ふレた.
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路頭に迷った時。
どうしたらいいか分からない時。
「大丈夫?」
そう声をかけてくれる誰かがいる。
優しさに触れること。
それだけで、ああ、生きてていいんだと。
人の優しさに、温かさに触れられた瞬間ほど、尊く、感謝に溢れることはない。
多くの人が、画面の中の世界を見ている。
実際、僕も画面の中の世界で生きていることが多いのだ。
それでも、ふとした時、画面の外の世界に目をやること、心をやること。
そうした時に、小さな優しさを目にする。
花に水をやるおばあさんを見た。
子供の頭を撫でる母親を見た。
落としたハンカチを拾い、渡しに行く人を見た。
よく見れば、よく感じてみれば、
この世界はちっとも冷たくなんかない。
沢山、沢山の優しさに溢れている。
それを謙虚だとか、自信が無いだとか、ひねくれた事を言う人なんて気にしなくて良い。
駅のホームで、エスカレーターを譲る人。
電車で誰かに席を譲る人。
友達で座りたそうにしている人に、一つ、
席をずれてくれる人。
車椅子の人のために、スロープを用意する駅員さん。バスの運転手さん。
それは、義務感かもしれない。
それは、仕事かもしれない。
それは、自己満足かもしれない。
だから何だと言うのだろう。
それらを否定し、馬鹿にする人は、哀れだ。
酷く捻じ曲がったメガネを掛けている。
そのメガネを外して、一度、もう一度、
正面から見て欲しい。
あなたの視力は、本当は悪くなんてなっていない。
何かの要因で、「かけなければ見えない」と思い込んでしまっただけなのだ。
誰かにとってどうでもいい一日も、
誰かにとって、最悪な一日も、
誰かにとっては、かけがえのない日。
人なんて、無数に居る。
一度すれ違った人と、二度と会うことなく
生涯を終えるかもしれない。
それでも、人の縁は巡る。
優しさも、縁と共に巡っていく。
誰かに注いだ優しさは、やがてその人が咲いた頃、再び誰かへ注がれる優しさ。
そう思えば、世界は優しさに満ち溢れている。
ちっとも、冷たくなんかない。
優しさと、温もりに満ちている。
風の心地良さも、花の愛らしさも、空の美しさも、全ては人の愛につながって。
そう、全てが。
全て、僕の理想論だ.
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