大人になってからの習い事はいいゾ

TL; DR


  • 1年前から習っていたピアノの発表会(自分の)があった

  • ここ数年で、色々な習い事を試してみたけど、総じてやることは2つ。お金を払って、通うこと

  • なにか教えてもらえ、続かなくとも新しい概念に触れられるのは面白い

  • 基本自己満なので、気軽にやめればいいし、気軽に続けてもいい。でもできたら4-5回はやるといい

30歳でヤマハの門を叩く


ちょうど1年くらい前にピアノを始めたが、きっかけは転職の合間の有給消化で暇だったことだ。暇なので、育休をとっている近所の友人と赤ん坊に遊んでもらっていて、そのときにその友人の「最近ヤマハでドラム習い始めたよー」という一言を耳にした。

ヤマハ・・だと?ヤマハには聞き覚えがあった。21歳の夏、私は某外資系の会社でインターンをしていた。週末にはクルージングに連れてってもらい、ウッヒョー社会人スッゲー!とイキってた。社長の「うちの入社条件は船舶免許を取ること」という囁きを真に受けて(素直なので)免許とって、そしてとったはいいものの、え?会員権?入会費?桁・・?という絶望に浸っていた私を救ってくれたのがヤマハだった。ヤマハが運営しているクルージングの会員システムがあり、それを使うと、そこそこ人道的な値段でコスパよくイキれるのである。

コスパよくイキってたあの頃。角度もズボンも謎

そんな、私に20歳初頭の青春の1ページを授けてくれたヤマハだった。今回はどんな青春の1ページを?と思い、クラス一覧を見ていると、まず目を奪われたのは「ジャズピアノ」という6文字だった。私はLALALANDが好きで、いつか高速道路で踊りちらしたいと常々思っている側の人間なのだが、その中のあのジャズのイケメン(名前忘れた)みたいにもしやなれるのか・・?月1万円ちょっとで?と思い、その場で電話をした。

電話口のヤマハのお姉さんはとても丁寧に、だが困惑を隠せず、「ジャズピアノは初心者の方には難しく..よかったら一度いらしてください」と宣った。実は私は小さい頃、ピアノを数年やっていた。といってもやらされていたという方が適切で、国債発行残高とは裏腹に私の練習時間高はどんどん目減りし、ついに当日の朝2分というところまでキていた。とても優しかったT先生がこんな顔をするんだなアと冷静に思ったことや、発表会って結局なんとかなるけど練習せずにやったらどうなるんだろうなアと思って当日普通に途中で止まり、そこそこ大きいホールで静寂を噛み締めたことを思い出していた。

しかし、当時の自分とはもう違うのである。社会人も10年弱やってきて脂(文字通り)もノって、そして月謝も自分の懐から払っちゃうワタシである。ハハーン、まぁ経験あるし大丈夫っすよフフフ、とヤマハに向かったのだった。ホールの静寂を噛み締めた経験がどれだけ活きそうだったか?

結論から言うと、無である。ゼロだった。20年の月日の流れというのはゆっくりと、しかし私の脳内から忘却を引き起こし、私はへー、これがヘ音記号?おっト、これがト音記号?と、フレッシュさを全面に先生と対峙していたのであった。

ということで、先生は優しく「まずはポップスをやって、蓄積してきたらジャズにもチャレンジしましょう」と誘導してくれ、(素直なので)そのまま従ったのであった。正直ポップスの意味はよくわからなかったが、私は常々にポップに生きていたいと思っているので、なんかよさそうと思って入会することにした。

その後と発表会


導入がやや長くなってしまったが、22歳の「モテたい!クルージング!俺が船長!」と寸分違わぬ無垢な「ジャズ(じゃないけど)ピアノ、弾けたらかっこええやん」の気持ちでなんとか1年間続いたのだった。

「続いた」というのはなんかえらい感じがするが、自分が主体的にやっていたアクションは「銀行口座の引き落としを止めない」「週1回教室に現れる」の2つのみ。ぶっちゃけお金を払い続ければ席は確保され、あとはまぁ教室に現れれば良いのである。正直練習も当日2分のこともあったが、行くと先生がいい感じに褒めてくれるので、レッスンの合間はその余韻でやっていた。会社で同時期に始めた同僚がいて、彼は毎日鍵盤を触るようにしていると言っていたが、私はジョッキはまだしも鍵盤を毎日触っているとは到底言いづらい状況だった。

ちなみにピアノは電子ピアノでもそこそこ値段する(5万円前後?)が、私は幸い近所の友人から借りパク 長期的にお借りして、初期費用を抑えることができた。楽器はやはりお金はかかるものではあるので、その辺のとっつきづらさは一定ありそうだなと思う。

そう、発表会である。発表会といってもヤマハの教室内にあるちょっと大きめの部屋で、私が教わっている先生が生徒さんを集めてやる小さい会だった。生徒の皆さんは、そんな見せるほどのものでは、ということで家族やパートナーは来ないように言っていた方も多いようで、相方に加えて近所の友達もホイホイ呼んでた私とは対照的だった。

曲は久石譲のSummer。ジャズピアノで一度挫折で味わった私が、その3分後に「まあいいや、これ弾きたいな」と思っていた曲だった。本番では、小さい部屋ながらも緊張感があり、練習ではしないようなミスもしてしまった。ちょっと落ち込んだが、後でインスタでミスしてない部分を綺麗に短尺で切り取ってあげたらグローバルな反響があったし(注: 海外の友人数名からスタンプがきた)、相方のオカンにも褒められたから、総論よかったなと思った。あと、肩幅が意外と映えて良いと言われ、芸術と筋トレとのシナジー効果も感じられたひとときだった。

仕事もある程度緊張感がある場面もあるが、瞬間的に緊張する短い瞬間というのはそれほどないので、良い経験だった。

習い事の効用


そう、30歳になってもイキり魂が逓減しない話ではなく、大人の習い事って結構いいかもよという話がしたい。なおここでの「習い事」とは、教わる先生がいて、定期的に出席するものを指している。なので、パーソナルトレーニングは習い事になりうるが、月額制のジムはちょっと別物。

先述したように、自分も始めたきっかけも一瞬のノリであるし、そして続けるといっても、まァお金を払い続ければ続けること自体はできるので、大人にとっての習い事を続けるハードルは意外と高くないのではないかと思う。ただ、やっぱりただ負荷がかかるだけだと続けるのはつらいので、やっててよかったと感じたことを書きたい。

1/ 新しいことを学ぶってのはいいもんだ

後述するが、ピアノ以外にも(特にコロナが始まってから)色々な習い事を試してみた。続かなかった習い事や、そろそろいいかなと辞めた習い事も少なくない。習い事は、続けないとというプレッシャーを感じやすいが、正直体験の1回だけでも、数回でもそれはそれで良いことなんじゃないかと思う。

まず、1回の体験でも、なにか新しいことを学べたりする。例えばパーソナルジムの体験では、自分の体格や性質というものへのひとつの客観意見をもらえたりする。そして、多くのことは1回で「スキル」といえるほどのものは得られずとも、なにか新しい概念・考え方に触れる機会を得られると思う。ピアノであれば、楽譜通り間違わずに鍵盤をたたくということに加えて、リズム感、抑揚、音色?(あまりわかってない)などの観点がある。1回で諦めた木工教室では、一つひとつの道具の知識を体系的に覚え、そして時間をかけながらそれを素材に適用していくことが大事だった。ヨガでは、あんま日々意識しない呼吸が大事、など。

概念・考え方といったものにふれることがなにかすぐ役立つということではないのだけど、ほうほうそういう世界もあるのですネという好奇心と、後は仕事のようにかなり時間を使い、その世界の中で「良い」とされる評価軸が全ての評価と錯覚しやすくもある環境の他に、「良い」ということが全然違った軸で見られる世界があることを定期的に体感できるのはヘルシーだと思う。

2/ 自己肯定感が高まる

習い事をやってます、というと、なんか褒められることが多い。もちろん言ってる側もなんとなく言っているものであると思うが、お金を払って決められた場所に行くという挙動においてはそれほど飲み会とやってることは変わらない気もするが、飲み会よりも褒められることが多い。褒められると、(素直なので)もうちょっと頑張ろうかなと思うし、それによって継続すれば、結果上達するので、よいサイクルが生める。

3/ リズムができる

習い事はだいたい日時が決まっているので、リズムが生まれやすい。例えば私は元来、月火水木金土日飲み会オッケーです!というスケジュール感で生きていたのだが、ピアノに通うようになって、火曜夜は飲みに行くことができなくなってしまった。意外とその感覚が新鮮で、それゆえ水曜は基本元気に朝からなにか作業(仕事に限らない)ができたりと、リズムが生まれるようになった。月額払っていつでもいけます!というジムだと、続けるという意味において、自分で行く日程を決める(+自分で負荷を決める)というところが結構ブロッカーになりうると感じる。だから、○曜△時と決まっているものの方が結果的には続きやすい気がするし、仮に自分で随時時間を決めるものでも、自分でいつ行くかを決めてしまって定期イベントにするのが良い(私はジムの予定をGoogleカレンダーの繰り返しイベントで入れている)。

平日夜はなんか仕事や飲み会やらが入ることが多いが、土日とかは、意外と予定がなく暇だったりする。そして今日何しようかなということを考えることになる。ときにはそれが焦りにつながることもあるが、定期的な習い事があると、まず一つはなにかしているので、自己肯定感であったり、その後なにかするぞというリズムを作りやすい気がする。

4/ 人に物事を教わる経験をする

小さい頃色々習い事をして、それぞれの先生(やコーチ)から物事を教わっていたが、大人になると意外と物事を教わることが減るものだ。上司から物事を教わることもあるが、それも社会人として年齢を重ねてくると、減ってきたりする。

上記で書いたように、色々な習い事においてそれぞれの世界観、「良い」ことの軸があるので、なにかをやっていることがすぐ他につながることはそれほどない。が、共通しているのは、人に物事を教わるということ。教え方の巧拙は先生によっても違いがあるが、全体像を理解して、課題を決めて、そこに取り組む。わからないことがあれば、そこをどんどん聞く。このプロセスは、正直小さい頃よりも大人になた今の方がうまくできると思う。結果として、上達するスピードも、意外と早くなるのでは?と考えている。

ピアノにしても、小さい頃は、嫌だなアとか、この作曲家の髪どうなってんねん(失礼)くらいしか考えていなかった気がするが、今は全体がどういう構成で、どういう指のバリエーションがあって、どこは共通してて、という部分を考えるようになる。そして先生への質問の仕方も、おそらくより的確になっていると思う。副次効果として、特に運動系の習い事は、若い(ときに大学生)の先生に教わることも多いので、臆せず年下の人に質問することに慣れるとか、なんか謙虚になれる気もする。

湧いては消えていった習い事たち(読む必要なし)


ピアノは幸い1年続いていて、ひとまず続けようと思っているが、これまでにやってみて、続かなかった or 区切りがついてやめた習い事は無数にある。ここ2-3年の中でも、リストにすると以下のような感じだ。なにかの習得を目的にするのであれば、やめることは全然悪いことでないと思うし、むしろ(ライザップではないが)期間を区切る方が良いこともあると思う。

  • クロスフィット (半年; 継続中): ジムの一種だが、コーチがいて6-10人で1時間、とにかくしんどいトレーニングを1時間くらいやるもの。「強くなる」という目的が老若男女、共通言語として浸透していて、終了後に🤜🏻🤛🏽ってする謎のチーム感が良くて続いている

  • パーソナルトレーニング (1年): 習い事のきっかになったのがパーソナルトレーニングだった。ジム通いの一番のハードルは、何していいかわからないことだと思う。そういう意味で、パーソナルで一度集中的にやって自分の体とすべきことを把握する。それから結局体動かして変わるのは全体の3割で食事が7割であることを知る。それらを通して実際に体が変わったという体験を踏んだことが、自分にとっては、何歳になっても新しいことを学べるなと思う源泉になったように思う。

  • テニス (1年): テニスは今も友人と定期的にやっているが、一時期もっとうまくなりたいと思ってスクールに通っていた。熱が一時期よりは冷めてやめてしまったが、高校で部活やっていた頃よりも、色々考えながら練習したらうまくなったプロセスは面白かった。

  • 木工教室 (1回): だいぶ合わなかった習い事の一つ。半年空席待ちして入会した家具作りのための木工教室だったが、初回で90分道具40種+の説明、しかも「これは1年半後くらいに使います」(え、今説明する必要ある?)、座学だけでは面白くないですからってことやった実践的な取り組みが45分間長方形の木の周りに鉛筆で線を引き続ける練習(…修行?)で、1回で退会してしまった。教室自体はとても良い教室・コンテンツ・先生だと思っていて、単純に自分には合わなかった。「時間軸」というのも一つの観点だなァという学びを得た。(ちなみにやめた次の週末にこの記事に完全に従って自分で机を作った)

  • (K-POP)ダンス教室 (4回): 相方について行ってみたが、友人の余興に向けの準備で存分にリズム感の欠如を呈した私の様子は、後で動画で見ると反復横跳びをしてるのか踊ってるのがよくわからなかった。4回で1曲仕上げるやつだったので、4回はやってみた。相方はハマって、その後2年くらい続いてるので、平宅ではK-POPの未来は相方に託した。

  • ピラティス・ヨガ (1回ずつ): よくある体験でやってみたが、ヨガは(種類にもよると思うが)気づいたら寝てたので入らなかった。ピラティスは結構しんどくて、だったら筋トレでいいやとなった。

  • その他消えていったもの: 水泳教室、暗闇ボクシング(B-monster) 等

習い事を続けるtips


色々なことをやってみて、続けるためのコツとして1つあるのは、とりあえず4-5回はやってみることだと思う。例えば漫画やドラマなど、見始めると止まらないものも、意外とはじめの1-2回を見るのは億劫だったりする。習い事もそうで、1回の体験では見えないものも多いので、これは良いかもと思ったものがあれば、意外とつらいとか面倒と思っても、4-5回はやってみる。そうすると、わけがわかってきてはずみがついたりする。

あと、好きなことをやるのがいい。ピアノであれば、別にバッハとかハッパをかけられることもなく、自由に好きな曲を選んでやれるのである。だってお金を払って勝手にやってるだけだから。発表会でも、皆それぞれの思い出の曲とかを好き好きにやってよかった。 特に、最初に「これがしたい!」というのが具体的であればあるほどいい気がする。 (例 体動かしたい、よりもバク転したい、等)

落とし所はなくてもよさそう


パーソナルとかは、目標体重や体脂肪率があったりして終わりがわかりやすいのだが、特に別に終わりはない習い事も多いと思う。ピアノもそうで、自分もある意味「この曲を弾きたい」と思って始めて、その曲が弾けるようになったのでやめ時・落とし所としては丁度いい感じもする。だけど、今のところは続けることにした。それは、決断、というよりもズルズル続けてる感覚に近い。半年・1年後の明確な目標があるわけではないが、足元で「この曲やってみたい」とか「意外とできるようになったな」みたいな種を集めてなんとなくやる、でもいいのかなと思っている(結局自己満なので)。

おわりに


10年前くらいに読んだ、自立とは「依存先を増やすこと」、という記事を覚えています。障害を持っている人からすると、特に親などに依存しがち=自立できないと考えやすいが、依存先を増やすことで1箇所への依存をへらす事ができる。「自立」とは、依存しなくなることではなく、依存先を増やすことなのだと。

https://www.univcoop.or.jp/parents/kyosai/parents_guide01.html

少し意味合いは違いますが、例えば仕事というものは、日々の生活の中でもかなり時間を使うものであり、依存とはちょっと違いますが、かなり没頭しやすいものであると思います(悪いことではない)。その仕事においての評価軸というのは単一ないし似通った観点に依拠すると思います。没頭していると、それが生活・人生の中で大きな部分を占めてくる、あるいは全てであると錯覚することもあると思います。

その中で頑張るということは大事ですが、しんどくなってくることもある。そういったときに、例えば家族という観点以外でも、なにか観点があることはラクになりうることかなと思います。そういう意味で、習い事は一つ、別の観点もあるよと、定期的にリマインドしてくれる良い営みであるようにも思いました。


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