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何茂活「漢代”守令””令史””守令史”考辨」(『河西漢簡考論』)

○問題提起

 一般的な認識では、守令=郡守と県令、令史=県令の属吏、守令史=ある官吏だが、辞典等に記載無、とされる。また官秩・職掌等もはっきりしているが、一方で漢簡では錯綜した表現もみえる。たとえば、漢簡の副署名は一般に官秩によるが、「掾」と「佐」の間に守令・令史・守令史が混在している。それでは、三者の混在はなぜ生じ、官秩・職掌等における三者の関係は如何に整理できるであろうか。

○守令と関係する称謂

 守令は、漢代官制において2種の要素を持つ。
①試行中・仮の県令(『漢書』遊侠伝・師古注)
②郡守と県令の併称(『後漢書』公孫瓉列伝)
ほかにも、「守長」(郡守と県長)のような表現がある。

○令史と漢代令史の設置

 令史については、たとえば
①三公の属吏(『中国歴代官称辞典』)
②県令の属吏(『中国歴代職官辞典』)
など諸説ある。じつのところ、中央・地方・辺塞のいずれも属下に令史がおり、職掌も文書管理のみならず、社会・経済・法律などの雑務全般に及ぶ。劉暁満によれば、前漢の令史は制度化されていないが、後漢の令史は主に中央に所属し、県にはあまりみえない(「秦漢令史考」)。一方で、辺塞には前漢・後漢に等しくみえる。
 次に、伝世文献・西北簡によると
①令史の官秩は斗食に相当し、副署名は掾吏・属の後方、佐史の前方で、少吏に属する。百石(『続漢書』百官志一・太尉条)もしくはそれ以下。
②辺郡の令史の俸粟は毎月「三石三斗三升少」(居延合校)、千人令史の俸錢は19日「456銭」(敦煌簡)=毎月およそ720銭。
③職掌は文書の管理を本業とし、債務の回収・遺失物の捜索など、経済・法律の事務まで及ぶ。劉暁満によれば、業務はさらに多岐に及ぶ。
④漢代令史の身分は低く、「布衣」と認識されていた。

○守令史という名称と令史との関係

 守令史は伝世文献にもみえるが、各種辞典には収録されていない。漢代三公の令史は「公令史」、県令の令史は「県令史」などと称され、この規則に従うと守令史は郡守の令史の如くである。しかし、伝世文献によれば後漢の郡に令史は置かれず(『続漢書』百官志五・州郡条)、また西北簡などからも否定される。
 まず確認すべきは、守と史と令史の官秩が同じということである。これは、西北簡副署名の順序において、令史と守令史が変わらないことからわかる。
 次に、県令など高官のほかにも、秦簡から「守嗇夫」の用例を見いだすことができる。嗇夫とは、官秩百秩以下の少吏であり(『漢書』百官公卿表」上)、守嗇夫は試用中の嗇夫のことを言う(睡虎地秦簡「秦律雑抄」)。その例は、『漢書』南越王伝・師古注、懸泉簡などでも確認できる。
 また守令史と令史に官秩・職掌の区別はなく、また西北簡からは同一人物が一方では「令史」、一方では「守令史」と記される例がある。上述の守嗇夫の例もふまえると、「守」とは試用中を指し、「守令史」とは試用中の令史を指すのであろう。
 総括すると、守令は高級官吏、守令史・令史は下級官吏であり、混同することはできないのである。

書誌情報:何茂活「漢代”守令””令史””守令史”考辨」(『河西漢簡考論-以肩水金関漢簡為中心』中西書局、2021年)




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