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「きちんと気持ちを切り替えるためだけ」のお気持ち文です

慈しみを1ドットも持たない、いちアーケードゲーマーとしてのお話です。とにかくすっきりしたいので、文章が支離滅裂であることはご了承ください。

今の心境を申し上げますと、宣言や休業の報せを確認したことで却って心を切り替えることができました。

それまでどんな心境でいたのか。すっきりしたいので可能な限り書きます。

まず、先月の要請が発令される前から彼氏と2人で「ちょっと危ないかもね」と話しておりました。「(3月までの)羽田空港のイルミネーションも見に行こうか」「いや、今は危ないからよそう」と。
“私自身が一次創作に夢中になってたから”というのはもちろんございましたが、心配性の私たちとしては危機意識を欠かさず行動するのには、ずっと気が引けていました。その頃から友人たちに対し、「本当は一緒に遊びたいけど、騒がしいから落ち着いたらね」と話しています。おかげさまで多くの人たちとの約束ごとが複数ございます。賛成してくれた皆さん、ありがとう。

ただ一方で、好きなゲーセンにお金を落としていないことへの罪悪感に(宣言直後まで)ずっと苛まれておりました。考えすぎかもしれませんが、「私はファンとして失格なのでは」と悩むこともあって、昨日もそれで落ち込んでおりました。「オンラインで支援できないものはどうしたら良いの」とも。

3.11をきっかけに、これまで“正しい情報”だけを1ヵ月以上追ったつもりでいましたが、昨日私の中にある均衡が一気に崩れてずっと泣いてしまいました。今朝もです。

本当は配信を通して盛り上がりたいと思っていながらも、「影響力のない私がやったところで」とネガティブになっている自分がいました。今もまだその気持ちが残っているのは否めません。

自分のことしか考えていないのは重々に承知しております。ですが、これ以上自分を責めたら本当にヤバくなりそうなので、まずはこうして明文化させることにしました。

とりあえず1ヵ月もまた遊びに行けないなら、修行の期間と捉えればいい。え、長引くかもしれない?もうそれ考えたらキリないよ。この時ぐらいは希望を抱いたっていいじゃん。

かといって、「落ち着いたらみんなで盛り上がろうね!!」という気の利いたセリフも言えないんですけどね。

今の私がわかることは、「お世話になっている筐体や基板・プレイヤーたちと再会したら、計り知れぬ感動が+120%となって生まれる」ということ。そのためには健康でいなくてはならない。生きていなくてはならない。だからどうしても誰かに言うとすれば、「生きて」以外思い浮かびません。

とりあえず自分の話だけするね。

私、落ち着いたら『怒首領蜂大往生』に1クレ入れて、『焚身』(ボス曲)をこの耳で改めて聴きたいです。再び2-5に入って「よっしゃーーーー!!!」と心の中で叫ぶ自分が割と簡単に想像できます。

『怒首領蜂大復活ブラックレーベル』だって、例え進捗がなくて未だ5,000憶いかなくてもパターンの精度が上がる喜びや、ビット地帯を潜り抜ける爽快感を再び味わいたいです。

そして満足するまで遊んだら回転ずしに行って好きなものをたらふく食べたいです。なお当方はサーモン系とまぐろ系が大好きです。

これらを実現させるために、自分には何ができるか。これまで通り、練習と研究を積み重ねるしかございません。もう私は「この先は…」と考えることに疲れました。

プレーが上手くいかないときは、修羅となって「この熱意は誰にも負けない」という思いで積み重ねてきました。
今回もそうです。例え宣言時まで遊びに行けなかったとしても、それで私がファン失格だとしても、(使命感を背負いすぎない程度に)修羅になる。それだけです。

はたから見て進捗がないように見えたとしても、私はもう一度「ストイックな玲菜」としてあり続ける。

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