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閻歩克「「層級化」与「席位爵」」(『席位爵与品位爵』)

○問題提起

 周代には、「公侯伯子男」の五等爵と、「公卿大夫士」の内爵が誕生したとされてきた。しかし、五等爵はその存在が疑われ、内爵も東周以降に誕生したとする見解がある。そこで、本稿ではまず西周における官制の階級構造を確認することで、内爵が当該期に存在しなかったことを確認する。その上で、東周期以降における公卿大夫士の誕生を、「階層化」と「席位」を鍵として考察する。

○方法論

 まず、爵とは何かを考える。古典籍では「尊号」とされるが(『白虎通』考黜)、尊号と爵との区別はどこにあるのだろうか。結論から述べると、尊号は爵制が形成される上での原材料であり、尊号に上下の別が生まれ、爵制となるのである。爵制の誕生には、①尊号に上下関係が生まれる、②尊号の間に権益の差が生まれる、③尊号の与奪・昇降に規則がある、④これらの尊号を爵とよぶ、の4段階を想定できる。それでは、尊号はどのように誕生するのか。
 尊号の原材料は、①親族間の称号、②官職名、の2種がある。とくに、②は官職間における職権の差などにより、官職名が爵名に転化する際(閻氏は「職階転化律」とよぶ)、官職間の格差も爵の序列となった。さて、これらをふまえると、爵制の誕生には、①官職が誕生する段階、②官職に上下関係が誕生する段階、③官職の序列が爵制に転化する段階、の3段階をも考慮する必要がある。ここで、「爵」名の誕生について考察しよう。
 周知のように、「爵」字は本来酒器を指し、爵制の「爵」と同字を用いるのは、両者の間に飲酒儀礼の存在を想起させる。先行研究では、爵の由来は飲酒儀礼とされている。たとえば、国君の儀礼において、「大夫(という「位」)」以上の者が参加でき、「爵」を用いて酒を飲み、着座したとする。これにより、「大夫」という「爵」名が生まれる。つまり、飲酒儀礼における席次が「大夫」の爵位や、「卿」の爵位へと反映されたのである。この席次による爵を「席位爵」と呼称できよう。逆に、飲酒儀礼と関係の無い序列、たとえば「侯・甸・男・衞」のような諸侯の等級を、「爵」とは呼ばなかった。当然、席次による尊卑の序列は可視化が容易であり、「品位爵」の誕生以前から存在していた。「号」の誕生は従来、おおく研究されてきたが、席次にもとづく「位」から爵制の誕生をみることで、新たな見解を提示できよう。

○層級化:卿士-師尹-御事

 西周期に存在した階級構造は、「卿士」「師尹」「御事」により構成されていた。史料からは、卿士-師尹(『尚書』供範)、卿事-師尹(叔多父盤)、卿士-師師(『尚書』微子)、諸尹(夨令方尊)、諸正(清華簡「繋年」)などがみえ、卿士(=卿事)-師尹(=師師)-諸尹(=諸正)の序列を確認できる。これが、西周期の基本的な階級序列となる。むろん、表記にズレはあるが、階層化が進行中ゆえであろう。
 前掲の卿士とは、先行研究によれば①卿の通称(広義の卿士)、②執政大臣(狭義の卿士)、を指す。しばしば「公卿」と連称され、「卿」の上に位置する「公」の位にある者は、しばしば他官職を兼ねており、おそらくは階層名・爵称であろう。先行研究では執政大臣の爵称としており、その場合、狭義の卿士と意味は等しい。卿士の名称は比較的固定されているが、師尹には多くの呼び名があり、卿士より階層化の進行が遅れていたようである。また、師尹に似た名称に「大夫」があるが、やはり階層名のようである。中には「三事大夫」のような称謂もみえ、これは卿大夫の総称として用いられている。師尹の下には、「百執事」或いは「御事」と呼ばれる階層があった。これらは、もともと諸官職の総称であったが、高官に別の称謂が生まれ、低級官職の専称となった。
 以上をまとめると、「公」は爵称であっても、卿士-師尹-御事の階級構造は爵制とは言いがたい。春秋期以降の卿-大夫-士の階級構造とも異なっており、西周期には上述の内爵は存在しなかったのである。

○席位爵:卿-大夫-士

 西周の制度は、春秋期以降も多く踏襲されたが、「大夫」にかんしては西周期由来ではない。それでは、卿・大夫・士はどのように結合したのだろうか。これら三者の関係は、飲酒儀礼上に求められる。かかる席位爵について、まず仮説を述べると、①卿・大夫・士はもともと飲酒儀礼上の敬称であり、席次と対応していた。②官吏は階級や「命」数(ここでは册命の回数)にもとづき、席次に着く必要があり、これにより対応する席位爵を獲得した。③この三つの席次は朝廷の饗食儀礼にも受け継がれ、三つの席次についた官吏は、おのおの卿・大夫・士を称した。④この席位爵が官吏の品位爵に変化する、となる。
 まず確認するのは、飲酒儀礼上における席次である。席次は原則として、長幼の序と、「命」数で決まっていた。次に、卿・大夫・士と飲酒儀礼における席次を確認する。まず「卿」について、もともと「鄕」「饗」と一字であり、会食の意である。「鄕」は「饗」を共にする共同体であり、「卿」は共同体の首領で、「饗」の主催者でもあった。「卿」が官職名などに用いられるのは、この性格ゆえであり、飲酒儀礼の主人の席次と対応している。「大夫」については、もと「大人」と同義であり、原始社会の家父長に由来を持つようである。西周期においては一般的な用語であり、飲酒儀礼では堂上の父老・年配者にあたる。「士」の本義は成人男性である。飲酒儀礼では堂下に起立する弟子で、成年であったものを「冠士」といった。飲酒儀礼の「士」は、座席がなく起立する子弟のことであろう。大夫-士の関係は、もともと父老-子弟の関係と区別がなかった。春秋期以降になると、大夫・士は朝廷の官となり、区別されたのである。このように、卿-大夫-士はそれぞれ対応する席次を持ち、この序列は先に席位爵として出現し、品位爵の来源となった。
 さて、この席位爵と卿士-師尹-御事の関係はどうであったか。史料によれば、命数によって飲酒儀礼の席次が決定していた。册命を受けた回数が多ければ、必然的に官職は昇進したため、命数はほぼ品位であった。つまり、一命は低級官吏、再命は中級官吏、三命は高級官吏であったのである。そうすると、卿士-師尹-御事の階級構造ともある程度対応したと想定できる。命数はあくまで席次の決定のみであったが、このように階級構造とも対応した。そしてこれらの階級構造は、席位爵の「爵位」を保持していた。卿・大夫・士の席位爵は、このようにして品位爵と融合する。
 先行研究で指摘されているように、飲酒儀礼が君臣間の饗燕儀礼へと変化した。飲酒儀礼における席次も、饗燕儀礼へと継承された。国君が師尹級の官吏を招いた時、彼らは堂上におり、師尹級の官職は「大夫」と呼称された。御事級は堂下で起立していたため、御事級の官職は「士」と呼称された。卿・大夫・士は本来朝廷の序列ではなかったが、飲酒儀礼が饗燕儀礼に継承されることで、一つの序列となった。「大夫」の呼称については、殷周金文には見えず、春秋金文になると20余例みえる。この「大夫」について注目すべきは、いずれも楽器にみえること、国君の饗燕儀礼に登場すること、である。これらの楽器は燕饗で用いられ、先行研究ではここに登場する大夫(執政階層)・士(知識階層)を新興階層としているほか、銘文中の士は大夫-士の序列の中に置かれている。このように、大夫-士の序列は確定でき、卿については西周期の残存であろう。ここに、席位爵の序列を再確認できる。ただし、ここで使われている大夫・士は、宴席上の敬称であろう。

書誌情報:閻歩克「「層級化」与「席位爵」」(『席位爵与品位爵』上海古籍出版社、2023年)。余論は省略しました。


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