【小説・草稿】谷中で遭難する
9月の夜はさすがに少し冷えてきた。いつもなら少しガラの悪い学生のいる上野公園の噴水には僕ら二人しかいない。
僕は東京大学の4年生でつい先日、大手コンサルへの内定が決まったところだった。今日は朝起きて、研究室に行くのがめんどうになってしまったのでずっと御徒町を散歩していた。もしかすると悪い虫の予感があったのかもしれない。夕方ごろ、不純喫茶ドープでたばこをくゆらせているところにこいつから呼び出しをくらった。
こいつと会うのは3年ぶりだ。最後は大学2年生のとき、私が経済学部への進学が決まったときのお祝いだったことを覚えている。
久しぶりに旧友に呼び出されたときの不信感を胸に私は上野の桜並木を登っていったのだった。
僕らは本来は親友で、中学時代の塾のクラスが同じだった。僕らは高校受験のライバルだった。最高のライバルだった。模試の成績で競い合った。ときには成績くらいの話で取っ組み合いの喧嘩をしたこともある。彼は努力家だったので成績でちょっとでも負けるとすぐ不機嫌になる悪い癖が昔はあった。
僕らは開成高校に進学した。
上野動物園前の交番で待ち合わせたこいつは少し痩せていた。青いジーパンに栗色のジャケット、ぼさぼさ頭だけは昔と変わらなかった。そして、右手にはキャリーケースを携えていた。
僕は、言葉がでなかった。
何を話せばいいか困った。高校3年間同じクラスだったのだから話すことはたくさんあるはずだ。高校に入って中学受験組と最初の一ヶ月くらい険悪だった話を思い出した。高校2年生のときあいつがクイズ研究会としてテレビに出てちやほやされて、普段はクールを気取っているくせにガチガチに緊張していてクラスで可愛がられた話を思い出した。人生で一番魂を燃え上がらせた高校3年の体育祭の話を思い出した。
高校を卒業してからの話もある。私が大学1年生の頃サークルで馴染めないことを打ち明けたときのことを思い出した。大学2年生の頃、こいつに恋愛相談をしていた恋がその後時間をかけて実ったことを報告しなければいけないことを思い出した。そして、私が経済学部に進学がきまって盛大に祝ってもらったことを思い出した。
話したいことは山ほどあったが、何を話せばいいかわからなかった。沈黙が僕らを飲み込んだ。
僕らが疎遠になった理由はなんてことはない。気がついていたら離れ離れになっていた。会うのが気まずくなっていた。
彼は頭をぼりぼりとかいた。
こいつも同じ気持ちなのだろう。ぼくらは噴水に背を向けながら二人とも勝手に思い思いの思い出を回想していた。
風が痛い。
15分くらいして、彼はカバンの中からチラシのようなものを取り出た。そして、目も合わせず私に押付けた。受け取れということだろう。
それは彼の地元の看護学校のチラシであった。所在地と連絡先に赤字で雑に丸がついていた。
そのかたまりをおれに押し付けると、彼はそそくさと去っていった。名残を惜しむ時間もくれなかった。
上野駅まで追いかけるか。いや、いまさら遅いか。
カヤバコーヒーはこの時間はもうやってないか。じゃあ本郷の研究室にでも行くとしよう。
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