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【看取り日記08】亡くなった日から今日まで②

今回の内容:亡くなった日から今日まで

56歳の母を30歳で看取りました。
発見した時には末期がん、2年前からはじまった延命治療。
2023年8月中旬に緊急手術、余命宣告。

手術から看取りまで約3週間の出来事をまとめています。

看取り日記01▼

前回のお話▼



亡くなったその夜

もう夜に起こされることもなく、何だか寂しい気分で就寝しました。
わたしは母がガンと診断された時も、治療している日も、看取った日もなんだかんだで眠れています。
そういうところとっても図太い。

夫くん会社休んで駆けつける

朝、夫が駆けつけてくれました。
正直仕事を休んで家に来てくれるなんて思ってもみなかったからびっくりでした。
そういうものなのかな?正直わからない。

朝から来てくれて一緒に母に会いに行ったり、市役所へ死亡届の書類の提出対応を一緒に着いてきてくれました。
わたしはペーパードライバーなので気が動転して運転がおかしくなると怖いからね…。

書類提出待っている間に、
赤ちゃんは息を吐いて生まれてくるけど、亡くなる時は本当に息を吸って亡くなるんだよ。すごいよね。という話をしました。
何だか息を吸ってなくなるのを見るという経験はそうないだろうし、あんまり出会いたくないです。
でも神秘的で思わず旦那に話していました。

そこからは毎日ドタバタし、
・会社に連絡
・親戚に連絡
・葬儀会社と打ち合わせ
あっという間に葬儀になりました。

母の友人には連絡を入れておりません。
ですが、1人だけ聞きつけて母の携帯に連絡をくれた人がいて、わたしも知っている人だったので直接連絡をとりました。
家族葬で行う予定だったので葬儀には来れませんでしたが毎日ママの居る葬儀場に来てくれました。
仲良かったんだね〜、本当に誰にも言わなかったんだね〜。みんなママのこと心配してたよ。

元々葬儀はわたしと伯母だけで行おうと思っていました。
なので2人の葬儀を考えていたら、夫が「出るに決まってるじゃん」と。
じゃあ3人か〜と思っていたら
親戚も駆けつけてくれ、最終的には通夜に夫の家族も参加してくれました。
そういうものなの?わからない。
でもみなさまありがとうございます。
ママ〜〜〜!みんな来てくれたよ〜〜〜!

花も親戚から送っていただいたり、会社の人から届いたりしていました。
最後棺に入れる際母の周りは花でいっぱいになって綺麗でした。
(不謹慎かもですが写真撮りました)(本当に最後なので許して)

今回の葬儀で私が喪主を務めましたが、特に何もせず。
施主を伯母が務めてくれ、親戚や寺のやりとりなど主にやってくれました。
喪主でしたが挨拶も特にせず、ゆったりとした葬儀を行いました。
親戚しか居ないしいいよって感じで。
(お坊さんへの挨拶はしっかりやりました)

***

親戚がいたおかげなのか、通夜では最後の最後に泣いてしまいましたが
葬儀では笑顔で送り出せました。
遺骨がピンクになっていたのが印象的でした(多分お花の色がついた)

その後もふとした時に涙が出たりはしましたが
最後まで病院の付き添いができ、自宅で看取ることができた。
それができたことが嬉しいです。

ただ、全く後悔がないかと言うとそんなことはなく

・もっと親孝行しておくべきだった
→色々もらったのに私は何も返せていないという気持ち

・旅行に連れて行くべきだった?
→ベージニオを服用していたため母は下痢がひどかったです。そのためガンと発覚してから全く家から出ない生活をしておりました。
病気になる前から「星野リゾートに泊まってみたい」と常に言っていたので叶えてあげたかったなという後悔があります。

・最後に怒ってしまった
→短い介護期間でしたがやはり付きっきりで対応するのはとても大変で、母の要望が辛い時がありました。
最後の方の1度だけ「いいかげんにして!」と怒ってしまったことは多分ずっと後悔します。
介護って自分に心の余裕がないと本当に大変だと思います。
介護をしている方は本当にご自愛ください。

書き出すと止まらないですが満足いく介護だったかと言うとそうでもないですが、産まれてからほぼ実家にいたわたしは他の人より母と過ごす時間が多かったと思います。
それは本当に良かったと思います。

手続きって本当に大変

その後の話ですが、遺産相続って本当に大変と感じました。
戸籍謄本を集めるのに1日かかるし、銀行の手続きにも至る所に行きましたし、市役所でありとあらゆる書類手に入れるのに苦労しました。
土日にはできないので平日休みを取って行い、
1ヶ月くらいは本当にバタバタしてました。
本当に最近になって車の保険これも入っているの?という事実もあり解約も行いました。ぽろぽろ出てくるもんですね。
この手続きが楽になることはないとは思いますが、母はまだ県内で引っ越ししかしてなくて良かったですが、
転勤族の方は戸籍謄本取り寄せるの大変だなとつくづく感じました。

余談ですが、私は父が離婚して居なく、戸籍謄本を出す時に父の名前が分からずちょっと苦労しました。
住所も全然知らず、役所の人に色々質問されても「んぇ〜…⚪︎⚪︎ですかね…?」と曖昧な回答をしました。(それでも発行できた。よかった)
ペーパードライバーが故に色んな市役所に車で行くのも苦労しました(これは私が悪い)

今の話

四十九日の前日伯母と話をしていました。

ママは誰にも言わなかったけど本当に良かったのかな?
ママが会いたくないって言ったんだから良かったんだよ
そんな話をしていました。
たらればですし、母の本心はわかりません。
ですが次の日行われた四十九日の法事でお坊さんに
「後悔をしてはいけないよ。え?私は良くなかったの?まだ逝ってはいけないの?と思ってしまうから」と言われ(そんな感じだった)
前日の会話聞いてた?と言うくらいピンポイントに指摘されびっくりしました。
お坊さんの話、いい話だったな〜。前の年の手帳にメモしてあるので今度見返して日記にします。

***

私の祖母は認知症で現在介護付きの病院へ入っております。
私も実家を出てしまった、伯母が祖母の介護で鬱になってしまった、母の病気と重なってしまったなど色々な要因があり
祖母には申し訳ないですが病院へ入ってもらっています。
結構目が離せなかったのでこればっかりはしょうがないと思っています。

その祖母ですが、母が亡くなったのは知りません。
伝える予定もありません。
娘が先に亡くなったってなかなか辛いよね。認知症も強いのでこのまま伝えず過ごしていこうと決めました。
いつかはまた自宅に戻して過ごしたいです(その時はわたしも実家へ戻らないとな〜という気持ち)

***

まだ1年経ちませんが、今では仏壇の前で泣くことはありません。
ただいま〜帰ってきたよ!と挨拶ができます。(伯母が心配なので2週に1度は実家へ戻っています)

亡くなった後は写真を見るだけで泣けていましたが、今はその機会は減りました。
時々泣けちゃうけどね。
母の話をしても泣くことはありません。
ですが動画だけは見れていないです。
まだ動いている母を見る勇気ない、思い浮かべるだけで泣ける。

まだ思い出として消化できていないので、母の声を聞くのが怖いです。
一番最初に忘れるのが声なのにね。
まだ何となく思い出せる。心の準備ができたらまた母と撮った動画見直したいと思います。

***

もう直ぐ一周忌の法要です。
ただ私は現在出産をひかえており、参加ができるか不透明です。
正直絶対参加したいけど体調やらなにやらでまだまだ分からないことばかりで不安です。
お寺とかの準備を伯母に任せっぱなしになってしまっているので「どうしよう」の気持ちがありますが
もうなるようにしかならない。参加したいな〜。
同じ境遇の方いらっしゃいますか?どのようにしたのでしょう?

・・・

あっという間の1年でした。
母が亡くなってもう1年か、まだ1年かの気持ちでいっぱいです。
(まだ8ヶ月しか経ってないけど)
いまだに泣けちゃうことも多いけど、頑張っていかないとな〜。
見守っててね〜。

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