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獣喰ふ ゆめときみ. 一

顔のぼやけた恋人と、何かから逃げていた。

僕はとある大きな家の生まれで、幼い頃から他者との付き合いを厳しく制限されてきた。
その為、今の彼女と恋人関係にあることは、決して知られてはいけなくて、数年間周りに隠し通してきた。
けれど、最近になってその事が一部の大人にバレてしまった。
僕の周りで、僕を守ろうという、そんな建前で家に媚びを売ろうとする自分勝手な大人たちが沢山居て、彼女はいつもその事に腹を立てていた。
そしてその中の一人である、僕の担任をしている女性に対し、彼女の堪忍袋の緒が切れた。
その担任は、僕と彼女が交際していることに気付き、家に密告しようとしていた。挙句僕を守るというていで、僕を家に監禁した。

彼女が助けに来てくれたが、初めは捕まってしまい、手足を縛られ僕と彼女は車に乗せられた。恐らく、僕の家に連れていくのだろう。
信号待ちで焦る担任の横で、彼女は隠し持っていた小型のカッターで紐を切り、担任の握るハンドルを思い切り右にきった。

「…ざけるな…!…身勝手…んで…ね…!」

車は壁に激突し、エアーバックが作動していた。
酷い耳鳴りの中、遠くで彼女が何かを殴る音が聞こえた。幸い彼女には大した怪我もないようで、僕は安堵しつつぼやけた視界で彼女を見ていた。強い衝撃のせいか、後部座席で横になったまま身体は動けなかった。

「…めて…!お…がい!」

遠くで、彼女では無い声がして、初めはそれが担任の悲鳴であると分からなかった。
重い身体をゆっくりと起こし、助手席で担任に馬乗りになっている彼女が見えた時には、もう遅かった。
彼女は、車のドアで担任の首を何度も、何度も殴っていた。少しして、折れた音がしてもなお、彼女はそれを止めなかった。

担任の女性が、もう声も出せなくなった頃、僕は震えを押し隠しながら彼女に、

「僕はもう…大丈夫だから…」

と笑いかけると、彼女は直ぐに手を止めて、女性に目もくれずに僕を見て笑顔になった。

「出よっか!」

と明るくそう言って車を出て、ぼくの手を引いた。

たった今、彼女が殺人を犯したことからぼんやりと目を逸らして、ただ2人で並んで人の少ない住宅街を歩いていた。

2人で歩くのなんていつぶりかなと、嬉しそうに笑う彼女の左手は、担任の女性を殴ったせいか、赤く血が少し滲んでいた。

街では、僕と彼女を陥れようとする大人が沢山いて、警戒しながら始めは人の少ない道を歩いていた。
そのうち雨が降ってきて、彼女はいつのまに車から拝借してきたのか、透明なビニール傘を広げた。
2人で入れるように、肩と肩がぶつかるくらいまで寄り添った。

「さむっ!さむいね!」

楽しそうに笑いながら、彼女は僕の腕にぎゅっと抱きついてきた。

僕は嬉しさと、ドキドキで、少しの間それをかみ締めていたけれど、前の方から男性が向かって歩いてくるのが見えた。

「人が来る、離れなきゃ…」

心苦しく思いながらも小声で言って、彼女からそっと腕をほどいた。

彼女は不服そうに、

「…まだ隠すの?」

と傘を少し、僕の方から自分に傾けて言った。
僕の右肩は少し濡れて、けれど何も答えなかった。

少し人通りのある道になってきたので、僕は傘と彼女から離れて、一人で歩いていた。
彼女は不服そうながらも、何も言わずに少し後ろを歩いていた。
けれど、車や人が普通に通る道で、信号待ちをしていた時だった。

突然、僕に後ろからフードをかぶせ、彼女も紺色のパーカーのフードをかぶった。
そして僕に広げたままの傘を渡し、彼女は再びぎゅっと僕の左腕に抱きついてきた。

「ちょっ…こんな人多いとこ…!」

周りをチラチラと気にして焦っている僕に、彼女はシシっといたずらっぽく笑って、さらに腕にぎゅっとした。

「もう、いいよ。このままでさ」
「このまま、君ともっとこうしていたい」

その声はどこか寂しそうで、僕は彼女の願いをきくことにした。
風か何かでフードが取れて、知り合いにでも見られてしまったら、僕は家に閉じ込められ、彼女はきつく叱られ二度と会えなくなるだろう。
分かっていても、それでも。

「ふふ…君の手はいつも冷たいね」

少しだけ歩きにくい中で、彼女は嬉しそうに僕の手にそっと触れた。
彼女の手は暖かくて、そのまま自然と手と手を組んでいった。

「…心が暖かいんだね」

つぶやく彼女の声と、傘に落ちる雨粒と、後ろの方で聴こえる車の走行音。
向かっては過ぎるだけの自転車にいちいち少し怯えながら、いつもの通学路を歩く。
ただそれだけで、スリルも幸せも同時に、胸いっぱいだった。

「…アレか〜?」

何だか悪そうな声が聞こえて、後ろをチラ見すると、自転車で一定の距離を保ちながら後ろをつけてくる男の姿があった。

おそらく僕だとバレたのか、僕は彼女に耳打ちで、'後ろから付けられている'と伝えた。

人通りの少ない道に入って、廃れた工場の辺りで彼女を後ろに守りながら、自転車の男に体を向けた。

「わざわざこんな人の居ないとこまで来てくれるとは、親切だねェ」

いかにもガラの悪そうな、体格の良い若い男で、後ろからもう一人、同じく自転車に乗っていた。

「コイツなんすか?例の、変な噂の」

後ろの奴はただ着いてきただけらしく、ニヤついている前の男がリーダーのようだった。

「あァ間違いねェ、オレが探してたのはこいつだ。思ったよりヒョレえけどな!」

豪快に笑う男に、彼女は怯えていた。
つい先程衝動的に殺人を犯したとはいえ、相手は彼女よりも体格の小さい女性だった。
自分よりも大きく、さらに金髪でノースリーブの腕には刺青だらけで、見た目にも怖い。
そんな相手には強気になれるはずもなかった。

「…なんの用」

僕は少し威厳を見せようとしたけど、上手く出来なくて、手を広げて彼女を守る姿勢を見せることしか出来なかった。

「そんな威嚇しか出来ねェのか?」

そう言ってから、男は思い切り威嚇した。
それはあまりにも威嚇、いいや咆哮と呼べる、大きな音だった。
男の歯は鋭い牙で、まさに獣のようだった。

「まさか…獣族…!?」

後ろで僕の背中に隠れて怯える彼女がそう言った。

「っそう!メスは察しがいいようでェ!!」

そう言うと獣族の男は勢いよく跳んで、僕に向かって殴りかかってきた。
僕はその数瞬の間にも彼女の手を取り、その攻撃を避けた。
そしてもう1人を自転車ごと思い切り倒すと、休む間もなく背中を向けて走った。

「…読まれた、かァ?」

後ろでつぶやく声が聞こえたが、気に止める間もなく工場に逃げ込んだ。

    

……

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