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写生大会のこと

小学生の時、恐らく4、5年生くらいの時だったと思う。
授業で写生大会があって、学年のみんなで小学校の近くの公園に行って絵を描いた。
各々が公園の好きな場所で、首から紐で吊り下げるタイプの画板を広げて、画用紙に鉛筆と水彩で絵を描いた。
(もしかしたら公園で使ったのは鉛筆だけで、水彩を使ったのは学校に帰ってからだったのかもしれない)

公園には煉瓦で作られた時計台や、煉瓦で作られた3連の小さな滝、中くらいの円形の広場など、公園の中での目玉スポットみたいな場所がいくつかあって、そういうのを描くのが大事……というのはどこかでわかっていたように思う。
実際、たくさんの人がそういう場所が見えるところにさっさとシートを引いて、絵を描き始めていた。

けれど私は、みんなが描いているのと同じ場所をどうしても描きたくなくて、公園を歩き回った結果、誰もいない公園の端っこで細い木立を描くことにした。
公園の外周はマラソン用に舗装された道があって、そこの道を外れてガサゴソと落ち葉の上を歩いて、木々の間に座った。
なんとなく覚えているのは、細い木と木の間を描きたかったということ。
そこから見える景色を描きたかったということ。
そして、自分は他の人には見つけられないものを見つけたと思った。

自分で言うのもなんだけれど、小学生の頃は所謂優等生だった。
絵を描くときも、忠実に模写をして褒められるタイプ。
どちらかというと先生や親の目からみて良いと思われる行動を選ぶ生徒で、
決して独創的なタイプではなかった。

でも、その時は自然と違うことをした。
当時の自分からしたら、してしまったと言った方がいいのかもしれない。

出来上がったその絵を見た親に、なんでこんなところを描くんだと、時計台を描けばよかったのにと、きつくは言われなかったにせよ、不満そうに言われたような記憶がある。
それが子供心にショックだった。
今でも覚えているということはそれなりに辛かったのかもしれない。
写生大会の絵はみんな飾られるはずなのだけど、絵が飾られた時の記憶はない。

図工の成績は、国語や算数のように勉強をしてもよくなるようなものじゃなかった。
いつも他の人の上手い作品を見て、どうして自分はできないのだろうと悲しくなった。だから、絵は苦手な感覚が、どこかでまだ手の中にある。

今思えば、図工の時は自分の中でこうしたいというこだわりが必ずあって、それがうまくいかなかったことばかりだった。
先生や親から、こうした方がいいと言われてやるとうまくはいく。やることが決まっていることもそれなりにできる。
でもそれは自分がやりたいことじゃない。

今の自分がもし、あの頃の自分に会って写生大会の絵を見ることができたなら、もっと伝えるべき事がある。
その時の自分の考え方だって間違ってない。その時の気持ちを伝えるためにはどうしたらいいか、一緒に考えたい。

今でもうっすらと木立の間の木の感じは覚えている。
いまだに、あの頃の違和感、そして描きたかったはずの何かは、遠くの方からじっとこちらを、見ているような気がしている。

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