーに溢れて、キレッキレで凄い曲が多い。 例えば無伴奏ヴィオラソナタOp.25-1(1922)やヴィオラソナタOp.11-4ダンス・パントマイムのための「悪魔」Op.28などなど。


ヒンデミットとミヨーミヨーは1892年生まれ。ヒンデミットは1895年生まれでほとんど同世代であり、似たところの多い音楽家だ。二人とも多様なジャンルで書きまくった多作家で、作曲と同時に指揮者としても活動し続けた。クリエイターであるのと同時に現場の人(プレイヤー)だった。二人には接点があった。

ミヨーはヒンデミットのためにヴィオラ協奏曲第1番(1929)を作曲した。初演のバックはピエール・モントゥー指揮コンセルトヘボウ管弦楽団だったらしい(おお!ゴージャス!)。初演の後、室内オケ版も作ったらとヒンデミットが助言して、ヴィオラ独奏と15人の奏者による版が作られた。今演奏されるのは専らこの室内オケの版の方だ。オリジナルの大きいオケ版も聴いてみたい。プリムローズのために書かれたヴィオラ協奏曲第2番の録音を聴いてなんとなくその雰囲気を想像するしかないかな...それにしてもミヨーのヴィオラ協奏曲第2番やばい難しい!それにしてもプリムローズの異常な上手さ!


フランスの新古典主義でおれが真っ先に思い浮かべるのは、やっぱりプーランクだ。シンフォニエッタのフレッシュさはぷろ子に絶対負けてない。

田園のコンセールとか、フランス組曲とかね






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