そもそも難しい検診のはなし

上記記事は、乳がん検診を受ける場合のメリット・デメリットについて解説しているもので、かなり丁寧に書かれています。

この記事を読みながら、読者の反応として受けが悪いかも知れないな、と思っていました。実際、Yahoo!のコメント欄を見ると、納得いっていないようなものが散見されます。案の定こう捉えられるだろうな、というのがいくつもありました。

当該記事のようなものがあまり受けが良くない、場合によっては批難さえされるのは、致しかたが無いところがあります。これまで散々、検診を受けましょうとか、早期発見が大事ですとか医療側は喧伝してきたわけで、それを今更、デメリットがあるから受けないほうが良い時があると言われても、すぐにそうかとはなりますまい。
特に身近に、

  1. 検診を受けた

  2. がんが見つかった

  3. 処置した

  4. 元気で過ごしている

このような人のいる経験があれば、検診のデメリットには思い至りにくいですし、デメリットの種類を理解したとしても、命が救われるから良いではないか、との信念が形成されていれば、やはり検診は受けたほうが、となるのでしょう。

検診の議論を把握するには、

  • 検診がもたらす便益は何か

  • 検診がもたらす害は何か

  • 便益や害はどの要因によって左右されるのか

  • 便益は害を上回るのか

これらを総合的に理解する必要がありますし、理解には疫学的な考えが要されます。

害の一つとして、症状が出ない疾病を発見するもの、すなわち過剰診断があります。この概念自体は理解は簡単です。成長が遅いものを見つければ、他の原因で死ぬ可能性(これを競合リスクと言う)も高くなるのでそっちで先に死ぬ場合もあるだろう、と考えるのは難しく無い。けれども、それが発生するとしても命が救われる人がいるのだからやれば良いではないか、となるのです。死ぬよりはマシだ、です。
そこに対して検診全体の論理を解ってもらうのは困難です。上で書いたように、理解には、疫学的な考えが要されます。たとえば、効果の指標は生存割合では無く死亡割合の必要があるとか、QOLを評価するならQALYなどの重み付け指標を検討する、といった話をすぐ理解してもらえるはずがありません。個人の経験から介入(検診)の効果を直感する信念に対し、公衆衛生的な効果指標である、絶対リスク減少とその逆数であるNNSの概念は、すんなりとは受け容れられません。

議論が厄介なのは、

  • 検診はとても身近である

  • 検診の論理はとても専門的である

このようなアンバランスがあるからです。
がん検診は身近です。まず、皆が長生きになるのは、がんに罹りやすくなるのを意味します。長生きするとは、色々の死因による死の確率を減らす事であって、それは結局、がん死に対する競合リスクを小さくするので、がんで死ぬ可能性が大きくなるからです。だから、症状の無い内にがんを見つけてどうにかしようと、日常的に非医療者も考えるのは、これは当然の話です。

しかるに、検診が役に立つか、公衆衛生に資するか、を検討するのは優れて専門的です。疫学・医療統計などの分野は言うに及ばず、医療経済的な観点も必要です。医療費を圧迫すれば、着目する疾病以外で死ぬリスクが大きくなるかも知れません。皺寄せがあるわけです。

身近な話だが、それをちゃんと理解するには専門知識が必要である。この情況は相当にシビアです。理想的には、受ける医療介入の内容を、ある程度理解して個人的意思決定に繋げたいところですし、冒頭で紹介した記事はそこに着目していますが、がん検診のメカニズムと有効性評価を理解するには、短くとも何年もかかります。医療者でも理解しているとは限らないような知識です。それを身に着けて検診に向き合うのを求めるのは、理想が過ぎるとも言えます。受ける側もきちんと理解しないと駄目だ、などとは主張できません。だって、めちゃくちゃ難しいのですから。リソース的に非現実的です。

福島の甲状腺がん検診に絡めて、過剰診断の害にばかりクローズアップして論ずる向きがあります。がん検診そのものにはほとんど着目しません。重要なのは、プロセスとしての検診総体であるのに、その害の一種に過ぎない過剰診断以外に見向きもしない。検診は、カスケードやパスウェイなどと表現される一連の流れなのであり、その部分を切り出して話をするようなものでは無いのです。
害の一種にのみ着目する事で形成された、がん検診に対する認識は、他の検診についても適用されます。本来、検診を実施する是非は、便益と害を比較衡量して正味の便益が得られるかで検討されますが、その論理を理解しないまま、害があるからとの理由で反対します。これは極論ですね。そして逆方向の極論として、検診で救われる命があるのだからと賛成する。こちらの場合は、そもそも検診で救われたのかを検討する必要があるという意味で難しいですが、とにかく両方の極論が広まって、検診に対する妥当な知識の形成を社会全体に浸透させていくのとは相反します。

誠実で丁寧な発信をしようとすれば、分量は多くなるし、回りくどい印象も与えるでしょう。害や効果を強調する歯切れの良い主張のほうが受けが良くなるのでしょう。言ってしまえば、難しい知識の習得や、それに基づいた議論を好むのは、もの好きの類です。私のように、非医療者でありながら時間を割いて勉強する人間は稀です。初めから不利なのですね。かと言って、声を大きくしたり、極端な言いかたを混ぜて受けを良くしようとの方向にシフトするのでは、これは本末転倒です。内容を理解してもらうのでは無く雰囲気で同意してもらう事なのですから。

不利ではありますが、誰かがやり続けないと、どうしようも無いのだと思います。せめてもう少し、同じような発信をする人が増えてくれれば、とも感じますが、なかなかそうは行きませんね。検診の論理を総合的に理解していて、かつ丁寧な発信を心がけ、しかもSNS等で積極的にアプローチする人というのはほとんど見られません。

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