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予備校の話

もうすぐ四月ですね。

 入学する人、卒業する人、次年度の受験に向かう人、転職する人、変わらず日々が続く人もいると思いますが、それぞれ生活の節目を迎えるのだと思います。

 私が高校生の時、年末の雰囲気が嫌いでした。ただ一日という時間が過ぎるだけなのに、なぜ年明けという行事で盛り上がってるのか気に食わなくてずっとイライラしていました。それで、年越しの準備をしている親に食ってかかったら、節目や区切りが大事なんだと怒られた記憶があります。めんどうくさい高校生だなぁ。

 今となっては、区切りや節目というものの大切さがとてもわかります。そうやって人は、時に淡々と過ごすだけになってしまう日々に工夫をして、伝統を作って、日々の生活や仕事を大事にしてきたんだなぁと思うのです。


 かく言う私も、今年度、基礎科講師として6年間勤めた美大予備校を退職することとなりました。決めたのが去年の秋ごろだったのですが、あっという間に春が来ました。
 無言で去ることも美しいことなんだと思いますが、ウジウジした自分はどうしても何も言わずにいることはできず、この仕事で関わったたくさんの人にお礼が伝わりますようにという気持ちでこの文章を書いています。きっとこれが私なりの区切りです。


 初めて新宿美術学院(新美)に行ったのが14年前の夏でした。それから受験の時にお世話になって、学生の時には講師の仕事をすることになり、そして大学を出てからも講師をやらせていただき、この長い時間の中で新美ではたくさんの人に出会い、お世話になりました。学ぶ・教えるということを通して、たくさんのことを経験させてもらいました。

 なんだかんだ14年間の月日、いろんな距離感で関わっていました。


 制作すること、作品を作ることが私の本分ですが、それと同じくらい、予備校の基礎科という場で、これから絵を描いていくんだと決意した人たちに絵を伝える仕事は、かけがえのない大切な仕事だと感じていました。

 狭い世界しか知らない自分一人じゃ、できることはほんのちょっとしかないけれど、いろんな知識や技術を持った、個性豊かな先生が集まるこの場ならば、たくさんできることがある。それを強く感じたのも、新美でした。

 講師のみんなの顔を思い浮かべて、誰が何が得意でどういう人で、この人がこういうことができるから、自分はこういうことをやろう。こういうことを任せるから、自分はこういうことをやろう。四六時中、基礎科の生徒のために基礎科という場で何ができるか、そのために講師全体で何ができるか、そういうことばかりを考えていました。基礎科という、自分が専門とする油絵や版画だけじゃなく、デザイン、工芸、日本画、彫刻を専門とする先生と一緒に仕事をするからこそ、いろんなことを考えました。そしていろんなことを知りました。


 予備校という場は、様々な感情が交錯する場所だと思います。結果は無慈悲で、そもそも予備校というもの自体、また、美大受験という存在や美大というものに対して懐疑的な意見もあるとは思います。それは私自身もどこかでわかる話だし、時には生徒に美大以外の道を伝えたこともありました。

 私自身は小さい頃から絵を描いてきたわけでもないしむしろ高校生まで美術は嫌いで授業も美術は選択しなかった。紆余曲折あって美術の道に進んだものの、一般の大学に行ったこともあって、少し美術とは距離がありました。そんな自分だからこそ持ってる視点があって、話せることもある。これまで見てきた世界を偽りなくそのまま伝えてきたつもりです。

 そんな自分が働いてこれたのも、美大予備校とはいえ、受験科とは少し離れていた、高校一・二年生を中心とした基礎科という場だったからなのかもしれません。基礎科に来る美大受験をまだ迷っていたりする生徒、また保護者の方と話すときも、自分だから話せたことがたくさんあったように思います。

 新美には旧校舎の頃からたくさんの思い出があります。どん底だった自分を、生活できるまで立ち直らせてくれたのが、美術で、そして絵のことを真剣に教えてくれたのがこの新美という場所でした。講師を務めることは、生徒のために精一杯指導するということだけじゃなく、新美やお世話になった先生方に恩返しをしたいという気持ちもたくさんありました。


 長い間、本当にありがとうございました。

 一般大学三年の夏。何処の馬の骨ともわからない文学を学ぶ大学生が、突然夏期講習に参加したにも関わらず、たくさん話をしてくださり、めんどうくさい生徒だったと思いますがずーっと面倒を見てくださり、今でも心から感謝しています。初めての夏期講習の風景、今でも鮮明に思い出せます。改めて、ありがとうございました。それまで誰にも通じなかった絵の話が初めて通じた時、心の底から嬉しかったです。

 学生講師として関わった時も、油絵科の先生方をはじめ、一緒に働いた学生講師の人たち、当時の生徒の皆さんもありがとうございました。基礎科の講師として関わった、社会人・学生講師の皆さんいつもいつも支えてくださりありがとうございました。他科の先生方も何度も相談に乗ってくださりありがとうございました。石膏デッサン特訓を改めてできた経験もとても貴重でした。そしてもちろん、長い時間の中で関わってきたたくさんの基礎科生徒のみんなもありがとうございました。これから受験の人は最後まで諦めず、自分のペースで頑張ってね。

 ずーっと新美を支えてくださっている事務・モチーフ係の皆さん、いつも無理を言ってご迷惑ばかりをおかけしました。私たちの手が回らない部分で苦心してくださり、常に新美を支えてくださりありがとうございます。

 この十四年間は自分の人生の中で、二度とない、かけがえのない時間でした。

 

 まだまだやるべきことがある気がして、そして何より寂しい気持ちばかりが先行してしまっていますが、このタイミングが引き際なのだと思います。

 とはいえ、作家はやってるし、変わらず大学で講師をしているし、他の仕事も始まります。私も私で、次のステップへ向けて頑張っていきたいと思います。


 最後の出講の日、受験科に行ってお世話になった先生と握手した時、たくさんのことを思い出して涙が出そうになりました。
 生徒時代にしてもらったたくさんの話、学生講師の時に一緒に仕事をさせてもらった時間、そして社会人講師として基礎科で受験科を支えようと働いた時間、全ての現在進行形だった思い出が止まり、過去になって消えてしまう気がしました。
 思えば、握手なんてしたことなかった。

 帰り際、少しだけアトリエを覗いて一生懸命描いている生徒の姿を見て、一番お世話になった事務の方の机に名札を置いて、そしたらどうしても我慢できなくて、結局他の先生方ともろくに挨拶できず、帰路につき、帰り道でメソメソ泣いていました。もう歩くことのない道、行くことのない校舎、入ることのないアトリエ、当たり前に会っていたけれどなかなか会えなくなってしまう人たち。
 

 大変なことの方が多かった気がしますが、たくさんの素敵な人と出会えて嬉しかった。この長い時間の経験を糧に、また精一杯、作家も講師も、やっていこうと思います。

 改めて心からありがとうございました。


6年前、初めて基礎科に出講する春期講習、新美の近くで撮った桜

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