《過剰診断という文字》

過剰診断という文字を意図的に使わず、

説明の際に過剰診断の語、文字列そのものを使わない事に何らかの意図があるとして、意図の内容によってはそれは批判される場合もあるでしょう。しかるにそこからただちに、過剰診断という文字を使うべきだ、とはなりません。

着目しているのは検診、特にがん検診であり、そのプロセスにおいて、招待(invite)される対象がいかに、検診の便益と害の種類および、それらが発生する程度を正確に知る事が出来るかが、説明の手順には要されるわけですが、その要件に関して、
過剰診断なる文字列そのものを説明に記載すべきである
のが必要だとはなりません。

そもそも過剰診断は、誤診誤陽性など、他の意味を持つ用語と混同される事のある語です。医療者であってもです。また実際には、今の意味で用いられる前には別の意味が与えられていた語でもあります。そういう経緯のある語について、検診の説明の際にその文字列自体を記すべきであると主張するのは、受ける側がどのように把握・理解するかを念頭に置かない、いわば拘りです。

検診に限らず、医療介入をおこなう場合、それを受ける対象には、いかに解りやすく、専門用語を使用せずに説明するのかが重要です。そのような意識のもと、医学的な専門用語を非専門家にも解りやすいよう言い換える提案をする試みもあります。

たとえば私は、医療機関で受診した際、医師から

  • 蠕動運動

  • エビデンス

  • 診断的治療

などの言葉で説明された事があります。上2つはその場で意味が解りましたが、それは、多少の医療に対する関心を持っていたからで、普通は正確に把握できないものでしょう。エビデンスが臨床的根拠を指し、研究デザインと実施実態に応じて評価したものであると解釈できる人は、そうそういません。
最後の診断的治療は、意味を知らなかったので家に帰ってから調べて把握したくらいです。

過剰診断は全く専門用語です。しかも、
日常語から意味を想像しやすいのに、その想像しやすい意味合いとはかけ離れた意味を持たされている
術語です。それに関し、その文字列そのものを、非専門家向けの説明文書に記載すべきであるというのは、先にも言ったように、受ける側がどのように理解するかの観点を欠いた、拘りに過ぎません。上で紹介した言い換えの試みのようなものを志向するなら、使わないほうが良いと考える事もできるのですから。

冒頭で、過剰診断の語を使わない事に何らかの意図があるとして、と書きました。これは、使用者がどのように考えたか、の観点です。もし説明する人に、
受ける側が)過剰診断がたくさん生じている可能性に思いを巡らす
のを懸念して過剰診断の文字列を記載しなかった、という意図があるのだとすれば、それは責められてしかるべきでしょう。事実を隠そうとする意図だからです。
しかるにこれは、受け手が実際どのように解釈するか、とは別の論点です。仮に、説明する側が狡猾の意図を持っていたとしても受け手はそれに影響を受けない事もあり得るでしょう。そして、意図というものを確かめるのは極めてむつかしいのです。

要するに、過剰診断なる表現や文字列に囚われているのです。受け手に正確な概念を把握してもらう事に関しての合目的性を考慮するなら、その文字列を使用しなければならないというのは、全く自明なものではありません。

たとえば、私は過剰診断では無く余剰発見(over detectionの訳として)を用いて解説を書いていますが、もし検診の議論に明るく無い人に直接説明する機会があるとすれば、どちらも使いません。
実際、身近の人に説明した事はありますが、使いませんでした。死ぬまで症状の出ないものを見つける場合がある、と現象をそのまま説明したのです。いきなり過剰診断や余剰発見と表現したところで、意味内容がすぐ把握されるものでは無いでしょう。むしろ、現象を説明して、その現象が重要であるのを理解してもらってから、その現象を過剰診断と言うのだ、と説明すべきです。現象を相手の認知上で描かせるわけです。
そして、その時点で現象とそれの重要さが理解されているのだから、別に専門用語自体を教える必要も無いのです。

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